寄生=パラサイトとは生物が他生物から栄養やサービスを一方的に収奪する関係を指します。人間界よりずっと過酷な生物界の仁義なき生存競争。その決死の戦略から私たち人間が学べることもありそうです。詳しくは『したたかな寄生 脳と体を乗っ取り巧みに操る生物たち』をどうぞ。まずはゴキブリを完全に骨抜きにして奴隷化するハチの話から。

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 最も人気のない昆虫といえばゴキブリではないでしょうか。しかし、ゴキブリは全世界に約4000種、世界に生息するゴキブリの総数は1兆4853億匹とも言われており、日本には236億匹が生息すると推定されています。ゴキブリは3億年以上前からほとんど姿を変えずに存在することから「生きた化石」とも呼ばれ、不潔な場所でも生存可能、雑食性であらゆるものをエサとし、さらには共食いさえおこなって命をつなぎます。

 人がゴキブリを嫌う理由として、「てかてかと黒光りした体」「スピードが速すぎる」「走っ ていたかと思うと急に飛んでくる」などいろいろあるでしょう。

 しかし、黒光りした虫といえば、大人気の「カブトムシ」や「クワガタ」だって同じです。ゴキブリの黒光りは柔らかそうで油っぽい光を放っているのがなんとも気持ちが悪いと感じるのかもしれません。そして、逃げ足も驚愕するほどに素早く、ワモンゴキブリの場合、1秒間に約1・5メートル走ることができます。つまり1秒間に自分の体長の40~50倍の距離を進むのです。これは、人間に換算すると1秒間に85メートルほどのスピードで動くということです。人であれば、たぶん、速すぎて足の動きが残像にしか見えないでしょう。そして、ゴキブリのどんな隙間でも通り抜けられるようなあの体。実際どのくらいの隙間を抜けられるかというと、体長が3センチ近くあるあのクロゴキブリでさえ、2ミリの隙間を通過することができます。やはり、知れば知るほど卓越したその能力に敗北感を味わわされ、人はゴキブリを怖がり嫌うのかもしれません。

 しかし、そんな世界の嫌われ者のゴキブリを意のままに操り、奴隷のように自分に仕えさせるハチがいるのです。

ゴキブリを狩るハチ

 ゴキブリに寄生して、卵を産み付け、生きながら自分の子どもたちのエサにし、ゴキブリを奴隷化することができるのは、エメラルドゴキブリバチです。すでに名前に「ゴキブリ」という言葉が入っているのがぞっとしますが、このハチはメタリック光沢を持ち、脚はオレンジで、まるで金属でできた美しい調度品のようです。あまりに美しいので、英語圏では「ジュエル・ワスプ(宝石バチ)」と呼ばれています。 エメラルドゴキブリバチは主に南アジア、アフリカ、太平洋諸島などの熱帯地域に分布するジガバチ(セナガアナバチの一種)の仲間です。体長は2センチ程度です。 そして、その名の通り、エメラルドのこの美しいハチはゴキブリを狩るのです。しかも、相手にするのは、ワモンゴキブリやイエゴキブリなど自分よりも倍以上体の大きいゴキブリです。 しかも、ゴキブリは皆さんもご存じの通り、動きは素早く、飛ぶこともできます。自分の体よりも何倍も大きく、さらに素早い動きが得意なゴキブリを捕まえ奴隷化するために、このエメラルドゴキブリバチは緻密かつ大胆な戦略でゴキブリを操るのです。

脳の手術でおとなしくさせる

 エメラルドゴキブリバチは、最初に逃げまどうゴキブリの上から覆いかぶさり、アゴで咬みついて身動きを取れないようにします。そして、素早く麻酔をします。その麻酔もとても精密に狙いを定めておこなっていることが2003年に発表された放射性同位体標識による追跡実験で明らかになりました。エメラルドゴキブリバチがゴキブリの特定の胸部神経節に毒を注入し、前肢を麻痺させていたことがわかったのです。

