【発売即重版!!】人生100年時代の、男の生き方がここにある。古希(70歳)を迎えた元・大学教授の独り暮らしを描いた、笑えて泣ける珠玉のエッセイ『70歳、はじめての男独り暮らし』。試し読み第4回目をお送りします。エプロン姿も板についてきた西田先生。料理の楽しみを感じ始めます。

目標があるから頑張れる(写真:iStock.com/bonchan)

料理って、たのしい


 たとえ週に2、3回であっても、自分で調理して食事をとるようになりますと、料理を作ることの楽しさが段々と生まれてきます。

 しかし遅い時間に疲れて帰宅した時などは、料理を作る元気はありません。

 そんな時、元気を出すためには、大好きな辛いレトルトのカレーが最高です。いろいろなブランドを試して、味が気に入ったものが見つかりましたので、忙しい日にはサラダとカレーで済ませてしまいます。

 でも、昼から予定がなく、献立を考え、材料を求めにスーパーに出かけることができた日などは、夕方から張り切って料理に挑戦しています。

 今までは、ずっと誰かが作ってくれたものをただ食べるだけで、美味しいとか味が薄いとか批評をするだけでした。しかし実際に料理を作り始めますと、これがとても楽しいものだということを発見しました。

 どのような料理を作るのか献立を考える段階、必要な材料を買い求める段階、切ったり皮をむいたりと下ごしらえをする段階、焼くのか、炒めるのか、蒸すのかを考えて調理する段階、どのような調味料を加えるのかを考える段階、そして出来上がってどの食器にどのように盛るのかの段階と、様々な要素を考えていく必要があります。

 まだ一年少しの経験ですし、私一人で頂くだけで人様に差し上げる訳ではないので、これらの段階のうち幾つかは手を抜いていますし、まだまだできないこともたくさんありますが、一つ一つ進歩させてそのうち私なりの一人賄いの極意を完成させようと思っています。

 生の魚や肉、土の付いている野菜が、調理することにより、美味しくいただける料理に変身していく過程を経験するのは実に楽しいものです。

料理は研究や手術とおなじ

 私は、医学部を卒業して眼科医としての研修を受ける前に9年間ほど生化学という分野で大学院生や助手として研究していました。

 料理をするということと、生化学の研究や実験をするということにいくつもの共通点を感じます。

 まだ訓練を受けていた若い頃は、研究テーマを決めること、つまり料理でいう献立を決めることは、指導者の先生がされ、与えられた研究テーマに対してどのように実験を組み立てて証明していくかという点も指導を受けました。その指導に基づき、実際に手を動かして実験を行うのが私の仕事でした。

 ところがこの段階でも色々と学ばねばならないことが沢山ありました。

 一番大切なことは、段取りで、何かの反応を観察するためには、試薬を入れる順序が大切です。それを間違えると、全く反応が起こらず、一から全てやり直さねばなりません。

 料理でも全く同じです。

 昔から言われているように、調味料を入れる順番は、「さしすせそ」です。知識として知ってはいましたが、その意味がわかったのは実際に自分で調理をするようになってからです。順序を間違えると、味が染み込まないのです。

 フライパンでチキンを焼くときでも、熱を加えないでオリーブ油を入れ、皮側を下にして載せて、それから強火にし、焦げ目が付いたらひっくり返して中火から弱火で蓋をして火を通すと美味しく出来上がります。

 何でもかんでも思い切り熱したフライパンに材料を載せれば良いというものではないようですし、蓋をするかしないかで仕上がりが変わることも学びました。

 調理時間も大切です。焦がしたり、生のままだったりという失敗を繰り返しているうちに、台所には、何故キッチンタイマーがあるのかが理解できました。最近では、一つの動作をすると自分なりに決めた時間をキッチンタイマーでセットして、他の作業を行います。そうすると、他の作業に夢中になって焦がすということがなくなりました。

 段取りと順序というのは、実に実験のプロトコールと同じだと感じるようになってきますと、調理することがとても楽しくなってきました。もう自分では、実験をすることはありませんが、何か若かった時を思い出すようで楽しくてしようがありません
 

