葛飾北斎はなぜ「世界の北斎」になったのか?
国内と世界各地を回って取材しているノンフィクション作家、神山典士です。
今春書き下ろす「知られざる北斎」(仮題)一部抜粋してご紹介させてください。

知られざる北斎』の製作に参加できる!クラウドファンディング企画も進行中です。

 

彫刻・工芸・音楽の世界へも広がっていくジャポニズム・ムーブメント

絵画だけではない。彫刻家や工芸家、音楽家もこのムーブメントに巻き込まれた。
日本を「菊の国」と呼んでいたガラス工芸作家のエミール・ガレは、北斎の「南瓜花群虫図」や「北斎漫画」に描かれたバッタや鯉、南瓜の花や葉を意匠に取り入れた作品をつくった。のちにそれは20世紀初頭にかけて花開いた、アールヌーボーという新美術潮流を生んでいく。

日本ではつい最近まで展覧会のテーマにはなりえないとされていた「春画」も、当時の美術界の巨匠に大きな影響を与えている。
代表格は、「考える人」のロダンだ。ロダンは常日頃から「エロチック・ジャポネ」の無類の愛好家だった。
長年モデルを務めた花子は、「ロダンが『笑い絵』を見せるので困った」と述べたという。笑い絵とは春画のことだ。

1980年代になって、美術史家の池上忠治はロダン美術館で彼が所有した浮世絵を調べたことがある。
「出てきたのは和紙に達者な墨線で描かれた、いわばアクロバチックな体位のものだった。この種のものがどれだけあるのか、私はまだ確認するに至っていない」(「ゴッホから世紀末へ」)
ロダンの秘書だったジュディト・クラデルの書によれば「1908年にロダンは自分のデッサンを次々とめくってみながら、「これは西洋人の手法による日本美術だね」と述懐した」という。
ロダンの弟子で愛人でもあったカミーユ・クローデルも、北斎作品の愛好家だった。
「神奈川沖波裏」にそっくりの大波と、それに飲み込まれそうな女性の姿を描いた作品をつくり、ロダンに翻弄された彼女自身の儚い「運命」を示したと言われる。続く

この記事をシェア
この連載のすべての記事を見る

★がついた記事は無料会員限定