すぐに帰りたくなる癖のせいで人生でいろいろと損をしている。

 人と会うのは嫌いじゃないし人と話すのも嫌いじゃない。だけど僕は、社交をするエネルギーが一、二時間くらいしかもたないのだ。

 エネルギーが切れると帰りたくなってしまうのだけど、世の中の面白いことは大体、始まってから二時間半後くらいから始まるということになっている。早めに帰ってしまうせいで僕はいつも肝心なところを見損ねてしまう。

 

 社交エネルギーが切れると、しばらく一人で静かなところにいないと回復しない。

 長時間のイベントや飲み会などだと、トイレに行くふりや電話がかかってきたふりをして会場をこっそりと抜け出して、外を散歩したりする。

 知らない街をぶらぶらしたり、コンビニに行ったり、公園でペットボトルの水を飲んだりする。まさかみんな僕がこんなところで一人を満喫しているとは思うまい、と考えると少し楽しくなる。飲み会を抜け出して、一人で道端に座り込んで眺める夜の繁華街の様子は美しい。

 

 僕がずっとシェアハウスに住んでいるのも、すぐに帰りたくなるという性質のせいというのがある。

 シェアハウスだと、飲み会があったり人と会ったりしていても、疲れたらすぐに自分の部屋に帰って休むことができる。そして気力が回復したら、またすぐに会に復帰できる。飲み会の途中で自分の布団で眠ることだってできるし、風呂に入ったりすることさえできるのだ。

 外での飲み会だとこうは行かない。帰るというのは、全てが終わることを意味している。

 

 大勢が集まる場だったら抜け出しやすいのだけど、どうにもならないのが一対一で人と会う場合だ。これはどうしても自分だけ抜け出すということができない。それは終わりを意味する。

 特に困るのが気になる異性と会ったりする場合だ。これは必然的に一対一になってしまう。これも大体本当に楽しいことは二時間半後くらいから始まると決まっているのだけど、僕はそこに至るまでに社交エネルギーや思考能力を使い果たしてへろへろになってしまっていて、つい「帰る」という選択肢を選んでしまう。

 あのとき帰らなければもっといいことがあったはずなのに、という夜が人生で三つくらいあるのだけど、詳細に思い出すと悔しくて変な声が出てくるのでやめる。

 

 昔、京都に住んでいた頃、ちょっとしたきっかけで、自分と同じアパートに住んでいる女性と親しく話すようになったことがあった。

 あるとき彼女の部屋に遊びに行ったのだけど、十五分ほど話していると、緊張していたのもあって疲れて帰りたくなってしまい、「じゃあまた」と言って、僕は自分の部屋に帰ってしまった。

 布団で寝転がって、はー疲れたー、としばらく休んでいると、少し気力が回復してきて、やっぱりもうちょっと帰らなくてもよかったのではないか、と思い直して、「ごめん、もうちょっといい?」と言って、僕はまた彼女の部屋に行った。

 でもまたしばらくすると疲れてきて、もう限界だ、もう十分だ、と思って帰ってしまった。そしてまたしばらく自分の部屋で寝て休むと、やっぱりまだ話せてないことがあったような気がしてきて、また彼女の部屋に行ってしまった。

 三度目に行ったときにはさすがに彼女も、また来たの、という感じであきれていた。だけど僕は三度目でやっと、「ちょっと抱きしめさせてもらえませんか」ということを言えたのだった。彼女は、「もっと早く言えばいいのに」と言った。

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pha『ひきこもらない』

家を出て街に遊ぶ。
お金と仕事と家族がなくても、人生は続く。
東京のすみっこに猫2匹と住まう京大卒、元ニートの生き方。

世間で普通とされる暮らし方にうまく嵌まれない。
例えば会社に勤めること、家族を持つこと、近所、親戚付き合いをこなすこと。同じ家に何年も住み続けること。メールや郵便を溜めこまずに処理すること。特定のパートナーと何年も関係を続けること。
睡眠薬なしで毎晩同じ時間に眠って毎朝同じ時間に起きること。
だから既存の生き方や暮らし方は参考にならない。誰も知らない新しいやり方を探さないといけない。自分がその時いる場所によって考えることは変わるから、もっといろんな場所に行っていろんなものを見ないといけない。