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あの人は、なぜあなたをモヤモヤさせるのか

2017.10.17 公開 ツイート

焼き鳥を串から外す行為は本当に正しいマナーなのか? 宮崎智之

写真:iStock

彼氏面男子、読モライター、社畜ポリス、駅で海藻のように揺れるカップルなど、これまで話題のバズワードを数々生み出してきたフリーライターの宮崎智之さんが、恋愛、仕事、悪女、マナーという4つの観点から現代社会をモヤモヤさせるものたちを分析、解体した、電子書籍『あの人は、なぜあなたをモヤモヤさせるのか』「第四章 マナー編」から、一部を無料公開します。テーマは、「焼き鳥の串外し」問題について。

 

出処が不明の「平成しぐさ」

 世の中には、さまざまな“常識”がある。コミュニケーションや社会システムが複雑化した現在においては、よりその内容が細分化し、日常生活のルールとして浸透している。

 デジタル大辞泉によると、常識とは「一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力」という意味なのだそうだ。補足説明に「common senseの訳語として明治時代から普及」とあるのが面白い。それ以前は、どのような言葉で言い表されていたのか、もしくは常識という概念すらなかったのか、寡聞にして知らない。

 ところが、現在においては、「一般の社会人」が「共通」した常識を持つことが難しくなっている。人々の間で微妙に食い違う常識に対する考え方は、しばしばSNS上で可視化され、論争の種になる。常識が炎上の種になるのだから、日本人の常識観も大したものである。そもそも「一般の社会人」「普通の知識・意見や判断力」なるものが存在するのかも疑わしい。

 2016年の冬、ネット上で、ある論争が巻き起こった。

 きっかけは、東京・田町などに店を構える「鳥一代」の店主が、『焼鳥屋からの切なるお願い』と題した記事をブログに投稿したこと。店主は、「ここ数年。大多数のお客様が、焼き鳥を串から外してシェアをして食べられています。焼き鳥として…凄く悲しい」とし、一口目を大事にするため頭の部分を大きめにする、串の真ん中より上の部分に塩を強めに振るといった、串に刺して調理する焼き鳥ならではのこだわりを紹介。「その一本の中にドラマがある! その焼き鳥が…テーブルにつくなり、バラバラに。これだったら切った肉をフライパンで炒めても同じです」と訴えた。

 この投稿に対する反響は、店主の想像を超えるものだったようだ。フェイスブックのシェア数は3万2000を超え、ネットニュースのみならずテレビのワイドショーをも巻き込んで論争が拡散した。それだけこの問題について、モヤモヤしていた人が多かったのだろう。

 焼き鳥を串から外して食べるようになったのは、いつごろからなのだろうか。店主は、「ここ数年」としているが、筆者が大学生だった17年ほど前にはすでに、串から外す“常識”が存在していたと記憶している。串から焼き鳥を外す先輩の所作を見て、「なるほど、そういう心遣いがあるのか」と感心したものだった。以来、焼き鳥が提供されたらまずは串から外すことが、筆者の中でなんとなくの習慣になっていた。「串から外して食べなければ、不快な思いをする人がいるのではないか」と。

 いつから定着したのかは不明だが、焼き鳥を串から外したことがない、もしくは外している人を見たことがない人はいないだろう。江戸時代の人々が日常的に守っていたマナーを「江戸しぐさ」と名付け、普及させる動きが一部であったが、史実や学術的な裏付けがないとして批判が集中した。焼き鳥を串から外して食べることも、いつか同じように真偽不明のまま語られることになるかもしれない。

 誰が始めたかわからない。しかし、確かに存在するその暗黙の常識は、もはや「平成しぐさ」と呼べるものだ。

 この論争についての筆者の立場は最後に語るとして、まずは巷の声から紹介しよう。

 

人がカブリついた串は不衛生、手が汚れるのはちょっと……

 ネット上では賛否両論を呼んでいる“焼き鳥論争”だが、筆者の周辺で聞き取りしたところによると、「串から外す派」が多数を占めた。意見として最も多かったのは、やはり「串から外して取り分けたほうが、大人数で食べやすい」というものだった。

 たとえば、3人で焼鳥屋に入ったとすれば、同じ串3本を注文することができよう。1人1本を自分のものとして、そのままカブリつけばいいのだ。しかし、20人だったらどうだろうか。ハツ、つくね、レバーといった定番メニューを20本ずつ頼むのは無理があるように思える。ならば、注文するメニューの種類を増やし、串から外して食べれば、20人が自分の食べたい焼き鳥を少しずつ食べることができる。

 この発想の根底には、「人がカブリついた串に、後から自分がカブリつくのは不衛生」という考え方がある。また、「何度も串に触ると手がベトベトしてしまうため、いっぺんに串から外して、取り分けてから食べたい」と感じる人も少なからずいた。

 さらに、こうした実利的な理由だけではない。そもそも、焼き鳥が提供されたら他の人に配慮して取り分けることが当然のマナーだと思っている人も多い。かくいう筆者もその口だったため、焼き鳥を串に刺すことにこだわりを持っている提供側や、串から外すことをよしとしない通人がいることに、思い至ることすらなかった。

 いつのまにか暗黙の常識として認識し、深く考えずになんとなく串から外していた派としては、今回の論争は焼き鳥の奥深さに触れるよい機会だったと感じた。

 

本当に串に刺さっていなければいけないのか?

