小谷野敦著『文豪の女遍歴』(幻冬舎新書)――夏目漱石、森鷗外、谷崎潤一郎ほか、スター作家62名のさまよえる下半身の記録。姦通罪や世間の猛バッシングに煩悶しつつ、痴愚や欲望丸出しで恋愛し、それを作品にまで昇華させた日本文学の真髄がここに。

 

泉鏡花 (一八七三 〜 一九三九) Kyoka Izumi

 泉鏡花は、金沢出身である。本名は鏡太郎。母は鈴といい、弟妹を生んだのち、鏡太郎が九歳の時に死んだ。

 鏡花は十八歳で上京し、尾崎紅葉に入門しようとしたが、勇気が出ずに一年間放浪、やっと門を叩いてすぐ入門を許された。

 鏡花は近代的な恋愛至上主義者で、親のとりきめた縁談などというものを唾棄(だき)した。その思想は『婦系図(おんなけいず)』にもはっきりと出ている。

 だが大学などへ行っていない鏡花の恋愛の場は、花柳界であった。すずという、母と同じ名前の藝妓に恋をして、同棲した。だが師の紅葉は、藝者との結婚を認めなかった。その時すでに紅葉は胃がんで死の床にあったが、病床へ鏡花(三十歳)を呼んで、別れろと言った。

 鏡花はいったんすずと別居し、紅葉が死んだあとで妻に迎えた。

 鏡花は私小説は書かないが、この経験だけは『婦系図』に書かれていると言われる。真砂町の先生に、藝者と別れろと言われて、湯島神社の境内で「別れろ切れろは藝者の時に言う言葉よ、私には死ねと言ってちょうだい」という、新派でよくやった場面は、舞台のために鏡花が改めて書いた「湯島の境内」である。

 だが、そんな仕打ちをされても、鏡花にとって紅葉は神のような存在なのである。紅葉没後、その華麗な浪漫主義を鏡花は受け継いだが、徳田秋聲は紅葉を裏切って自然主義派になった。鏡花は秋聲とは犬猿の仲になった。昭和に入って、紅葉全集を作るため、改造社の山本実彦が、鏡花と秋聲を仲直りさせようとした。対面して話しているうち、秋聲が「紅葉先生は甘いものばかり食べたから胃がんになったんだ」と言った。鏡花は間の火鉢を飛び越えて秋聲に飛びかかり、ポカポカ殴りつけた。

 山本はあわてて秋聲を抱えて逃げ出し、秋聲行きつけの料亭へ行ったが、秋聲は号泣していた。そのうち、秋聲が経営するアパートに、鏡花の弟で、「舎弟」だというので泉斜汀(しゃてい)と名のっていた作家が住むようになり、そこで死んでしまった。秋聲がいろいろ手配して、鏡花とも何となく和解した……。

 鏡花は、女よりも尾崎紅葉のほうが好きだったようだ。

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小谷野敦『文豪の女遍歴』

下司だ、覗き見趣味だと言われようと、文学者の異性関係を知るのは楽しい。彼らが当時の姦通罪に怯え、世間の猛バッシングに耐えながらも不義を重ねたり、人間の痴愚や欲望丸出しで恋愛し、破滅と蘇生を繰り返し、それを作品にまで昇華させるタフさに畏怖すら覚える。小説はモデルなど詮索せず、文章だけを虚心坦懐に読めと言う人もいるけれど、そんなつまらない味わい方はしたくない――。森鷗外から太宰治、芥川龍之介、谷崎潤一郎ほかスター作家62名の赤裸々な性愛の記録。日本文学の真髄と、生の根源がここに。