本作『うらみちお兄さん』は、高校1年の娘に教えてもらいました。娘は級友から貸してもらったとのことで、ひそかにブームを呼んでいるらしく、まだ1巻目が出たばかりなのですが、もうすこし連載が続けば、アニメ化などされてブレイクするかもしれません。そのくらい、近ごろでは傑出したギャグマンガといえるでしょう。

 主人公は、幼児参加番組の司会者。といえば、NHKの長寿教育番組「おかあさんといっしょ」に「たいそうのお兄さん」として出演していた「ひろみちお兄さん」を連想するのは当然のこと。『うらみちお兄さん』は、「おかあさんといっしょ」のじつに巧みなパロディとして成立しています。

 主人公の名前は、表田裏道(おもた・うらみち)。いかにも今ふうのイケメン、好青年ですが、すでに年齢は31歳で、子供相手の何かも演技という仕事に疲れきっています。だからといって、自分の仕事を飯のタネとして軽んじているわけでもない。その鬱っぽい醒めかたと、意外と常識人、というバランスのとりかたが抜群にうまく、このマンガの作者・久世岳(くぜ・がく)の人間観察眼が本物であることを明かしています。

 とくに面白いのは、うらみちお兄さんの心境を表す独白や会話です。作者のすぐれた言語感覚のたまものです。そのセリフの数々は、悪魔的な意地悪さをこめながらも、どこかで人間の愚かさを肯定しているので、ブラックな笑いを炸裂させつつ、ふしぎな救いがあるのです。これほどシニカルなユーモアに女子高生が敏感に反応できるということは、彼女たちの、人間や世間というものに対する理解の鋭さを証明しています。

 例えば、「わたしのお父さんは29歳だけど、お兄さんは31歳なのに、なぜ結婚もせず、子供もいないのですか?」と尋ねるよい子に対して、
「人生なんて人それぞれなんだから 毎晩特に面白くもない深夜ドラマ観ながら 安いカップ酒あおってる独り身のお兄さんを 不幸せだと思い込まない方がいいよ 勝手な思想は時として人を殺すんだよ」

 よい子の返答は、「おにいさんはさっきから何を言っているの?」

 うらみち(フロアに手と膝をついて)「わからない…もう何も わからない……」

 この苦く、哀しい、絶妙の味わいがクセになるのですね。

 あるいは、元気いっぱいのよい子たちに向かって、
「そんなみんなにも将来どうしても元気が出ない日がきっとあるはずだけど そんな日に押しつけられる 「ポジティヴ」という聞こえのいい言葉の皮をかぶった「現実逃避」「責任放棄」 そんなものに惑わされてはいけないよ…」

 暗いうらみちの顔を眺めるよい子たちの表情に確かな説得力があります。その味わい深さは実際に読んで確かめてみてください。

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