人生100年時代の、男の生き方がここにある。古希(70歳)を迎えた元・大学教授が初めての独り暮らしを淡々と描いた、笑えて泣けると話題のエッセイ『70歳、はじめての男独り暮らし』。試し読み第11回目をお送りします。妻が天国へ旅立ったあと、僕はまったく食欲がなくて、ただ生きているだけの日々だった…。

別れのあとにきたもの(写真:iStock/OcusFocus)

妻との最後の時間

 十六年前に父を、十年前に母を見送りました。両親の死は私にとって確かに重いものでありました。

 しかし、人の世の常として、いずれは迎えることと覚悟をしていましたし、また二人とも八十年以上の人生を送ったことからも、天寿を全うし、ある意味でめでたいとも言えるかもしれません。私は山口に住んでおり、大阪で弟が最期まで看取ってくれたこともあり、喪主として淡々と見送ることができたような気がします。

 しかし、寿命が八十歳以上と言われる今日に、妻が六十八歳で死ぬということは全く想定していませんでした。私も妻も、男の私が先に逝くものだとばかり考えていました。

 六十歳代で妻を失うということは、両親を見送るのとは全く異なる気持ちです。私たちの間には子供がいませんから、二人で過ごした自宅で、妻が居なくなってから一人きりで生活していくということもとても辛いものです。

 妻が先立った後の一年半の生活を振り返ると、一人での生活が軌道に乗るための大きな要素は、妻の死の受け入れや死んだ妻との心の距離の変化などです。

 妻を失うことに対する心の準備の時期と、そして現実にいなくなってからの時期とでは心の持ち方、感情そして実生活が大きく異なります。

 症状が出てがんと診断され、九ヶ月の治療を受けた時期、転移していることと余命を知らされ更なる追加の治療を断念して亡くなるまでの半年、そして妻が逝ってしまってからの一年半と、約三年の年月が経ちました。

 それぞれの時期で、私の心は強く揺さぶられ、大きく変化していきました。

 治療を受けている時期は、必ずがんが消失して再び元気な妻が戻ってくると確信し、妻を失うことへの不安はあるもののまだまだ希望を持っていました。転移を知らされ治療を受けなくなってからは、この世を去る時期が明確に示された時期で、その来るべき日に向かって生きる日々でした。

 妻は私を、そして私は妻を思って日々を過ごす時期でした。妻にとっては体が自由に動く間にできるだけ自分で様々なことを整理をしておこうとする時期でした。私にとっては、妻が思い残すことのないようにと彼女の思いに寄り添いながら、妻自身が自分の生きた人生に幸福感を持って、その日を心静かに穏やかに迎えられるようにし、少しでも多くの楽しい思い出を作ろうとする時期でした。

 幸い大学の管理・運営の仕事を辞めていましたので、全ての時間を妻のために使うことができました。その意味では何の後悔もありません。

 あのまま公職に就いていたら、あれだけのことをしてやれなかったのではと考えますと、神は全てを見通しておられ、そのように配慮され計らわれたのではと思います。

 実際に痛みやお腹の腫れなどで苦しんだのは、最後の一ヶ月半だけでした。

 そのために、妻から色々なことを伝えてもらう時間を持てたのはある意味で幸いだったと思います。もし妻が急死していたのであれば、何もかも彼女に任せていた私は、何をして良いか分からずにきっと右往左往したことだと思います。妻が先立つことへ、本人のみならず私もある程度、覚悟をする時間が与えられた訳です。

 しかしながら、いざその時を迎えると、虚無感や無常感というだけでは表現できない何とも言えない気持ちや感情が湧き出てきました。

 実際に亡くなってから四十九日の法要、納骨、百か日の法要までの約三ヶ月は、妻の霊を弔うことで一杯で私自身の生活を考える余裕はありませんでした。

 百か日を過ぎた頃から、私自身が一人で生活していかねばならないことを実感として重く感じ始めました。この頃から、仕事と共に家事を本格的にせねばならない時期となりました。

 つながらない携帯電話

 妻が入院していた時期は、たとえ私一人きりで自宅で生活していても毎日電話で話ができましたし、心は妻と共にありました。

 週に何回か仕事の合間を見つけては、病院に見舞いに出かけたり、外出許可をいただいて今日はどこにドライブに連れて行こうかと考えたりしていました。またこの時期は、完治するものと信じていましたので、希望がありました。

 余命が宣告され自宅に戻ってきてからは、時間が限られているという切迫感はあるものの、今までと変わらないと感じられる、ある意味二人での生活がありました。

 妻の死後しばらくの間、私はただ生きているだけの状態でした。

 食欲はほとんどありませんでした。

 四十九日を過ぎた頃から、相続手続きの問題やいろいろな社会的な届けの提出など現実が待ち受けています。税理士の先生に相談することも必要となってきました。その頃から、現実生活に引き戻され始めます。心や感情が変化するから生活パターンが変わるというよりも、現実に私自身が生き延びるために生活を再開せねばならないことにより、心や精神が変化してくるのかもしれません。

 その意味で、この一年半の心の変化や生活の変化と、生き延びるために身につけてきたことは、切り離せないものでした。

 しかし亡くなってからは、顔を見たくなっても声を聞きたくなっても、意見を聞きたくても、もう二度と妻の顔を見ることはできず、声を聞くこともできません。

 写真に語りかけたり、心の中の思い出と会話するだけの日々となりました。

 もう一度で良いから携帯電話がつながらないかと考え、ある日の夜には電話をかけてみましたが、手元の妻の携帯電話が呼び出し音を奏でるだけでした。

 妻がたとえ病床に臥せっていても、そこにいるということと、もうどこにも居ないという現実との違いが、私の心に変化をきたし、同時に私自身の生活のパターンを変えていきました。

 このように、心の変化と生活の変化はお互いに密に影響し合っているものです。

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西田輝夫『70歳、はじめての男独り暮らし』

「このまま私はボケるのか?」定年後の独り暮らしを描く、笑えて泣ける珠玉のエッセイ! 古希(70歳)を迎えた元大学教授が、愛妻を癌で亡くした。悲しみを癒す間もないままひとりぼっちの生活が始まるが、料理も洗濯も掃除も、すべてが初めてで悪戦苦闘。さらに孤独にも苦しめられるが、男はめげずに生き抜く方法を懸命に探す。「格好よく、愉しく生きるのよ」妻の遺言を胸に抱いて――。<目次>はじめに/第一章 家事に殺される!? ~オトコ、はじめての家事~/第二章 男やもめが生きぬくための7つのルール/第三章 妻を亡くして ~オトコ心の変化~/第四章 妻がくれたもの ~大きな不幸の先に大きな幸せが待つ~/おわりに