イケズ――京都人は排他的で底意地が悪く、何を考えてるかわからないという。腹の底で何を考えているのかわからないのは誰だって同じなのに、なぜ京都人だけがそう揶揄されるのか。丁寧な取材と考察を重ねて、京文化の伝統「イケズ」の秘密に迫った幻冬舎新書『京都・イケズの正体』を全5回で試し読み!

(写真:iStock/7maru)

京都は何でできているか

 正確に言えば黒ではない。

 掌に載せて子細に観察すると深い焦げ茶色なのだが、その焦げ茶色の深さが尋常ではないために全体が黒く見える。

 原材料表記には「白ごま、唐辛子、山椒、青のり、けしのみ、黒ごま、麻の実」とある。その一部が黒いのではなく全体が黒い。芳ばしい香りからして、何らかの方法で加熱してあるらしいのだが、不思議と焦げた匂いはない。手触りは、しっとりとしていて重量感がある。

 もうひとつの特徴がつまり、山椒の香りと独特の刺激的な辛味だ。

 うどんでも蕎麦でも、味噌汁でも漬け物でも、卵かけご飯でも、ちょっとした辛味が欲しいときにパラリと振りかけると、たちどころにその食べ物が京都の味に変わる。

 だから初めてそれを知った頃は、もうバカみたいに何にでもかけてみた。寄せ鍋からすき焼きまで、鍋料理にはほとんど万能の力を発揮した。トンカツにかけてもいいし、焼き鳥にも、茹でたりソテーした豚肉にもよく合う。相手は和食に限らない。ステーキやサラダの調味料として使ってもいいし、フライドチキンやピザに一振りするのも悪くない。パスタとの相性がまた絶妙で、シンプルなペペロンチーノにも、トマトソースにもミートソースにもボンゴレにもよく馴染み、そこに幻の京都を出現させる……。

 

 なんだか宣伝みたいだけれど、この「黒いの」を褒めちぎることがこの章の目的ではない。思わず熱く語ったのは、その最初の出会いが感動的だったからだ。

 この調味料にも欠点はある。

 使っているうちに、触れるものがすべて黄金に変わったギリシャ神話のミダス王の気持ちがわかるようになった。

 ……というのは大袈裟だけど、何にでも使っていると、何でもかんでも京都味になってしまうのだ。どんな素敵なものも過ぎれば感動は薄れる。今はここぞというときに、ほどほどに使うようにしている。

 この風変わりな調味料を取り上げたのは、その成り立ちが極めて京都的だからだ。つまり、京都が「何でできているか」を教えてくれる。

『ヒリッとカラヒ』

 ここまで書けば「ああ、あれだな」と思い当たった読者は少なくないと思う。

 その調味料の名を、『黒七味』という。

 調味料好き(?)の間では、かなり有名ではある。

 京都のみならず、東京でも洒落た焼き鳥屋や居酒屋などのテーブルで『黒七味』の特徴的な木製の薬味入れを見かけることがある。数は多くないが、東京や福岡など他の地域にも取り扱っている店がある。

 もっとも東京浅草の『やげん堀』や長野善光寺の『八幡屋礒五郎』の七味のように、全国的に名を知られた七味ではない。

 大量に作れば需要はあるはずだが、生産量が限られているからだ。

 というか、大量生産は不可能だという話を人から聞いた。

 製法が一子相伝だからだ。

 つまり、『黒七味』の製法を知る人がこの世にたったひとりしかいない。だから大量生産ができないということらしい。

 今の時代に、かなり珍しい話ではある。

 どこまでほんとうかはわからない。

 いや、わからなかった。

 

 話の真偽を確かめるために『Ryokaku』を訪ねた。『黒七味』の製造元原了郭(はらりょうかく)が祇園の縄手通に近年構えた、江戸時代の京都の茶店のたたずまいを再現したという店表に「ばったん床几(しょうぎ)」を設けた和モダンなデザインの新店舗だ。

 ガラスの自動ドアをくぐると、店の中には胡麻の芳ばしい香りが充満していた。

「四階が作業場になっていて、主人が胡麻を炒ってる最中なんです。匂いが強くて、申し訳ないんですけど」

 挨拶もそこそこに、原美香さんが言った。

 主人というのは彼女の夫で、原了郭十三代目当主の原悟氏だ。

 告白すると、そこで胡麻の強い香りを嗅ぐまでは、一子相伝というのは製法の秘密が堅く守られているということの、ある種の修辞的表現だと思っていた。

 生産量が限られているとはいっても、今や『黒七味』はネットショップでも買える。どこかの工場で作っているのだろうし、そうであるなら少なくとも工場で製造に携わる人たちは『黒七味』の製法を知っているはずだ。

 なんとなくそう考えていたのだけれど、完全な見当違いだった。

『黒七味』は一子相伝の言葉に違わず、当主の原悟さんがたったひとりで手作りしていたのだった。たったひとりというのはちょっと誇張ですがと言って、美香さんが笑った。

「実は私もちょっとだけはお手伝いしてるんです。材料を量ったり、洗い物したり、ほんとうに差し障りのない範囲ですけど。あとは全部主人がひとりで手作業で作ってます。量も多いし、重労働なんで、機械に任せられるところは任せたらって言うんですけど、ぜんぜん聞いてくれないんです。手作りがいちばんやって思ってはる人やから」

