大谷翔平はエンゼルスに入団したが、イチローが大リーグで宙に浮いている。

 44歳を迎えたFA(フリーエージェント)のイチローは12月16日現在、まだどこからもオファーがない。

 FAといえば聞こえはいいが、所属のマーリンズは11月4日、「来シーズンの契約を更新しない」と発表した。事実上の戦力外通告である。

 このニュースが伝えられたとき、日本では「イチローがジーターに切られた」と書いた新聞があった。イチローがヤンキース時代、遊撃手だったデレク・ジーターがマーリンズのCEO(最高経営責任者)になったからだが、冗談ではない。何事もビジネスライクで厳しいメジャーは、選手の契約で日本のような情緒的な人事をするほど甘い世界ではない。明らかにイチローを戦力外と評価したのだ。

 私は2014年オフ、ヤンキースが当時41歳のイチローをマーリンズに譲渡したとき、大リーグのイチローに対する評価がひとつの限界を迎えたと感じた。案の定、Bクラスの地方球団でもイチローは「4人目の外野手」で、もっぱらベンチスタートだった。

 あれから3年近くが過ぎた。今シーズンも136試合に出場したが打数196が示すように、ほとんどが代打と守備要員だ。打率.255を残したので、「イチローの代理人が監督の起用法にクレームをつけた」というニュースを読んだが、イチローの力が落ちてきたのは明らかだった。

現役はもういいだろう

 人間は年と共に老化する。若いうちは生まれつきの潜在能力と自然治癒力で、健康と体力を高いレベルで維持しているが、体力は年をとると徐々に、あるいは急激に落ちてくる。そして病気になって「あんた、生活習慣が間違ってるよ」と病気が教えてくれるのだ。

 イチローの場合は、若いころから摂生して人一倍練習したから、これまでメジャーで現役を続けることができた。これは立派なことだが、これまで高いレベルを維持してきた体力と技術も、さすがに降下しはじめたはずである。

 イチローが「50歳まで現役を続ける」と宣言したことは知られているが、私はなぜ、これほど実績のあるイチローが、何年間もベンチ生活に耐えているのかわからない。

 数えきれないほどの大リーグ記録を作り、もう目の前に新たな大記録が迫っているわけでもないのだから、「もういいだろう」といいたい。

 野球選手には現役を引退しても、もう一つの道がある。現役時代に身につけた技術と経験を、後輩たちに伝える指導者の道である。

 私は、体がある程度動く間はコーチをやるべきだと思っている。そして、体が動かなくなったら監督をやればいい。

日本の監督よりマイナーリーグの指導者に

 イチローは将来、日本に帰る気はなさそうだから、いつまでも現役にこだわらず、限界を悟ってマイナーリーグの指導者になればベストの二重丸。選手たちはメジャーで偉大な実績を残したイチローから、一生懸命学ぼうとするはずだ。

 コーチが選手に教えるとき、自分では簡単にできたことが、選手がなかなかできないことがある。そんなとき、「なぜ選手が理解できないのか。どう説明したらわかるのだろう」と悩み、いろいろ考えることが多い。

 つまり人に教えるということは、コーチも選手もお互いに勉強するということ。野球の勉強は現役のときだけでなく、引退してからもできるのだ。

 そしてマイナーのコーチ、監督としての実績を積んでからメジャーに監督として戻ってくれば、ファンも喜ぶ。

 イチローのもう一つの選択肢は、エサを待つ鯉のように口をあけて待っている日本の球界に帰ることだ。

 ただ日本で用意されているのは、イチローの人気と経済効果を当て込んだ即監督のイスである。しかし、このエサには食いつかないほうがいい。

 もし戻ってくるなら、まずコーチとして、未熟な若者たちにこれまでメジャーで培ったプロとしての生活と、数々の記録で証明した野球の神髄を教えてやってほしい。

 人は誰でも、この世の中の進化と向上を実現するという厳粛な使命をもって生まれてくる。

 イチローも、20代まで野球人生を送った日本球界の進歩のために“第二の人生”を生きてほしいのだが、孤高の天才が祖国に帰ってくるかどうかは、誰にもわからないだろう。

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