どうやらわたしはストレスが溜まっていたらしい。
 信頼している人に「旅にでも出たら?」と言われたら、ものすごく心が軽くなった。
 そうだ、旅に出ればいいんだ。その瞬間、携帯でエアチケットを探し始めていた。

 さて、どこへ行こうか。

 ちょうど年末年始で、程よい場所で程よい日程の航空券は売り切れか、目玉が飛び出るほど高かった。
 どうしようかと悩んでいたら、珍しく夫が「一緒に行く」と言い出した。
 わたしが一人で旅に出ることにいつも、文句も言わない代わりに興味もなさそうだったのだけれど、ほんとはちょっと羨ましかったらしい。
 せっかくなので、二人旅をすることにした。結婚して初めての二人での海外旅行だ。新婚旅行と呼んでもいいのではないか。

 しかし夫はどこへ行って何をしたいとか何を見たいとか、そういう希望はあまりないと言う。すべてわたしにお任せするらしい。
 それでは一人旅と変わらないなあと思いつつ、旅行の手配は嫌いじゃないので行先を考える。

 夫はヨーロッパに行ったことがないと言うので、ヨーロッパへ行こう。暖かいところがいい。暖かいヨーロッパ、で思いつくのはポルトガル、マルタ島、シチリア島くらい。
 エアチケットを調べたら一番安いのがシチリア島だったので、行先はシチリアに決めた。行ったことがないところはどこだって行ってみたいところなので、わたしもどこでも良かったのだ。

 十二月中に出発する航空券はえらく高いが、一月一日出発ならそうでもない。帰国日は九日の朝着なら前日までより三万円も安い。よし、これだ、とチケット購入の決定ボタンを押してから、夫が「九日から仕事」だと言っていたことを思い出す。
 慌てて夫に確認すると、「じゃあ成田から直接仕事に行くよ」と即答だった。ほっとする。
 一日の二十一時にシチリア空港に到着予定の飛行機なので、その日と次の日の分、首都パレルモのホテルを手配した。

 さて、シチリアとはいったいどんなところなのか?

 書店に行き、旅行ガイドのコーナーへ行く。地球の歩き方は「南イタリアとシチリア」で一冊になっていて、しかもシチリアのページは三分の一もない。
 ほかのガイドブックにいたっては、ほんの4,5ページほどしか割かれていない。
 ようやく見つけたシチリアだけの旅行本も、美食だのワインだのばかりだ。

 違う。わたしが行きたいシチリアはそういうんじゃない。
 シチリアがどういうところかも知らないのにそう思ってしまったわたしは、ガイドブック売り場を離れ、代わりにレンタルショップで『ゴッドファーザーIII 』を借りた。
 わたしのシチリアについての知識のすべて。それは、(1)イタリアの島 (2) ゴッドファーザーの舞台 (3)『ニューシネマパラダイス』の舞台。
 それくらいだ。

 では、それぐらいの知識で行ってみようじゃないか。なんせ今回の旅は一人じゃない。ボディーガードつきだ。いつものように知識武装してゆかずとも、そのときそのときに行きたい場所へ行けばよいのではないか?

 この時点で、旅行まであと5日。

 行き当たりばったり二人旅が、はじまろうとしていた。

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