人生100年時代の、男の生き方がここにある。古希(70歳)を迎えた元・大学教授が初めての独り暮らしを淡々と描いた、笑えて泣けると話題のエッセイ『70歳、はじめての男独り暮らし』。試し読み第12回目をお送りします。西田先生に贈られた、奥様最後の言葉の真意とは?

老いとともに、歩んでいく(photo:iStock/maroke)

人生100年時代とは言うけれど

 私は昭和22年に出生し、今年七十歳で古希を迎えました。

 昭和22年の厚生省(現在の厚生労働省)の統計では、その年の平均寿命はちょうど50歳でした。つまり50年の人生として、私は生まれてきたのです。しかし、医学・医療の進歩、国土の衛生状態の改善や保険制度の充実などで、現在の日本の平均寿命は80歳を超えています。つまり、50年と思って生まれてきた人生のゴールが、年齢を重ねているうちに30年近く延びたのです。世界でも有数の長寿国となり、私たちの人生の量は飛躍的に増えました。確かに現在の老人は元気です。しかし、生物種としての人間そのものは特に変わっているわけではありません。昔の20歳も今の20歳も生物学的にはほとんど同じです。

 間違いなくこの延びた年月は働き盛りの体力や知力を持った時期では無く、問題は、人生の量が増えたのと同じように人生の質が高まっているかということです。

 古代インドでは、人生を「学生期(がくしょうき)」「家住期(かじゅうき)」「林住期(りんじゅうき)」「遊行期(ゆぎょうき)」の四つの時期に分け、それぞれの時期の人生における意義や意味を考えるそうです。五木寛之氏は、中国の四神思想と対応させ、「学生期」を「青春」、「家住期」を「朱夏」、「林住期」を「白秋」、そして「遊行期」を「玄冬」と当てて考えておられます。(五木寛之:『林住期』、幻冬舎文庫、2008)(五木寛之:『孤独のすすめ』、中公新書ラクレ、2017)

 寿命が延びたということは、それぞれの時期が延びたのではなく、人生五十年の時代には経験することが出来なかった遊行期を、今日では過ごすことが出来るようになってきたということではないでしょうか。

 体力や知力を考えますと、間違いなく質の低下した老いた人生の時間が、自分自身の目の前に存在しているだけです。

 私は、63歳の時に医学部の眼科学教室の教授を定年で退任しました。それまでは、朝から夜遅く、時には深夜に及ぶまで、診療、研究そして若い先生方の指導をするという生活でした。国内外の学会での講演を頼まれ、ほとんどの週末はどこかに旅していました。年末正月を除けば、土曜日と日曜日の二日とも家で過ごすということは一年に一度か二度という生活でした。若かったから出来た無茶な生活だと今は思います。その後三年半ほど大学の副学長として、大学の管理・運営に携わりました。この期間は、九時から五時の勤務でしたから、比較的規則正しい生活をしていたと思います。

 大学を完全に離れてからは、週に二日ほど診療に出かけるだけで、時間的には比較的余裕のある生活をするつもりでしたが、日本アイバンク協会の常務理事として、全国で角膜移植のための献眼を啓発する仕事に飛び回ることになりました。それでも、現職の医学部教授の時期に比べると、かなり自由な時間が生まれました。

 

 還暦を過ぎ、古希を迎えたあたりから間違いなく体力が低下してきていることを自分自身感じます。今まで出来ていたことが出来なくなるだけではなく、まず気力的な面で弱くなってきます。色々な作業の速度がずっと遅くなってきます。

 若い時なら、これぐらいのことは一晩で出来たのにと考えれば考えるほど、自分自身の能力の低下に苛立ち、ますます歳をとってきていることを感じます。目も老視のために、本を読む時、コンピュータのディスプレイを見る時、手元のキーボードを見る時、それぞれのメガネを用意せねばならなくなってきています。

 最初は、この老化に抗おうともがいていました。

 しかしある時から、抗うのではなく老化と一緒に歩めば良いのだと考えるようになってきました。作業の速度が遅くなってきましたが、逆に時間をかければ良いことですし、また現役から引退していますと時間はかなり余裕が出来ています。

「アンチエージング」ではなく…

 近年、「アンチエージング(抗加齢、anti-aging)」という考えがさかんにいわれています。古くは秦の始皇帝が不老不死を求めたように、アンチエージングは人類の一つの夢でしょう。

