「クレーム集中病院で、若い女性医師が“モンスター・ペイシェント”に狙われた!?」
 デビュー作『サイレント・ブレス』が各紙誌で好評を博した南杏子さんの待望の第2作『ディア・ペイシェント』。題材は「医師と患者の信頼関係が失われた医療現場」。そのナイーヴなテーマをミステリー長編として完成させるまでの生みの苦しみとは?


終末期医療に向き合い高い評価を得たデビュー作

 2016年9月、連作長編『サイレント・ブレス』でデビューを飾った南杏子さん。現役医師でもある南さんが選んだテーマは、“終末期医療”。誰にでも等しく訪れる“死”に真正面から向き合い、人生の最期のあり方を問うこの作品は、新人作家のデビュー作としては異例のヒットとなった。

「かつては自宅で介護することが当然だとされ、介護者が同情されることもありませんでした。人生の最期をどこで過ごすのか──家で死を迎えるのか病院や施設に入るのかといった問題も、世間では直視されずに来たように思います。ですが近年になり、団塊世代の方々が肉親を看取る機会が増えたためか、終末期に対する関心が高まってきました。『サイレント・ブレス』は、時代の要請から生まれた小説と言えるのかもしれません」
 とはいえ、終末期医療にあたる医師という立場もあり、刊行当初は不安を抱いていたという。

「医師には、患者のことを口外してはならないという守秘義務があります。もちろん小説の中でも患者のプライバシーを侵害するようなことは書いていませんが、この本を世に出すことで『自分のことだろうか』と誤解する方がいるかもしれないと心配だったんです。また、主人公である女医が、父親の点滴を外そうと決意する場面についても『ここまで踏み込んでいいのか』『非難を浴びるのではないか』と悩みました」

 しかし、南さんの心配は杞憂に終わった。刊行後は、多くの読者から温かい声や切実な思いが寄せられたという。
「家族を看取った方から『この本があったから決心できた』『無理に延命しないという選択は決して悪いことではないんだと、救われた思いがした』というご意見をいただきました。この本が支えになったのであれば、私にとってもうれしいことです」

作家としての真価が問われる“2作目”のプレッシャー

 そんな南さんの第2作にあたる長編『ディア・ペイシェント』が、このたび上梓された。

「作家の真価が問われるのは2作目だと言われます。デビュー作とは全く違う、大きなプレッシャーを感じました」

 そう話すとおり、2作目では生みの苦しみを心底から味わったという。デビュー作から約1年半、紆余曲折を経ての刊行となった。

「『サイレント・ブレス』を書き上げ、まだ出版される前から2作目の構想を考えはじめました。当初考えていたのは、4人の女医の人生を描いた連作長編。それぞれのエピソードに縦軸を通し、ひとつにまとめてミステリー仕立てにしようと考えていました。でも、その縦軸がきれいに通らなくて……。主人公が複数いたため、通して読んだときに誰に思い入れを持たせるかという点にも悩みました」

 さらに、担当編集者からは長編を書いてはどうかとアドバイスがあったという。確かに『サイレント・ブレス』と同じような連作形式の小説を発表すれば、大きくはずさないだろう。続編を書くことだってできたはずだ。しかし、「2作目こそ作家として違う側面を見せたい」という思いは、編集者のみならず南さん自身にも強くあった。

「私にとっては原稿用紙50枚から80枚の中編が書きやすく、その殻を破れずにいたんです。とはいえ、長編だからこその読み応えや大きな感動のある物語に挑んでみたいと思いました。デビュー作のイメージを保ちながら、第2作でそれを超えたものを書くなんてとても難しいことです。それでも、思い切って頑張ってみようと覚悟を決めました」

 そして取り掛かったのが、『ディア・ペイシェント』の原型となるプロットだ。主人公は、民間総合病院の内科に勤務する女性医師・千晶。日々の診察に忙殺され、理不尽なクレームを繰り返す“モンスター・ペイシェント”に脅かされる中、患者に寄り添う医療を懸命に模索する彼女の姿を描き出していった。2017年春にプロットを作成し、その後まもなく執筆をスタート。7月には、第一稿が完成した。しかし一度は入稿したものの、すべて書き直すことになったという。

「大筋はそれほど変わっていませんが、第一稿と完成稿とでは千晶の人物像、彼女の思いの深さが違います。最初の原稿では、千晶はもっと弱々しく、クレーマー気質の患者に対しても言い返すことができませんでした。また、『医師はこんなに大変なんです』『患者にこんなことを言われました』という側面を強調しすぎ、医師のボヤキのような小説になってしまっていたんです(笑)。そこから、『患者には患者の事情がある』『医師はこういう思いで医療に取り組んでいるんだ』という描写を膨らませつつ改稿していきました。書き直した原稿ができあがったのは10月。長い道のりでした」

患者の敵は医師ではない、戦うべきは病

 自身も市中病院の内科医としてさまざまな患者と向き合ったことがある南さん。『ディア・ペイシェント』にも、当時の経験が色濃く反映されているという。

「やはり小説にするとなれば、『本当のところはどうなの?』というリアルな医療現場を書きたいんです。今回書いたのは、必ずしも私自身が体験したことばかりではありません。でも、できるだけ自分に近い、実感のある現場を舞台にしたいと思いました。とはいえ、私が勤務している病院をモデルにしたわけではありません。そこは強調しておきたいですね(笑)」

 千晶の勤務先である佐々井記念病院は、“患者様プライオリティー”を掲げる総合病院。患者の利益を最優先し、医師も看護師も笑顔と言葉遣いの練習を義務付けられている。こうした患者ファーストの流れは、実際の医療現場でも加速しているという。