 台所の片隅に、小さな料理用の秤(はかり)がありました。

 妻が何かを量っていた記憶はありませんでしたので、どのような時に使うのかなと内心疑問に思っていました。

 魚にしても肉にしても、一人で食べるなら重さを量ってどうこうするということはありません。醬油や酢のような液体の場合は、大さじ何杯と書かれていますから、これは量ります。それ以外のものの重さを量る必要はと、考え込んでしまいました。

 しかし色々なものを適量入れるためには、重さを知ることは大切だと何回か失敗して気付きました。

 そこで、秤を取り出して、重さを量るようにしました。そうするとそのうちに適当にとったものがどの程度の重さかがわかるようになってきます。いちいち秤を取り出さなくても、だいたい正確な量を取り出し、入れることが出来るようになってきます。

 つまり、物差しを用いて、自分の行動を常に計測して訓練していると、そのうちに体や手が覚え、もはや物差しがなくてもほぼ正確に行うことが出来るようになるものです。

 これも手術と同じです。

 若い頃は切開する前にゲージで長さを測り、色素で印をつけてその部分だけ切るように訓練を受けました。そのうち感覚的に長さを覚え、ゲージ無しで切開してもほぼ正確に切れるようになります。新しい手術法が出て、長さが変わると、またゲージを取り出してしばらく測った長さだけを切るようにして覚える、ということの繰り返しでした。

 客観的な物差しを置いて、その物差しに合わせて行動しながら、徐々に物差しが必要でなくなるという一つの成長の過程です。

 妻はその段階を既に終えていたので、私には「量ったりしないのよ。適当に入れれば間違いなく美味しく出来上がるのよ」と嘯(うそぶ)いていましたが、多分昔むかし初めて料理をしていた頃は妻といえども量っていたのではと考えてしまいます。

 先ほども述べましたように、研究テーマやプロトコールは最初は指導者の先生からいただきます。

 ちょうど料理で言えば、クックパッドやテレビの料理教室のようなものです。

 でも指導者の先生に叱られながらも、信頼していただけるような結果を出すようになりますと、徐々に自分で考えてごらんと言われます。さらに自分が若い人たちを指導するようになりますと、それぞれの若い人たちの好み、興味や性格などからどのようなテーマが良いのかを判断して与えねばなりません。

 このような過程を踏んで、それなりに成長してきましたので、今献立が決められなくても、美味しく作ることができなくても、そのうち友人を招いて私の作った料理でおもてなしできるようになるさという希望は湧いてきます。

 つまり自分が焦がした焼き魚を食べながらも、料理作りに絶望せず「そのうちなんとかなるだろう」と楽観的に考えられるのは、私の性格によるものかもしれませんが、大学院生時代の研究のおかげでもあると思います。

 まさか研究に没頭することが、自炊をする時に役立つなどとは五十年近く前には夢にも思いませんでした。

 人生というのは、何も無駄はない。

 特に若い時には自分が何のために何をしているのかが十分に理解できなくても、歳をとって世界を見る目が変わったり、立場が変わった時に思わず役に立つのかなと思います。

 妻が残している沢山の調理器具、電気製品、台所用品、それに調味料を今の私は完全に使いこなしていないことは分かります。

 でも料理を作ることの楽しさが分かり始めましたから、これから少しずつレパートリーを増やして、一つでも二つでも使いこなしていきたいなと考えています。
 

  * * *

これまで懸命に生きてきた軌跡が、いま、自分を助けてくれる。
次回はいよいよ洗濯に挑戦する西田先生。11月23日更新です。

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西田輝夫『70歳、はじめての男独り暮らし』

「このまま私はボケるのか?」定年後の独り暮らしを描く、笑えて泣ける珠玉のエッセイ! 古希(70歳)を迎えた元大学教授が、愛妻を癌で亡くした。悲しみを癒す間もないままひとりぼっちの生活が始まるが、料理も洗濯も掃除も、すべてが初めてで悪戦苦闘。さらに孤独にも苦しめられるが、男はめげずに生き抜く方法を懸命に探す。「格好よく、愉しく生きるのよ」妻の遺言を胸に抱いて――。<目次>はじめに/第一章 家事に殺される!? ~オトコ、はじめての家事~/第二章 男やもめが生きぬくための7つのルール/第三章 妻を亡くして ~オトコ心の変化~/第四章 妻がくれたもの ~大きな不幸の先に大きな幸せが待つ~/おわりに