イケズ――京都人は排他的で底意地が悪く、何を考えてるかわからないという。腹の底で何を考えているのかわからないのは誰だって同じなのに、なぜ京都人だけがそう揶揄されるのか。丁寧な取材と考察を重ねて、京文化の伝統「イケズ」の秘密に迫った幻冬舎新書『京都・イケズの正体』を全5回で試し読み!

(写真:iStock/Neil Adhikari)

(承前)

 いや、実際にそうなのだ。京都にあまたある店のちりめん山椒は、どれひとつとして他店と同じものはない。色の濃いの薄いの、辛いの甘いの、山椒の香りが強いの淡いの、じゃこの硬いの柔らかいの、じゃこが小さいの大きいの……。それぞれに違いがあって、だからそれぞれのちりめん山椒にそれぞれのファンがいる。

 ちりめん山椒を専門に売っている店は、基本的に小規模で並べている商品の種類も少ない。ちりめん山椒のみという店もある。ある運転手さんが連れて行ってくれた住宅街の店は、ほんとうにごく普通の和風住宅の外観で、玄関を開けたところに台を設け、そこにちりめん山椒を詰めた箱を積んで売っていた。ちりめん山椒の「元祖」とされる『はれま』も最初はそのスタイルだったようだ。

 誰が初めてちりめん山椒を作ったかということについては、いくつも説があってはっきりしないのだけれど、ちりめんじゃこに山椒という京都の人が大好きな食材のシンプルな取り合わせから考えて、決着をつけるのはおそらく難しいと思う。卵かけご飯を発明したのは誰なのかと問うようなものだ。

 ただ、私が現在知りうる限りでは、ちりめん山椒を初めて市販したのは京都の宮川町に本店のある『はれま』であるようで、それは今から半世紀ほど昔のこととされている。その後、京都中にあまたのちりめん山椒を商う店ができたのは、真似をしたというような話ではなくて、「それならウチでも作ってるで」とか「私とこのちりめん山椒の方がおいしい」ということだったのだと思う。

 つまりちりめん山椒は、昔から京都の家庭で作られていた総菜で、それゆえに無数のバリエーションが存在する。同じ「ちりめん山椒」という商品名で(いや実際には「チリメン山椒」だったり「山椒ちりめん」だったり「おじゃこ」だったり呼び名も違っていたりするが)、意識としてはまったく別のものを売っているのだ。

 身も蓋もないことを言えば、それぞれに違うとはいっても、その違いはそれほど大きなものではない。私もいろいろ試してみたが、まずいと感じたものはひとつもなかった。

 些細な違いと言ったら作っている方に失礼かもしれないけれど、決して悪い意味ではなく、そのごく微妙な違いを感じ取り、どれがおいしいとかまずいとか、好きだとか嫌いだとかいうことそのものを、楽しんでいるんじゃないかと密かに思う。

 それは京都という三方を山に囲まれた小宇宙における、ある意味での遊びのようなものなのかもしれない。茶の話は後でまたするけれど、中国から日本に喫茶の文化がもたらされ、それが日本独自の茶道へと変容を遂げる以前の京都で、闘茶(とうちゃ)という遊びが隆盛を極めたことがある。

 その時代、というのは鎌倉時代のことだけれど、日本で最高の茶の産地は京都北西郊外の栂尾(とがのお)とされていて、栂尾産の茶は本茶と呼ばれていた。それ以外の、たとえば宇治や醍醐の茶は非茶と呼ばれた。

 闘茶は、自分が飲んだ茶がこの本茶か非茶かを当てる勝負事だ。茶のテイスティングを賭け事にして遊んだわけだ。

 コインの裏表だって賭け事にすれば人は夢中になるわけで、闘茶が流行したこと自体に不思議はない。けれどその賭け事の対象が微妙で繊細な茶の味と香りの違いの利き分けだったところが、いかにも日本的ではある。そういう好みは都で、つまり京都の町で磨かれていった。その先に茶の湯という美意識の芸が生まれた。

 深井戸を掘るように、何かひとつのものにこだわってひたすらそれを極めようとするのはこの国に顕著なひとつの文化的傾向でもある。

 ちりめんじゃこと山椒を炊いたものが旨いという話になれば、それなら私はそこに唐辛子を加えてみようとか、あるいは山椒ではなく胡椒を使ってみようとかいうように横方向へ広がろうとするのではなく、どこまでもちりめんじゃこと山椒の組み合わせにこだわってその狭い範囲での微妙な差違を競い合う。

 何かをつけ加えることでバリエーションを豊かにするのではなく、不要なものを削りに削った先の純度で差別化を図ろうとする。酒を醸す米を徹底的に磨き抜き、水のように澄んだ酒を尊ぶように。

 そういう文化の形は、この町の人々が昔から好んできたこういうタイプの知的ゲームにその淵源(えんげん)があるのではなかろうか。

「どこそこの〇〇は旨い」と、Aが言う。

「そうやなあ、昔はあそこの〇〇も旨かったんやけどなあ」と、Bが混ぜ返す。

「昔はって、今は味が落ちたって言いたいんか」

「残念ながらな。料理人変わったんやて……」

 そういう会話がこの町のあちこちで今日も繰り返されているはずだ。窮屈な環境ではある。手を抜けばその話はすぐに町に広まる。真面目に仕事をしていれば必ず評価されるというわけでもない。町は生き物で、新しい競争相手がいつ登場するとも限らないからだ。老舗といわれるような店もそれは例外ではない。

 けれどこの町のさまざまなものが、そういう風にして洗練されていく。

 微妙な違いに敏感で、それを愛(め)でたり腐したりする、口やかましいこの町の人々によって。かくして京都の町のあちこちには、味や食感が微妙に違う数々のちりめん山椒が出現するというわけだ。

 それは味の多様性というよりは、洗練度のバリエーションだ。

 

 ちなみに、私の好みは『はれま』だ。

 ここのちりめんじゃこはまず美しい。型の揃ったかなり小ぶりのじゃこだけを使っているからだ。一匹のサイズはせいぜい5~6ミリというところだろうか。その極めて小さなじゃこ一匹一匹の目が生きていると言えばいいのか、とにかくことごとく銀色に輝いている。よほど鮮度の良いものを加工しているのだろう。

 醬油の色は濃いめ。味はすっきりした辛口で、嚙みしめるとしみじみとしたじゃこの旨味が滲み出す。山椒の爽やかな辛味がほど良いアクセントになっている。熱々の白いご飯に載せて食べる喜びは言うまでもないけれど、このちりめん山椒を混ぜ込んだ握り飯がまたたまらなく旨いのだ。

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石川拓治『京都・イケズの正体』

イケズ――京都人は排他的で底意地が悪く、何を考えてるかわからないという。腹の底で何を考えているのかわからないのは人間なら誰だって同じなのに、なぜ京都人だけがそう揶揄されるのか。
京都は山に囲まれた狭い盆地に作られた閉鎖的な町だ。そこで発生し、時間の淘汰と外圧に耐えた独自の文化を、京都の人々は工夫し、変化させながら、子々孫々確かな目利きで守り継いできた。その温かくも厳しい目こそが、今なお京文化を育む力であり、よそ者に憧れと劣等感をも抱かせるイケズの根源なのだ。
丹念な取材と考察を重ねて千二百年の伝統「イケズ」の正体を解き明かすと、均一化して活力を失った現代日本再生の鍵までもが見えてきた!