小谷野敦著『文豪の女遍歴』(幻冬舎新書)――夏目漱石、森鷗外、谷崎潤一郎ほか、スター作家62名のさまよえる下半身の記録。姦通罪や世間の猛バッシングに煩悶しつつ、痴愚や欲望丸出しで恋愛し、それを作品にまで昇華させた日本文学の真髄がここに。
 

 

 

田山花袋 (一八七一 〜 一九三〇) Katai Tayama

 花袋は、本名・録弥、群馬県の出身である。世間には、五十歳近くなった、太った写真が流布しているが、若い頃のは、美形ではないが、痩せていてそれなりに貫録がある。

 花袋は長く博文館に編集者として勤め、のち自然主義の牙城となる『文章世界』の編集長をした。親友の太田玉茗(ぎょくめい)の妹と自然に結婚したが、何といっても、明治四十年(一九〇七)に発表した「蒲団」で知られる。

「蒲団」で、主人公の作家・竹中時雄(古城)のもとへ、弟子になりたいと言ってくる横山芳子のモデルは、広島県上下町(じょうげちちょう、現府中市)出身の岡田美知代である。はじめ竹中は断るが、懇望されて弟子入りを許すと、存外かわいらしい少女であった──美知代は、それほどの美人ではないが、若ければそこそこかわいい、という顔だちである。竹中は次第に芳子にかすかな慕情を覚え、芳子から慕われていると思っていたのが、いつしか芳子に田中という恋人がいるのが分かり、芳子の父を呼んで相談する。芳子は、田中との間に汚れた関係はない、つまりセックスはしていない、と言うのだが、その後、「私は堕落女学生です」と、関係があったことを告白する手紙をよこし、父に連れられて郷里へ帰る。竹中は、そんなことなら貞操を重んじる必要もなかった、自分もやってしまえば良かった、と思い、帰省した芳子の蒲団に顔をうずめ、女の匂いを嗅いで泣く、というのが「蒲団」である。

 これは、発表の三年ほど前に実際に起きたことである。だが、花袋が書かなかったことがある。美知代が来てからほどなく、花袋は日露戦争(一九〇四年勃発)に従軍記者として出征する。すると美知代は、花袋宛にさんざん手紙を書く。それが、ほとんど恋文のようなものすらあるのである。「中年」などと言っているが、花袋はまだ三十四、五で、若い女からこんな手紙をもらったら、そりゃあその気になるだろう。

 ところが、花袋が帰国する頃になると、美知代の態度が変わっていた。美知代に、永代(ながよ)静雄という恋人ができていたのだ。静雄も文学青年で、当時は投稿雑誌というのがあり、ペンフレンド募集をして、男女が知り合うことがあった。二人は関西学院でのキリスト教の集まりで会い、京都で一夜を過ごしてしまったのである。花袋としては、突然梯子を外されて、煩悶もしただろう。その気持ちを描いたのが「蒲団」で、ただし美知代の手紙のことは伏せてあるから、「あれは単に師匠としての気持ちでしかなかったのか」という部分は、対応する美知代側の働きかけが抜けているのだ。

 とはいえ、花袋は明治四十年、「蒲団」発表の年に知った藝者・飯田代子(よね)を生涯の愛人とし、最後も代子宅で倒れたのである。

「蒲団」を初めて見た美知代は「あらっ、あたし、書かれちまったわ」と思ったが、結局は永代とともに再度上京し、花袋に世話を頼んで結婚した。美知代はそれなりに小説も書き、永代のほうは『不思議の国のアリス』の初訳などもしていたが、のちに離婚し、花袋は昭和五年に死ぬが、戦後、和田芳恵の「名作のモデルを訪ねて」という探訪記事で、「蒲団」では永代が、関西弁をしゃべる間抜けな男として描かれているなどと不満を述べるようになる。まあ、小説のモデルにされると、やはり被害感情を抱くものらしい。美知代の兄・岡田実麿は、英文学者で、漱石の後任として一高で英語を教えていた。

 なお永代静雄については大西小生(しょうせい)、美知代については広島大学の有元伸子が細かな研究をしている。

 

 *参考文献
 ・小林一郎『田山花袋研究』全十巻、桜楓社、一九七六-八四
 ・大西小生『「アリス物語」「黒姫物語」とその周辺』ネガ!スタジオ、二〇〇七

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小谷野敦『文豪の女遍歴』

下司だ、覗き見趣味だと言われようと、文学者の異性関係を知るのは楽しい。彼らが当時の姦通罪に怯え、世間の猛バッシングに耐えながらも不義を重ねたり、人間の痴愚や欲望丸出しで恋愛し、破滅と蘇生を繰り返し、それを作品にまで昇華させるタフさに畏怖すら覚える。小説はモデルなど詮索せず、文章だけを虚心坦懐に読めと言う人もいるけれど、そんなつまらない味わい方はしたくない――。森鷗外から太宰治、芥川龍之介、谷崎潤一郎ほかスター作家62名の赤裸々な性愛の記録。日本文学の真髄と、生の根源がここに。