1 スキャンダルの後に速攻で根回しできちゃうこじるり

(写真:iStock.com/KatarzynaBialasiewicz)

日曜日の昼間、妹が「アッコにおまかせ」をかけていて、私も息をひそめて見守っていた。その週の注目ポイントは、番組の準レギュラーのこじるり(小島瑠璃子)の初スキャンダルに切り込むか否かだったから。

初スキャンダルと言っても、関ジャニの誰だかとお泊り月何回とかそういう系統。相手にはさほど興味ないんだけど、こじるりには興味ありあり!

結局、テレ東の選挙特番でこじるりのリポートが素晴らしかったと散々持ち上げた後に、番組はちらっとこの件に言及した。だって、スルーしたらまたなんか言われちゃうもんね。

「全然いいんちゃう? お互い独身だし」が和田アキ子のコメント。うん、同感。別にいいよ、誰もそこまで責めないよ。

私が注目したのはむしろ次のコメント。

「うん、確かにこじるりからは電話もらったよ、ほら、私もよく飲みに一緒に行ったりしてるし」

そこで私は、こじるりを「優等生病」と命名したわけ。

だって、弱冠23歳で、その気のまわし方とかちょっとおかしくないですか? 力のある人と飲みに行ってコネクションを作り、さらにはピンチの度に電話してさり気なく助言を仰ぐ。アドバイスなんて要らないという賢い子もいるだろうが、それでも殊勝にお礼を口にするのは、さらに聡明な証。

ベッキーもこの手の優等生病だったのだろう。自分への要求水準が異常に高くて、とにかくキリキリ頑張りそう。松居一代が優等生かどうかはともかくとして、だらけることを許さず、自分にも他人にも厳格なところは基本的に同じ。

で、今日はハイスペ女子の「優等生病」について考えてみたい

2 「女の立ち位置は小学校入学時に既に決まっている」

彼女たちのように気遣いがデキる人間ではない私は、失敗ばかりだが、その度に気持ちを切り替えられずに、鬱々としてしまう。

例えば、それは土曜日の朝のめくるめく自己嫌悪から始まる。前の晩の金曜日、私はある集まりに顔を出した。さほど長居するつもりはなくて、遅くとも日付が変わる前には家に帰ってくるはずだった。ところが、何を間違ったか三次会まで流れてしまい、気づくと午前3時を過ぎる始末。飲み会ではまわりを盛り立てるのが、私の習い性になっている。学歴だけで警戒されると、過剰にへりくだる癖がつく。一度会食を伴にした妹が、「真由ってまるで道化」と帰り道に呟いたときには、ドキッとした。

さらに言えば、私は特にまわりの女性に気を遣ってしまう。

保育園のとき「王様、姫様、豚、こじき」って遊びありませんでした? 自分の名前の文字数で自分がキングなのか姫なのか、はたまたブタかこじきかを占うの。私の名前は

「や・ま・ぐ・ち・ま・ゆ」で六文字。

だから、「王様・姫様・豚・こじき・王様・姫様」

えっ。ちょっと待って。私「姫様」なんだけど。私、今の今まで「こじき」だと思い込んでた。保育園のあの日に何度やっても、私は「こじき」だったんだけど。どっちが間違ってるの? 今の私? あの時の私? ここの自己認識が、今の私を作り上げちゃったんだけど。これまでの「こじき」としての私の年月を取り戻して、「姫様」として生き直したい! まぁいいや、あんまりよくない、でもいいや。

「女の立ち位置は小学校入学時に既に決まっている」というのが、林真理子さんの持論だったと思うけど、確かにそうなのだ。保育園の時に自らをこじきと認識した少女は、とにかく姫君をかしずく側にまわってしまう。

そうやって飲み会のたびに、上の人にも女性にも気を遣い、私は消耗していく。楽しいとも思うのだけれど、本質的には社交的でないのに過剰に気を遣うことで、私は自分自身を磨り減らす。

とにかく、私は1年の約3分の2を果てない自己嫌悪とともに生きている。きちんとやりたいと常に思う。でも失敗する。結果オーライでも、その度に自己嫌悪だけが長く後に引く。私はどうしてこんなにいつもダメなんだろう。