 ただ、実際に自分自身が歳をとってきますと、加齢(aging)というのは抗うものではないということに気が付いてきました。加齢に伴う変化を受け入れ加齢とともに生きていく「老いとともに(com-aging)」という考え方が自然であり、大切であると考えます。

 加齢を敵に回さず友として、自分自身の人生が意義あるものとなるように、限られた時間のなかで努めていくことが生きるということではないでしょうか。

 単に外観の若さを留めるだけではなく、年を経た内面の豊かさを重ねることができればと願っています。

 歳をとると間違いなく能力は低下してきますが、次の世代に夢を託すこと、世代を超えて夢を継いでいくことが、有限の世界を生きる私たちにできる真の不老不死ではないかと考えます。個体は滅びても人類が生き続け知恵が継承されるために、いつかは実を結ぶことを信じてただひたすらに種をまき、水をやって、次の世代へと継承しようとする心が大切です。病気の考え方や研究のテーマには時代の流れがあることは確かです。

 しかしながら、はやりすたりとは異なる原理原則を探求したテーマこそが時代を超えて残る仕事であり、次の世代に夢を託せる仕事であると信じています。これからますます外観は見苦しくなり若い方のようには行動できないにしても、次の世代に夢を語り示せるように年を重ねていきたく思います。

 その意味で、私は抗加齢(anti-aging)という言葉が嫌いです。抗うのではなく、ともに歩むという姿勢(com-aging)、年齢とともにという考え方が大切なのだと考えるようになりました。(西田輝夫:「Com-Aging(老いを友に)」、『臨床眼科』61: 44-45、2007)

 歳をとっていきますと、ワクワクする気持ちや感動する気持ちが少しずつ弱くなってきます。しかも一人で生活していますと、何かにつけて慎重になり、新しいことに踏み込むことは益々なくなります。生き甲斐ややり甲斐に向かって、エネルギーをぶつけるのには、やはりワクワク感が大切だと痛感します。

 一方で、若い時には、自分の未来には無限の時間があり、様々な可能性が開けており、どの道を歩むかは自分の努力次第で選べるのだという気持ちがありました。しかし歳をとりますと、新しい社会との関わりを作ろうとしても、残された限られた時間の中でどこまでできるかということをつい考えてしまいます。そうなると新しい可能性を求めようとする気持ちが、萎縮してしまうのです。色々な側面で、新しい社会との関係や新しい人間関係を作ることに臆病になってしまいます。

 世間では、人間が枯れてきたと言って、立派なことのように言いますが、本人の心の中では、何とも言えない虚しさを感じています。このような気持ちの中で、なんとかワクワクする気持ちを持ち続けることは、なかなか難しいものです。

 

 妻は死ぬ少し前に、

「私が死んだら、中洲の若いお嬢さん方と楽しく遊んで過ごすのよ」

 と申しました。どなたに話しても、「そんなことを奥様が言うわけがないでしょう。先生の作り話でしょう」と信じてもらえません。

 一周忌が終わる頃までは、本当に悲しみに浸っていました。

 しかしもう二度と妻が戻ってこないということを、理性だけではなく感性でも分かるようになってきました。同時に、人肌の温もりがない生活がとても寂しいものだと感じ始めています。確かに沢山の皆さんに助けていただき、心の繫がりや温もりは十分すぎるほどに感じます。でも同時に、肌で感じる体温の温もりが欲しくなるものです。案外異性の存在というのが、この心の寂しさを埋めるのに大切なのかなと思い始めました。

 妻が伝えたかったことは、ワクワク感を持って生きなさいということだったのでしょう。

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西田輝夫『70歳、はじめての男独り暮らし』

「このまま私はボケるのか?」定年後の独り暮らしを描く、笑えて泣ける珠玉のエッセイ! 古希(70歳)を迎えた元大学教授が、愛妻を癌で亡くした。悲しみを癒す間もないままひとりぼっちの生活が始まるが、料理も洗濯も掃除も、すべてが初めてで悪戦苦闘。さらに孤独にも苦しめられるが、男はめげずに生き抜く方法を懸命に探す。「格好よく、愉しく生きるのよ」妻の遺言を胸に抱いて――。<目次>はじめに/第一章 家事に殺される!? ~オトコ、はじめての家事~/第二章 男やもめが生きぬくための7つのルール/第三章 妻を亡くして ~オトコ心の変化~/第四章 妻がくれたもの ~大きな不幸の先に大きな幸せが待つ~/おわりに