10月の衆院選の投開票が終わって間もない11月上旬、アメリカのトランプ大統領が来日します。政権選択の選挙の流れとなり先行き見えないところもあるものの、当然ながら、日米関係は今後も未来へと継続していきます。

国内も国外も落ち着きがない今ですが、だからこそこれまでの日米関係を私たちは冷静に振り返っておく必要があるかもしれません。『アメリカ帝国衰亡論・序説』(中西輝政著)の中から、過去、現在、未来を考えるためのヒントをお届けします。

 

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大正期にヨーロッパからアメリカへ鞍替えした日本破綻の運命

 日本とアメリカとの関わりで、最初にして最大とも言えるのが、日本史の大転換点だった幕末の開国、そして明治維新への関わりでしょう。

 長崎の出島という狭い窓口のみで、西洋との関係を保ってきた鎖国の国・日本に、風穴を開けたのがアメリカでした。ペリーの度重なる強圧的な要求を、当初のらりくらりとかわし続けた日本は、結局ズルズルと追い込まれ、ついに他の列強に先駆けてアメリカとの間に大変不利な通商条約(1858年)を結ぶに至ったのです。結果的にこれが幕府の命運を左右することになりました。

 その後も幕府はアメリカとの関係を重視し続けざるを得ず、たとえば1860(万延元)年、遣米使節団が咸臨丸でアメリカに渡ったのも、この日米修好通商条約をわざわざ批准するためでした。

 しかし、幕末の動乱を経て発足した維新政府が国政の模範としたのは、アメリカではなくもっぱらヨーロッパでした。たとえば、大日本帝国憲法を作るにあたり、日本は1882(明治15)年、参議・伊藤博文らをヨーロッパに派遣しました。

 それは、ドイツの立憲主義を調査するためでした。伊藤博文は、ドイツやオーストリアの学者たちから、「憲法は、その国の歴史や伝統や文化を反映すべきもの」と言われたことに影響を受けたようです。

 ですから、大日本帝国憲法は、ドイツ(当時はプロイセン)の憲法をもとにして成立したものでした。

 憲法に限らず、大正末期までの日本では、下手にアメリカをほめると、単に拘束を嫌うだけの「自由主義者」と揶揄されたり、軽薄な人間というレッテルを貼られたりしました。当時の日本の知識人にとって、「西洋」とは、もっぱらヨーロッパ、ドイツ、フランス、イギリスを指していたのです。

 とはいえ、アメリカが手をこまねいて見ていたわけではありません。とくに経済戦争では、米英が互いにしのぎを削りあった勢力争いの最前線は日本でした。財閥の銀行の金融資本の系列を、どちらの国の銀行が組み込むかという争いです。

 争いの当事者は、アメリカのロックフェラーとイギリスのロスチャイルドでした。

 この両者がせめぎあっていたために、明治、大正前半までの日本は、結果的にどちらからも自由だったのです。

 

見直したい日本伝統の「対米位負け」外交

 ところが、大正の終わりからアメリカの力が全般的に強くなって、イギリスが大きく衰退します。そうすると、目ざとくそれを見てとった日本の各界のリーダーたちはいち早くアメリカの模倣へと視線を切り替え、日米関係が濃密なものになっていきました。たとえば、日米間でプロ野球の交流試合があったり、ベーブ・ルースが来日したり、あるいは、ハリウッド映画の系列化による勢力拡大の影響などで、日本は急激にアメリカナイズされた国になります。

 そのために、アメリカの教会団体の支援を受けたプロテスタントのミッションスクールや大学が一流の地位を得るようになりました。東京山の手の一角は、戦前から「気分はすっかりワシントン・ハイツ」という感じになり、最先端の若者はニューヨークの最新ファッションを身につけて銀座へ繰り出したのです。

 人々は彼らを「モボ」「モガ」と呼んでもてはやしました。「モボ」とは「モダンボーイ」、「モガ」は「モダンガール」の略です。日本人は昔から意味不明な略語が好きだったようです。

 というわけで、日本は明治以来、ヨーロッパの文化を西洋文化と捉えて模範にしていたのに、第一次世界大戦が終わるころには、急激にアメリカ文化に迎合するようになりました。

 たしかにアメリカの経済力や工業力が高まり、政治的にもアメリカが世界覇権に手を伸ばし始めていたことで、経済だけではなく、映画、航空機、交通、通信、娯楽、文化、スポーツと、あらゆるところでアメリカ化が世界に広がりました。

