1 「誘われるのを待つ→神に祈る」は有効なのか

(写真:iStock.com/MilanStojanovic)


私は、たぶんフェミニストにはなれないのだと思う。

アメリカの病院に勤める日本人のお医者さんと話してて、ふとした会話の弾みに

「っていうか、女性側からプロポーズってしていいんだっけ?」

と聞かれたことがあった。この人、すごいこと言うって、アメリカでそんなこと言ったらフェミニストに怒られるって思ったけれど、私の価値観もこの人と大差ないと今になって知る。この手の話題について多くが保守的な価値観を持っているではないか。「リベラル」と言われる人(または、それを気取る人)は、それをあえて口に出さない。それが良識だということになってるから。結局、中身じゃなくて、上辺が違うだけじゃないかって思う。

誘われるまで待つ、請われるまで待つという受け身は肌身に染みたもので、自分から誘うなんて勇気は、私にはない。この人は素敵だと思ったときに、そうタイミングよく向こうから誘ってくれるわけでもないから、為す術のない私は、神に祈るという、合理的な現代女性の標準から著しく外れた方法に頼る。この方法が効果を顕したことは、残念ながらいまだかつてない。

2 「10円単位の節約」は、男女で違った意味を持つ

私が、フェミニストになれないって思うのは、男が富を女が美を提供するって価値観をよしとしてるんじゃないかって感じるとき。小倉千加子さんに「カネ」と「カオ」の交換って言われたあれね。

先日、弁護士事務所を経営している大先輩とご飯に行った。私の他には研究者が2人。庶民的な中華のお店で、熱々の料理を回転盤でまわしながら食べるスタイルは気楽で楽しい。食べログにも「リーズナブル」「コスパがよい」とのコメントが並んでいた(人はなぜ、「安い」をこうも繕いたがるのだろう?)。会計の段になったときに先輩は、

「ここは僕の家の目と鼻の先で、僕の庭みたいなところだから」

といって、伝票をさっと手に取ってレジに向かった。

う~ん、さっすがー。先輩ありがとうございます!

戻ってきた先輩は、私達に向かって、

「ここはもちろん奢ってもいいんだけど、うーん、それだと気を使わせるかもしれないから、一人5,000円ね」。

ふむ?

そう、そのとき確かに私は「ふむ?」と思ったのだった。

財務省時代から通った霞が関の大衆居酒屋でも、似たような経験をした。勘定書きがまわってきたときに、上司はそれを見て私にこう言った。

「山口は8,000円でいいよ」

出したお金を上司が持っていって会計を済ませてくれた。で、私はお店の人に「私の分の領収証をください」と頼んだのだ。経費として落とせるのか分からないが、弁護士という自営業者になった後のたしなみだった。そこで、お店側は何を間違ったのか、私の分だけでなく全体の領収証を持ってきた。そこには

「お食事代:1万円」とあった。

これは「ふむ?」レベルを超えて、切なくなった。

女同士だったらこうはならないと思う。むしろ、さくっと割り勘にしてもらったほうが、気を遣わないし、次に誘いやすい。主婦がスーパーで10円単位で値踏みしている分には「節約上手のいい奥さん」なのに、男だとみみっちいっていうのは、男女差別ではないかと言われそう。それなら認めてしまおう、私は男女不平等主義なのだろう。

男たちの美意識が壊れる瞬間をできるだけ見たくないと思う。少し無理をしてでもかっこつけたままでいてほしいと思っている。プライドを保っていてほしいというのは、彼らへの気遣いのみならず、私の切なる願いでもある。こういう態度はフェミニストから批判されるはず。

3 朝から髪を巻くのに疲れた女と、生意気な女をもてなすのに疲れた男

で、男がここまでやせ我慢をしてダンディズムだか何だかを提供しているときに、女はどんな価値を提供しているのってことになる。要すれば「美」なのだろう。「カネ」と「カオ」って言ってしまえば、身も蓋もないけどね。

私の友達は「美容室とか、お化粧品とか、めっちゃお金かかるじゃん? 男の人ってそういうのないじゃない? そう思うとお会計持ってもらってもいいかも」と言っていた。はあちゅうさんも美容代に月7万円かかるって計算して、おごってもらって釣り合う的な発言をしてた気がする。