「かつては医師が威張っていて、患者は言いたいことも言えず小さくなっていました。でも今は『患者さんを大事にしよう』と接客を意識した職員教育がなされ、医学部の実技試験でもあいさつや自己紹介が重視されています。時代のニーズもあり、以前と比べて医師と患者の関係性は大きく変わりつつあります」

 しかし、笑顔で丁重に接することが、患者の利益につながるとは言い難い。千晶が担当する内科には、午前中だけで医師1人あたり50人以上の外来患者が列をなし、ひとりひとりに向き合う時間はごくわずか。サービス向上のための院内ミーティングにも、貴重な時間を取られてしまう。そのうえ、モラルの低下や患者の権利意識の高まりにより、医師に理不尽な要求を突き付ける人も出てくる。急患でもないのにコンビニ感覚で救急外来を受診したり、必要ではない薬を要求したりするケースにも悩まされる。日々こうした対応に追われる中、千晶は医療のあり方、患者との向き合い方について思いをめぐらせていく。

「当たり前のことですが、医師も人間なんです。心ない言葉を投げかけられれば、傷つくこともあります。確かに医療訴訟のニュースが流れると、患者のみなさんは『ちゃんとした治療がされているのだろうか』と心配になるでしょう。でも、『その点滴、大丈夫なの?』と疑われたり、治療方針をお伝えする際に『ネットではこう書いてあったけど』と言われたりすると、医療者としては『ああ、信用されていないのか』と思ってしまうんです。『あなたのために誠心誠意を尽くして治療に臨んでいる、でもそれは伝わっていなかったのか』と思うことが、心が折れる最初のきっかけにもつながります。医療者はなんとかして病気を治したいと思っていますし、患者に感謝されたいという承認欲求もあります。一生懸命に治療に臨むことに、大きなやりがいや醍醐味を感じているんです。患者の敵=医師ではありません。病気こそが、患者と医師双方にとっての敵なんです。この本を読んで、医師に対する誤解が少しでも解け、お互いの信頼関係が築けたらうれしいです」

患者と医師がお互いに歩み寄れる小説を目指して

 しかも、医療行為には訴訟のリスクも付きまとう。患者が医師を信頼してくれてこそ、一歩踏み込んだ治療も行えるが、「訴えられるかもしれない」と思えば、リスクの小さい医療行為であっても医師は萎縮してしまう。作中でも、千晶の先輩である医師・陽子が大きな医療訴訟を抱えており、それが思わぬ事態を引き起こしていく。「失敗しようと思って医療行為をする医師など、ひとりもいない」──そんな千晶の言葉に、はっと胸を突かれる思いがする。

「医療訴訟を否定するつもりはありません。でも、提訴を受けて被告席に座るとなれば、医師だってショックを受けます。しかも、悪意をもって傷つけようとしたのではなく、治療しようと懸命に取り組んだ結果、うまくいかなかったわけです。そこへ訴訟というダメージが重なるのですから、精神的にも追い詰められてしまいます」

 作中では、医師の切なる思い、医療現場の内情が、緊迫した筆致でつづられていく。しかし医師側の意見をぶつけるだけでなく、患者や遺族の苛立ちや焦燥を我がことのように受け止めている点も見逃せない。千晶に付きまとい、執拗に嫌がらせをする“モンスター・ペイシェント”の座間にすら理解を示し、そっと手を差し伸べる。そんな南さんの優しさ、医師としての誠実さが、心地よい読後感を生み出している。

「『医師って大変でしょ?』と、こちらの訴えばかりを書いても仕方がありません。いちばん大変なのは、病気を抱える患者さんです。クレームをぶつけてくる患者さんにも、それなりの理由がある。座間には座間の言い分がある。そこは、きちんと書かなければならないと思いました。彼の気持ちも理解し、患者と医師がお互いに歩み寄れる小説を目指して改稿を重ねていきました」

 座間に振り回されつつも、最後には千晶もきっちり言うべきことを言う。終盤まで息詰まるような展開が続くが、成長した千晶の頼もしい姿が胸に熱い感動を呼び起こす。

「名医が活躍する物語ではなく、また違った問題意識のある医療小説を書けたかなと思います。『ディア・ペイシェント』というタイトルにしたのは、患者さんに語り掛けるような小説にしたかったから。そして、医師と患者の関係性について、医師側から一方的に押し付けるのではなく、読者の皆さんにも一緒に考えていただきたかったから。ぜひ、病院の待ち時間に読んでいただきたいです」

 初めての長編にチャレンジしたことは、南さんにどんな変化をもたらしただろうか。
「厚みをもって大きなテーマを伝えられるのは、長編ならではのメリットですよね。とても面白い経験でしたし、視座が高くなったような気がします。また、『過去があるから現在がある』という書き方ができる点も、医療小説には合っているように思います。例えば、冒頭で病気の予兆があった人物が、終盤になると病を悪化させていたり、最初は医師に不満を抱いていた患者が、治療を受けてお礼を言ってくれたりという、病状の変化を小説に取り入れやすいと感じました」

 すでに構想をめぐらせている次回作も、長編だという。医師の仕事も続けながら、これからも医療業界にまつわる小説を書き続けていく。
「現役医師という肩書がなくても、作家としての立ち位置を確立したいと思っています。“作家であり、医師でもある”というスタンスで、私にしか書けない小説を書いていきたいです」(「小説幻冬」2018年2月号より)

取材/文 野本由起

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