 さて、この論争の決着点だが、身も蓋もないことを言ってしまうと、「各々が好きなようにすればいい」ということに落ち着くように思う。串から外して食べたければそうすればいいし、串のまま食べたいならそうすればいい。串から外して取り分けようとする人がいる中で、串にカブリつくのは勇気がいるかもしれないが、串に対して強い思い入れがあるならば、強気のスタイルを貫き通せばいいだけのことだ。

 また、店側がどうしても串から外してほしくないなら、串揚げの「ソース二度づけ禁止」のように、「串から外すのお断り」というルールを作ればいい。その店主の思想に賛同する人は常連客になるだろうし、そうでない人は足が遠のくだけのことである。

 ただ、“実利”と“こだわり”を両立する術はないだろうかとも思う。ブログの店主は、串から外すならフライパンで炒めても同じとするが、実際に炒めるタイプの焼き鳥は存在する。一例が、ご当地グルメとして知られる愛媛県の「今治焼き鳥」だ。

 今治市のホームページによると、「熱々の鉄板の上から、大きな鉄のコテで肉を押さえ、ジュージューと豪快に焼く個性的なスタイル」の焼き鳥だといい、商売人が多く、せっかちで待つのが嫌いな気質から、当地に定着したのだという。店舗ごとにこだわりのタレがあり、とくに皮焼きが名物なのだとか。とても美味しそうだ。

 そのほか、セブン-イレブンでも「焼き鳥の盛り合わせ」という串から外した焼き鳥の惣菜が販売されている。塩、タレ、つくねに、ミソ風味の調味料がついたこの商品は味、ボリュームともに申しぶんなく、筆者も晩飯のおかずとして重宝している。

 さらに、どうしても串にこだわるならば、ハツ、つくね、レバーといった定番メニューを一つずつ一串に刺した“バラエティ焼き鳥”を開発してみてはどうか。火加減、塩加減など調理に工夫が必要になるものの、そこは腕の見せどころだ。すでにそういったメニューがあるかどうかはわからないが、きっと人気が出ることだろう。

 

どうせ外すけど、必要不可欠な“串”という哲学的な存在

 と、ここまで書いて、やはりしっくりしない感じが残る。そう、やはり我々が知っている慣れ親しんだ普通の串刺しスタイルでなければ、焼き鳥を食べた感じにならないのである。

 しかも、それを串から外してばらけさせるまでの過程を含めて、我々が大衆食として愛着を抱いている「焼き鳥」の概念を構成していると、筆者は考えている。バラバラの焼き鳥を食べるにしても、串を外す過程を経ないと、焼き鳥だとは言い難い。

 批判を恐れず無茶を承知で主張すると、串を外して食べても美味しい焼き鳥があるのに越したことはないと思う。「串から外して食べなければ、不快な思いをする人がいるのではないか」と忖度する無言のやり取りが、焼き鳥の味を新たな局面へと押し上げるからだ。わざわざ串に刺して調理しているのに、わざわざ串から外して食べる――。外国人から見たらナンセンスに思えるその行為に、筆者は形式美を見出す。後世に残すべき、「平成しぐさ」がそこにある。

 どうせ外すのに、肉を一本刺しにする串。焼き鳥にとっての串は、必要ないのに、絶対に必要だという哲学的な存在なのである。無駄の中にこそ、文化は宿るものだ。

 合コンの楽しみ方を知らなかった筆者に、ある友人は「見ず知らずの初対面の女子に、サラダを取り分けてもらう時の、なんとも言えない気まずさがオツ」なのだと教えてくれた。なるほど、食材の味や調理法だけではなく、それを取り巻く「文化」も含めて料理なのだと、その時に気がついた。一生懸命働いた後に飲む一杯目のビールが格別なように、気まずさがつまったサラダには、ほかにはない味があるのだ。

 そして、さまざまな思惑が詰まったバラバラの焼き鳥も、これまた格別なものである。

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つづきは「あの人は、なぜあなたをモヤモヤさせるのか(完全版)」、あるいは「あの人は、なぜあなたをモヤモヤさせるのか(マナー編)」をお読みください。

関連書籍

宮崎智之『あの人は、なぜあなたをモヤモヤさせるのか 完全版』

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あの人は、なぜあなたをモヤモヤさせるのか

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宮崎智之

フリーライター。1982年生まれ。東京都出身。地域紙記者、編集プロダクションなどを経てフリーに。日常生活の違和感を綴ったエッセイを、雑誌、Webメディアなどに寄稿している。著書に『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。
Twitter: @miyazakid

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