 これは、より正確に狙ってゴキブリの脳へ毒を送り込む脳手術のための麻酔です。そして、次の施術ではゴキブリの逃避反射を制御する神経細胞を狙ってハチの毒を注入します。 2007年には学術雑誌に論文が掲載され、エメラルドゴキブリバチの毒が神経伝達物質であるオクトパミンの受容体をブロックしていることが明らかとなっています。

ハチの奴隷となるゴキブリ

 他の狩りバチの多くは1発の毒で獲物を仮死状態にして巣に持ち帰ります。しかし、エメラルドゴキブリバチの獲物は主にワモンゴキブリで、自分の体より何倍も大きいため、仮死状態になってしまったら、自分の力では巣に持ち帰ることができません。そのために、仮死状態にせず、このような繊細な手術をおこなうのです。脳手術をされたゴキブリは、麻酔から覚めると何事もなかったようにすっくと自分の脚で立ち上がります。元気に生きてはいますが、逃避反射をする細胞に毒を送り込まれているので、もうハチから逃げようと暴れたりはしません。いわゆるハチの言いなりの奴隷になっているのです。ゴキブリは自分の脚で歩くこともできますし、毛繕いなど自分の身の回りの世話をすることもできます。ただし動きが明らかに鈍くなり、自らの意思では動かなくなります。

 続いてハチは、動きが鈍くなり、逃げなくなったゴキブリの触角を2本とも半分だけ咬み切ります。この行動はハチが自分の体液を補充するため、もしくはゴキブリに注入した毒の量を調節するためであると考えられています。毒が多すぎるとゴキブリが死んでしまい、また少な すぎてもハチの幼虫が成長する前に逃げられてしまうからです。

 脳手術をされたゴキブリは約72時間、遊泳能力や侵害反射が著しく低下しますが、一方で飛翔能力や反転能力は損なわれていないことが研究により明らかとなっています。

 この一連の手術とその後の行動は、まさに人間でおこなわれたロボトミー手術のようです。

奴隷ゴキブリのお散歩

 ロボトミー手術のような脳の手術をされたゴキブリは逃げる反射を失い、触角を半分切り取られてハチの奴隷となり下がります。エメラルドゴキブリバ チに触角を引っ張られると、まるで犬の散歩のように、自分の足で歩きハチについていきます。 そして、ハチの促すままにある場所へと導かれます。それはエメラルドゴキブリバチの母親が、自分の子どものために作っておいた地中の巣穴です。何の抵抗も示さずゴキブリは自分の足で歩いて巣穴の奥深くに到着すると、腹部に長径2ミリほどのエメラルドゴキブリバチの卵を産み付けられます。卵を産み付けられている最中も暴れることもなくおとなしくしています。このハチの卵は、ゴキブリ1匹あたり約12個が産み付けられていきます。

 母バチは卵を産み付けると自分は地中の巣からはい出て、巣穴の入り口を砂で覆い、ゴキブリが他の捕食者に狙われないようにして飛び立っていきます。巣穴でハチの卵を産み付けられ、出口を塞がれたゴキブリは、もう二度と日の光を浴びて、自由に野山を歩き回ることはできません。そして、母バチは次の奴隷となるゴキブリを探し、次の産卵のために飛び立っていくのです。しかし、巣穴に残されてまだ生きている奴隷ゴキブリには大切な仕事が残っています。

ハチの子たちに体を提供するゴキブリ

 ハチの卵が孵るまでのおよそ3日間、ゴキブリは巣穴の中で逃げようともせず、何もせずにぼーっと過ごします。卵を産み付けられて3日後、エメラルドゴキブリバチの幼虫が卵から孵ると、ハチの子どもたちはゴキブリの体に穴をあけ体内に侵入していきます。ゴキブリは生きていますし、そして自由に動き回れる力も残っていますが、何の抵抗も示しません。ただ黙ってハチの幼虫に体を食べられ続けます。