 

 美香さんは元々の京都人ではない。長崎で生まれ愛知で育ち、結婚して祇園の原家に嫁いだ。元禄十六年から三百年余りも続く老舗だと知ったのは、嫁ぐ直前だったそうだ。ただの老舗ではない。

 なにしろ家祖は原惣右衛門、赤穂(あこう)浪士四十七士を束ねた大石内蔵助の参謀格だ。

 原家の家伝によれば、吉良邸討ち入りの翌年元禄十六年に惣右衛門の一子・儀左衛門が剃髪(ていはつ)して了郭と号し、父ゆかりの祇園社門前に香煎(こうせん)の店を出したとある。

 香煎は茶がまだ高価だった時代に一般的だった飲み物で、江戸時代の宿場や街道の茶店の主力商品だ。つまり了郭は祇園社の参拝客向けの茶店を出したということだろう。この時代の祇園には、香煎を売る店が他に何軒もあったようだ。

 原了郭の『御香煎』は、茴香(ういきょう)や陳皮(ちんぴ)など数種類の漢方薬の原料を炒って粉末にし焼き塩と合わせた特別なもので、やがて祇園の名物となり宮中にも納められたという。

 その製法を、一子相伝で父から子へと三百年間も連綿と伝え守り続けてきた十三代目に美香さんは嫁いだわけだ。

「暖簾の重さをすごく感じている人なんです。彼が二十歳のときに、父親は亡くなってるんです。若くして跡を継いで、父親の世代の方たちの中にぽんと放り込まれた。何から何までそこで一から学んだ。暖簾の重さも、周りから教えていただいたんです」

『御香煎』の製法は、原料も使用する量も作り方も了郭の時代から変えていない。塩はもちろん赤穂の塩だ。原惣右衛門の思いが脈々と生きている。

 家族が江戸時代から作り続けてきたものを自分が作るということ、それを自分の一生の仕事として受け入れること。それが暖簾の重みを感じるということなのだろう。

 自分がそれをやめてしまったら、家族の長い歴史はそこで絶たれることになる。暖簾の重みが、元禄の昔に考案された『御香煎』の味を今に伝えている。

 とはいえ、これは昔と同じことをしていれば伝統が守れるという話ではない。

 

『黒七味』には、そういう厳格なレシピは存在していないと美香さんは言う。

「最初に作ったのはたぶんおじいちゃんだろうっていわれてます。二代前の十一代目ですね。たぶんと言うのは、正確な記録が残っていないんですよ。ただ祖父の時代に売られていたことはわかってる。手先が器用で、アイデアの豊富な人やったから、おじいちゃんが考案したんやないかと家族は想像しています。だから『黒七味』はそんなに古いものではないんです。百年あまりにはなりますけど。その当時は新商品なわけですし、時代も変わったし何か新しいものをということで考えはったんやと思うんです。そやから『御香煎』のような細かいレシピはないんです」

 百年ということは、大正の終わりから昭和の初めにかけてのことだろう。それは江戸時代に考案された煎茶が、日本の庶民の間に広く普及するようになった時期と重なる。煎茶の勢いに押されるようにして、祇園社の門前に何軒もあった香煎の店は消えていった。

 原了郭の十一代目が『黒七味』を作ったのは、まさにそういう時期でもあった。

『黒七味』はつまり、原了郭の生き残り戦略でもあったわけだ。

 

 流行り始めた煎茶には手を出さず七味を作ったのは、香煎の製造で培った漢方薬の知識や焙煎(ばいせん)の確かな技術があったからだろう。自分たちが守り伝えてきたものを生かしたからこそ、十一代目の作った七味は京都の人々に受け入れられた。

 それがなぜあんな黒い七味になったかは、今となっては知るよしもない。

 ただ、その見た目も香りも味も、他の七味とは比べようもないほど個性的であることは間違いない。その個性が、『黒七味』の生命だ。

*   *   *

つづく(次回更新は12月31日です)

この記事をシェア
この連載のすべての記事を見る

★がついた記事は無料会員限定

石川拓治『京都・イケズの正体』

イケズ――京都人は排他的で底意地が悪く、何を考えてるかわからないという。腹の底で何を考えているのかわからないのは人間なら誰だって同じなのに、なぜ京都人だけがそう揶揄されるのか。
京都は山に囲まれた狭い盆地に作られた閉鎖的な町だ。そこで発生し、時間の淘汰と外圧に耐えた独自の文化を、京都の人々は工夫し、変化させながら、子々孫々確かな目利きで守り継いできた。その温かくも厳しい目こそが、今なお京文化を育む力であり、よそ者に憧れと劣等感をも抱かせるイケズの根源なのだ。
丹念な取材と考察を重ねて千二百年の伝統「イケズ」の正体を解き明かすと、均一化して活力を失った現代日本再生の鍵までもが見えてきた!