3 社会人になっても「怒られたくない病」が治らない女たち

友人の女医が私にこう言った。

「後輩の女の子、国立の医学部出てるから、めっちゃ成績イイんだと思うんだけど、仕事できないんだよね」

よく聞くと、その子は「怒られたくない病」だという。

「上の先生から叱られるのが怖いから、施術の最中に質問しないで、怒らなさそうな先輩に聞きにいっている」

「それで、こないだ上の先生から『処置がマニュアルと違う!』って怒られたことをすっごく根に持ってる。それなのに、医局の先生全員に『この処置、マニュアル通りにやってますか?』って聞いて回ったりして。つまり、『私もみんなと同じようにやってるんだから、私だけ怒られるのっておかしいですよね?』って確認してるんだよ。あれ以来、『私、○○先生に嫌われている』とか言い出す始末」

怒られたくない、私は悪くないと全身で主張している彼女は、仕事人としては全然伸びていかないらしい。

その後輩の気持ちを、私は分かると思ってしまった。

この子もきっと「優等生病」に陥っている。

きちんとやらなくてはいけない。幼いころから成績の良かった自分はきっとできるはずだ。できない自分を認めることができない。

こういう「優等生病」の行きつく先は二つある。一つは、さきほどの後輩の女の子のように、叱る人を恨むようになる。もう一つは、社会に出てからも「優等生」であり続けられる稀有な人でも、自分への過度な期待を持つことになる。でも、それって決していいことじゃないと思う。それは徐々に自分とまわりを蝕(むしば)んでいくだろう。

なぜって、自分に対する厳しさは、同時に他人に対する厳しさにもなるから。自分を許せない人が、他人を許せるはずがないから。周囲に厳しい基準を要求し、緊張を強い、愛されない人になっていくのだろう。

成績優秀で鳴らしたハイスペ女子の多くは、「優等生病」を抱えて、自分と和解できずにいるのではないか。

4 「夢とともに眠り、義務とともに起きる」

私は、正直、そろそろ疲れたなと思うことが多い。

朝起きて、「したいこと」なんてひとつも思い浮かばないのに、「すべきこと」ばかり目の前に並ぶとき。心が躍ることや楽しみにしていることは年々少なくなり、義務感だけが残る。

テキサス州でリンドン・ジョンソン大統領の家を訪ねたときに、奥さんのレディ・バードの枕には「夢とともに眠り、義務とともに起きる」と刺繍されていたように記憶している。生まれながらの政治家だったジョンソンは、寝室から食卓まで至る所に電話を引き、常に仕事をして家庭を省みなかった。女性問題も多かったらしい。ファーストレディを「(選挙ではなくて)夫だけに選ばれた無償の公僕」と絶妙に揶揄(やゆ)して見せたレディ・バードは、その皮肉な物言いとは裏腹に、期待以上の職務をこなしてファーストレディとして史上最も高い評価を受ける一人となった。彼女には「優等生」として人生を全うするだけの天賦の忍耐があったのだろう。

ただ、あの枕の刺繍を見たとき、私はふと「この人の生涯は幸せだったのだろうか」と思ったのである。

自分と和解できないことはつらい。常に義務感に駆り立てながら自分を追い込むことは厳しい。「優等生」の偉大な先輩たちを敬して憧れる気持ちはあっても、それでも私は自分と和解すべきだと思うことがある。

「今までよく頑張った」

ハイスペ女子のあなたが、もし、誰かにそう言ってもらうのを待っているのなら――自分に自分でそう言ってもいいんじゃないだろうか。自分を理解してくれる片割れを見つけることに躍起になってきたかもしれないけど、自分を認められない人には他人を丸ごと受け入れることはできまい。

自分に優しくない人は、きっと人にも優しくなれないのだから。

この記事をシェア
この連載のすべての記事を見る

★がついた記事は無料会員限定

関連書籍

山口真由『ハーバードで喝采された日本の「強み」』(扶桑社)
→書籍の購入はこちら(Amazon)


山口真由『リベラルという病』(新潮新書)
→書籍の購入はこちら(Amazon)