(写真:iStock.com/llhedgehogll)

アメリカで猛威を振るうMe Too Movementは、日本上陸にけつまずいた感がある。かつての上司や取引先から受けたセクハラ被害を実名で告発する人が出たものの、結局、告発者自身も激しくバッシングされて下火になってしまった。

私自身は、実名告発でリベンジの場になってしまうのもどうかなぁと思う反面、告発者の口をふさいじゃうのもどうかなぁとどっちつかずの態度でいる。過去に受けたセクハラを書くのって、どれだけ茶化しても、気分がどんより暗くなる。

そう思うと、誰が何と言おうと口火を切る行為の意義は否定しがたい。積極的に賛成できないからって、めちゃくちゃ批判する必要もなくて、曖昧グレーな態度で「ふーん」って思っていればいいんじゃないだろうか。

だが、そういうどっちつかずの態度は、本家アメリカのMe Too Movementでは、大いに批判されそうだ。告発者を押しつぶしにかかった日本とは逆に、アメリカではMe Too Movementに対する批判が封殺されようとしている。逆方向に暴走する二つの「不寛容」といったところか。

もともとハリウッドの大物プロデューサーの、若い女優を寝室に誘ったり、自分の裸を見せたりという長年に亘る行状をニューヨーク・タイムズが暴いたことに端を発した運動は、大物を告発した勇気ある女性を孤立させないように「私も(Me Too)」というタグ付けで後押しするとの呼びかけで一気に広まった。

まったくもって意義のある始まりなんだけど、アメリカのいつもの例に倣って、突っ走り方が半端ではない。今年のゴールデングローブ賞の授賞式では、ハリウッドにはびこるセクハラに抗議するために黒を纏おうという呼びかけがなされた。参加した女性は、3人を除いてみんな黒、黒、黒と日本のメディアでも大きく報じられた。

っていうか、この3人は一体どういう気持ちで授賞式を過ごしたのだろう。私の高校は私服だったけど、クラスの女の子達で制服を着て来ようって約束する日もあって、そんな日に間違って、私だけ一人で私服とか、高校時代には相当な悪夢だったなぁ。友達いないんだなって思われちゃう。それか空気を読まないよっぽど変わった子って思われちゃう。

なんかこの「みんな黒」っていうハリウッド式は、「みんな同じ制服」っていう日本の中高の風潮に似てません? よく日本の制服は無個性を生み、対するアメリカはなんて語られるけど、結局、多様性を重視する代表格みたいなハリウッドも、日本の中高と同じ「全体主義」じゃん。黒い服を着て参加した人の中には、もちろんノリノリの人もいるだろう。だけど、深紅のドレスを用意しちゃってたんだけど、そうしたら絶対に後で「女性の敵」とか言われて、説明を迫られ、それに失敗したら、今度は自分が吊るし上げられちゃうって思って、とにかく黒を着てやり過ごそうと思った人もいるはず。実際に、真っ赤とか花柄で参加した3人は、Twitterにさらされてみんな申し開きをしているし。

フランス女優のカトリーヌ・ドヌーヴは、Me Too Movementの行き過ぎは、「全体主義」として連名の公開書簡で批判したけど、それを見たとき、まさに的を射ていると思った。「男性たちは制裁を受け、辞職を迫られている。彼らがやった悪事といえば、膝を触ったり、唇を奪ったり、仕事がらみの食事の場で性的関係を求めたり、好意を持っていない女性に性的なニュアンスのメッセージを送ったりといったことでしかない」のに、「魔女狩り」によって社会から抹殺されているとのこと。

個人的には、仕事の会食の席で性的関係を求めるなよっていうのはあるけれど(笑)、大上段から振りかざされた正義によって、ほとんど反論の機会を与えられずに「異端」として排除されていく様子は、確かに魔女狩りには違いない。

ところが、というか、予想した通りではあるが、Me Too Movementの渦中にいる人々は、ドヌーヴのこの警告を許さなかった。彼女に対する批判が巻き起こり、その中には、彼女が類まれな美貌と富を持つ白人という、いくつもの特権を享受する立場にあることを指摘するものもある。

「またか」と思う。人種とか、階級とか、そういう変えられないものをベースにした批判って、言葉では反論できない。

「あなたはあちら側の人間だから、私たちのことは理解できない」と、彼方と此方に線を引き続けることで、実は差別される側も差別を温存することを手助けしてきたのではないかとすら思う。境界線を曖昧にぼかしていくのではなくて、何度も引き直してきたのだから。

こうやって内部に差別を温存しながら、表面上はあたかもそれがないかのように振舞わなくてはならない。本音と建前の過剰な開きは、アメリカの内部に不満を溜めこませ、膨れ上がったそのマグマは2016年の大統領選で、「本音を話す」トランプを大統領に押し上げた。

Me Too Movementの背景には、女性候補クリントンが破れて、逆に女性蔑視っぽいトランプが大統領になってしまった反動があるのかもしれない。トランプっていう選択は確かに極端だったかもっていう反動で、また逆方向に暴走するという……「不寛容」になりすぎたMe Too Movementの後にはバックラッシュによる揺り戻しが起きるだろう。そうやって、アメリカ社会は振り子のように揺れ続けるのかもしれない。

そう考えると、どっちつかずのまま、両方に「ふーん」って言える社会のほうがいいんじゃないかなぁ。

この記事をシェア
この連載のすべての記事を見る

★がついた記事は無料会員限定

関連書籍

山口真由『ハーバードで喝采された日本の「強み」』(扶桑社)
山口真由『リベラルという病』(新潮新書)