ロザン菅さんの『身の丈にあった勉強法』を発売前に読んで「感想文を送ろう」企画!絶賛、こちらでご紹介させていただいています!

ご自身の反省や気づきが、具体的にたくさん書かれたAmmyさんの感想文。理路整然とわかりやすく書かれたこちらの感想文から、「学び」をたくさんいただきました!
実はつい最近、雑誌の取材を受けたときに菅さんが、「『身の丈』ってのは、どんどん変わる、成長する」っておっしゃってたのです。それを横で聞いていて、「なるほど~!」と思ったのですが、Ammyさんは何度も読みながら、自力でそれに気づいているのです。スゴイ!!

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【 Ammy 】さんから届いた感想文

 読み終えて本を閉じた時、感嘆とともに惜しみながら思った。

「高校生の時にこの本に出会いたかった。」

 もしもタイムマシンがあるならば、この本を携えて高校生の頃の自分に「今ならまだ間に合う」と勉強の大切さを説いているに違いない。勉強「させられている」状態の当人が聞く耳を持っているかどうか別として。

 けれどもこの本に書かれていることを少しでも実践していたら、その理屈を理解していたら、教科に関わらずテストの点数は上がっていただろう。勉強に対する苦痛も少しは和らいだかもしれない。と、大人になった今は思う。

 本を読み進めていると時折痛いところを突かれる感じがして、その理由、もとい心当たりを探して記憶を辿ってみた。すると現在はもちろんのこと、普段はそこまで遡って振り返らない中学生の頃の勉強の様子まで自然と思い出した。授業を受けていた時、自習に励んでいた時、自分がどんなことを考えながら勉強していたのか。ページをめくる度に少しずつ蘇っていく気がした。

 特に「痛い」と感じた部分――それは《「予習と復習」、どちらかを捨てるべき。》の章だった。このタイトルを初めて見た時、私は今までの勉強の習慣から見て、捨てるのは「予習」だろうと迷いなく考えていた。

 理由は、初めて見る内容がしっかりと理解できないような気がするため自分にとっては予習は無意味であり、その代わり学校の授業を集中して聞いて、十分に理解できなかった部分を塾の先生に説明してもらい、問題集を解くのが内容の定着として一番良い形だと思っていたからだ。学校では授業の流れを妨げるんじゃないかとなかなか質問できなくとも、塾では時間を気にすることなく一対一に近い形でじっくりとわからない部分に向き合うことができた。また、部活動に勤しんでいた為、予習する時間を当時はまだ上手く作ることができなかった。

 しかし、その章を読んでそれは間違いであることがわかった。読めば読むほど、自分の考えが隙だらけかつ甘さだらけということを身にしみて知ったのだった。

 果たして復習できるくらい授業を聞いていただろうか?部活動の疲れに打ち勝ってしっかりと塾で勉強できていただろうか?そもそも予習とは初めて学ぶ部分なのだからわからなくて当然である。本に書かれているように「教科書をパラパラ読むくらい」程度の予習でもやっていたら、わずかにでも精神的な余裕が作れたかもしれない。その積み重ねで成績が上がる兆しだって見えそうな気もする。

 さらに振り返ってみると、確かに塾で例題を解くことにより、授業でささやかながらも余裕作れた経験があったことを思い出した。忙しさやら何やらでスルーしたのか、そこで味を占めなかった自分を今更ながら悔いた。この自分の考えでは授業についていくことはできても、学力の向上には結びつきづらいのではないかと今では思う。

 そういった意味では、勉強と部活動の両立で忙しい学生にとって少しでも楽になる為の重要なヒントとなるかもしれない。時間がない学生には「せめてこの章だけでも読んで!」と勧めたい。

 また、「身の丈にあった生き方」の「身の丈」はずっと同じ丈ではなく、自分自身の頑張りや努力によって変化するものではないかとこの本を読んで思った。正直言うと、最初は「理屈はわかるけど、ずっと身の丈にあわせて生きるのは味気なさそう」とか「時々ちょっと背伸びして苦しさや悔しさを味わって、それをバネにして成長するのもありではないか」と思っていた。

 けれども、自分の現在の身の丈を知ることをスタートとして、その時点でできることをやっていけば、自ずと知識や力がついてくる。そこから余力がついたりやっていることに物足りなさを感じた時に、改めて自分の身の丈はスタート地点に比べて成長していることになる。つまり、「身の丈にあった」という根本的な部分は変わらなくとも、その考え方を基にしてできることが増えていけば、停滞からちゃんと進歩に繋がるのかもしれないと、何度も読み返すうちに気づいたのだった。

 それはおそらく《身の丈にあっていない高校・大学に入ると、成績が伸びなくなる。》の「箱」の原理に近くて、箱にあれこれ入れられるようになったから「もっとバージョンアップしたい!」というような感じだろう。

原稿用紙で全8枚の大作です!

 そして、何よりも「身の丈にあわない考え方は勉強だけでなく、生活していく上でも自分で自分の足を引っ張ることにつながる」点が、この本において最も肝心な部分ではないかと思っている。先述した「時々ちょっと背伸びをして――」という考え方は上手くいくこともあるが、時として自滅に繋がってしまうこともある。

 例えば、周りの人の成果を見て羨ましがったり焦ったりして、自分の実力を把握しないままそこに追いつこうと身の丈以上のことをするとボロが出てしまう。さらには無駄なエネルギーばかり消費してとうとう電池切れになり、回復するまで時間がかかるせいで追いつこうとしていた周りの人と大きく差が開いてしまう。そうしてまた焦ってしまう、という負のループに陥る。

 そういう風にならない為にも自分の身の丈を知ることはとても大切で、かつ他人と比較せず相手の身の丈を素直に認めることが、自分の身の丈を良い方向へ成長させる糧になるだろう。

 私はロザンを好きになってからまだ日が浅く、特に今までクイズ番組で見かける宇治原さんのことをそれこそ「凄いなぁ。自分にはできないなぁ~」と思っていた。しかし、今回このような機会を頂いて本を読み、もしかしたら自分にでもできるかもしれない、社会に出たばかりの今ならまだやり直しが効くかもしれない、と少し望みが持てたのだった。

 もちろん、私の学力は菅さん・宇治原さんには遠く及ばない。一生かかっても追いつくことはできないだろうし、追いつこうとも思わない。それはすでに今現在での自分の学力の丈を知っているからで、追いつこうとすることはおそらく自分に合うサイズでもない・似合いそうもない服を必死になって着ようとするような感覚だからである。

 それでも、そう望みが持てたのは、理にかなった勉強法はもちろんのこと、「大丈夫大丈夫、君にもできるよ」と言わんばかりの菅さんのこれまでの経験や菅さんから見た宇治原さんのエピソード、それを肩肘張ることなく親しみやすいように読者に近い目線で綴られているからではないかと感じた。勉強法の本にありがちな堅苦しさを感じることなく、時には思わず声に出して笑ったりと終始漫才やトークを観ているような気分で楽しく読み進めることができた。文中から二人の笑い声が聞こえてきそうな気さえする。

 この本を読みながら、何度も自分の身の丈について見つめ直した。毎日仕事で必死だった為に、本当にやりたいことに対して上手く力が入らなかったり空回りしてしまうことが多々あった。身の丈を知りつつある今、以前よりも肩の力が抜けて楽な気持ちで向き合えそうな気がしている。

 これからこの本をたくさんの人が手に取るはずで、その身の丈はそれぞれ違うことは確かだ。どんな身の丈でも、きっとこの本なら和やかに受け入れてくれるだろう。

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菅広文『身の丈にあった勉強法』

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