これは見た目の「美」だけではない。可愛げを求められることもあるし、ときとしてそれは無知であることをも意味する。別の友達は「知ったかぶりされても、『そうなんだ~。そうすごいね』って主導権を譲ってるからって思えば」と言っていた。

デートの時に「食前にはいつも何を飲みますか?」って聞かれて、「ビールか、シャンパンが多いです」って言ったら、

「ミモザって知ってます?」と聞かれたらしい。

知らないわけないじゃんって喉元まで出かけたけど曖昧に笑ってたら、「ミモザ2つ」って頼んじゃったんだって、相手が。「シャンパンの大半をジュースで割った上に、大した値段も変わらない飲み物なんて、私は全然いいと思わない」のだけど、ニコニコ笑ってるわけだからってさ。うん、そうかもね。

私に似たような経験があるとしたら、女の子扱いされて飲み会に駆り出されたことかな。

財務省のときにも政治家の先生が職員を集めて飲みたがってるみたいなことが、たまーにあって、「今日は、仕事はいいから、そっちを優先しなさい」みたいに言われ、なんで私だけって思った経験がないわけじゃない。

弁護士になってからも、なんだかよく分からないが、他の法律事務所の中には打ち上げに綺麗どこの秘書がずらっと並ぶところもあるらしく、「お宅はそういうことできないんですか?」っていうプレッシャーがお客さんから来ることもあるらしく、で、秘書をかき集めるのはパワハラだかセクハラだか、その両方だかでまずいから、弁護士ならいいだろうと飲み会要員に選んでいただいたことがあった。

「そんなの屈辱!!!」って抗議するほどの強い思想性もない私は、でもなんだか煩わしいと思った。同期の男の子たちはその間にも仕事をしていて、結局は男女かかわらず仕事で評価されていくわけでしょ。この飲み会は仕事じゃないけど、その割にけっこう大変だったりする。だいたい「俺は客だぞ!」的な、高圧的なオジサマが相手で、彼が度量の広さを発揮できるくらいの適度な生意気さ加減が喜ばれ、だけど絶対に本気で怒らせちゃいけない。それなりに狭まったストライクゾーンに投げ込むことになり、とことん気疲れする。せっかくの高い料理だって、うまく味わえない。

いや、別に文句を言うつもりはないの。上の世代には現役パワハラ&セクハラの人が残ってるし、そのうち一部は声が大きいのか、まじでパフォーマンスが高いのか、相当出世している。政財界で力がある人なら、めちゃくちゃな要求も無下には断れず、財務省のときだって弁護士になってからだって、上司は私の前で密かに手を合わせる。「今回は、本当にごめんね」って。

私は、もしかしてただ怠いだけじゃなくて、こうやって「女の子」扱いされることに、どこかで満ち足りていたんだろうか。そういうことが一切なくなると、寂しいと思うようになるのかな? うーん、そこまで突っ込んで考えてみるのも怖いけど、とにかく、心のどこかで、富を提供し美と交換するという価値観を肯定してしまっている。

だが、私の古い価値観とは逆に、世の中は中立性を志向しようとしている。イギリスの若い世代は、最近だと「レディファーストもしない方が無難」なんだって。エレベータを降りる順番を譲ると、部下の女性のご不興を買ったりするから、もう肩書の高い順番から降りよって。現代人は、男も女も押しなべて疲れている。女たちは眠い目をこすりながら早起きして髪を巻くのに疲れたし、男たちは大して好みでもない上に、奢ってもらって当然って態度の生意気な娘をもてなすのに疲れている。もう、お互いこんなの投げ出したい気持ちなのだろう。

「男らしさ」「女らしさ」というルールを決めて、お互いにやせ我慢してそれを守って称賛しあう――太古の昔から続く、この巨大な遊戯はそのうちなくなってしまうのだろうか。私の中学なんて、女の子が家庭科で刺繍している間、男の子は技術科で金属加工とかしてたけど、ああいうのは今はもうやらないのかな。それとも、また揺り戻しがあるのだろうか。

どちらがいいのか、私にはまだよく分からない。今決めているのは、めんどくさいから今日はメイクしないってことだけ。ということは、美の提供も何もとっくに放棄したわけだから、5,000円徴収されたとかでグチグチ言うのも、やめないとね。ほんとに今までごめんなさい……

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