 ハチの幼虫たちは、最後までゴキブリを殺すことなく、毎日毎日生きたままの新鮮なゴキブ リの内臓を食べ続けます。

 内臓を食べられ続けるゴキブリはなんと約8日間も生きたまま、ハチに食されます。そしてその後、エメラルドゴキブリバチの幼虫はゴキブリの体内で蛹になります。こうして、1週間以上もの間、生きたまま食べられ続けたゴキブリは、ハチの子どもたちが蛹になって体を食べなくなると、ひっそりと静かに息を引き取ります。

 そして、ハチの幼虫が蛹になって4週間後、成虫となったエメラルドゴキブリバチは、ゴキブリの亡骸を突き破り、美しいエメラルド色の成虫の姿で飛び出してきます。 エメラルドゴキブリバチの成虫の寿命は数ケ月あり、交尾は1分ほどで終わります。そして、ハチのメスがゴキブリに数ダースの卵を産み付けるには、1回の交尾で十分足りるという繁殖効率の良さも兼ね備えています。

ゴキブリ対策としても利用できる?

 みんなの嫌われ者、そして衛生害虫としても問題になるゴキブリを、こんなにもスマートな方法で狩ってくれるエメラルドゴキブリバチ。このハチをゴキブリの天敵として導入し、ゴキブリの防除ができないかという試みもおこなわれました。

 1941年、ウィリアムズたちの研究グループによって、エメラルドゴキブリバチはゴキブ リの生物的防除を目的としてハワイに導入されました。しかし、エメラルドゴキブリバチを大量に放飼しても、このハチは縄張り行動が強く、広い範囲に拡散せず、また1匹あたりの狩猟量が小さいといった問題から成功はしませんでした。 この例では成功しませんでしたが、生物を利用して害となる生物を防除できた例はいくつもあります。このような、生物を利用して病害虫を防除する方法のことを「生物的防除」といいます。この方法では、微生物(細菌、糸状菌、ウイルス)や線虫、天敵昆虫が利用されています。例えば、細菌起源のBT剤、昆虫感染菌を使ったパストーリア・ペネトランス、天敵線虫のスタイナーネマ・カーポカプサエ、天敵昆虫のオンシツツヤコバチなどを利用した方法が挙げられます。また不妊化した昆虫を大量に放して繁殖を抑える方法もあります。

 生物的防除のほとんどは、防除対象生物の天敵生物を利用することから、多種類の病害虫、雑草すべてに対応することは難しいという問題があります。さらに、効果がマイルドで、かつ速効性を期待することができない、環境条件に左右されやすく効果が安定しないなどの弱点もあります。

 エメラルドゴキブリバチは日本には生息していませんが、近縁の2種類のセナガアナバチ属 が生息しています。

 セナガアナバチ(サトセナガアナバチ)とミツバセナガアナバチです。日本産の2種はエメ ラルドゴキブリバチよりもやや小ぶりで、体長は15~18ミリ程度です。

 セナガアナバチは本州の愛知県以南、四国、九州、対馬、種子島に、ミツバセナガアナバチはさらに南方の、奄美大島、石垣島、西表島に生息しています。

 この2種はエメラルドゴキブリバチ同様、体色は金属光沢を持ったエメラルド色で、クロゴキブリ、ワモンゴキブリなどを奴隷化し、幼虫のエサとすることが知られています。

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寄生=パラサイトとは生物が他生物から栄養やサービスを一方的に収奪する関係を指し、ノミのような外部(皮膚)寄生から内部(内臓)寄生まで、その形態は幅広い。なかでも本書はゴキブリを奴隷のように仕えさせる宝石バチや、泳げないカマキリを入水自殺させるハリガネムシ、化学物質を放出してアリの脳を支配し時期が来ると菌にとって最適な場へ誘って殺すキノコなど、恐るべき支配力を持つ寄生者を紹介。一見小さく弱い彼らが数倍から数千倍大の宿主を操り、時に死に至らしめる。地球の片隅で密やかに繰り広げられる生存戦略を報告。