 そしてこのときの選択が日本の運命を左右するものとして、今のグローバリゼーションの時代まで、ずっと続いているのです。何が言いたいかといえば、すでに大正期から日本人は、文化的・精神的にアメリカに「位負け」していたのです。

 そしてこの意識が抜けないために、このたびのトランプ・アメリカの誕生に対して、日本の政界も経済界も大慌てで、トランプの真意を探ろうと右往左往しています。

 たとえば安倍首相にとっても、選挙中にヒラリーとは会っていたのに、トランプには会わなかったことからも、トランプ当選は「まさかの結果」だったはずです。それで、大統領選後に安倍首相は慌てて「トランプ詣で」を繰り返すはめになったのでしょう。

 この大番狂わせにうまく対応しようと、これは迎合というより、したたかな選択だったかもしれませんが、安倍首相は驚いたことにトランプの就任以前にアメリカ訪問を断行しました。

 また、トヨタは、メキシコに工場を作ることを阻止しようとするトランプに対して、その方針こそ撤回しなかったものの、アメリカに莫大な投資をすると宣言して、その攻撃をかわそうとしています。しかし、結局はトヨタも日本政府もトランプ政権に抑え込まれるでしょう。もしそうなれば、これも日本の「対米位負け」外交の伝統のなせるわざと言えるかもしれません。

 

日本人の専門家に多い「アメリカ幻想」の源

 日本には、アメリカを専門に勉強している学者や評論家がたくさんいます。ところがこの人たちの中には、アメリカが専門なのだから当たり前と言われそうですが、アメリカだけに目を向けて、他をあまり見ようとしない人が多いように思われます。

 ですから、アメリカの草の根、たとえば、どこの州にどんな移民が来たかとか日系アメリカ人がどれほど苦難の道をたどったかとか、あるいは、ドイツ系移民と比べてどうだったかなどということについては極めて詳しく知っています。

 アメリカ研究者は、アメリカで学位を取らなければならないので、どうしてもそういう細かな内輪の話ばかりに目を向ける傾向が強いのでしょう。しかし、そのために、世界を俯瞰して、その中にアメリカを位置づけるということには関心が向かないようです。

 つまり、「アメリカの中からアメリカを見る」という感じで、あたかも自分がアメリカ人になったかのような研究しかしないのです。さらに言えば、彼らは、日米関係からアメリカを見る以上のことをしようとはしません。私はこの現象を見て、大正以来の日米関係の窮屈さが学問にも反映しているような気がしてなりません。

 とくに、日米関係を慮るあまり、今もアメリカは、日本の学者にとってタブーのかたまりです。こういうことは言ってはいけない、その問題に触れてはいけないなどなど、たくさんの「アメリカ・タブー」があるために、アメリカについてなかなか自由にものが言えなくなっているのです。

 トランプは、その隙をつくかのように、さまざまな日本攻撃を繰り返しています。

 しかし、日本の識者たちは、たとえば、「当選後、在日米軍を撤退させるとは言っていない。だからそれほどの変化が起きるはずがない」などと楽観的な見方を崩しません。

 

同じキリスト教でも、プロテスタントとカトリックでは大違い

 しかも、アメリカを深く研究して、アメリカのバックボーンは何なのかなどという命題が出てくると、キリスト教という、もう一つのタブーが出てきます。じつは、日本には、アメリカのキリスト教団が作った大学が多いのです。

 アメリカは寄付の文化なので、プロテスタント教会の教団は、経済的に豊かで、世界中にたくさんの大学を作っています。

 しかし日本の場合、古来、神道や仏教が根強く国民生活に浸透しているので、キリスト教、とくにプロテスタント教会の布教はあまり成功しませんでした。一般庶民に普及できなかったので、知識人や教育関係に手を出すことで広めようとしたのでしょうか、他の地域よりも大学と直結する部分が多く、プロテスタントの教団の指導者は早くからたびたび日本を訪れています。

 これがカトリックとの違い、あるいは同じプロテスタントでも、ヨーロッパのプロテスタントとの大きな違いです。

 カトリックは、上意下達の組織ですが、教育機関に口出しをすることはめったにありません。教義もあって、その国のイデオロギーとか国の政治とかにあまり口出しをすべきではないという考え方をしています。ヨーロッパのプロテスタントもほぼ同じ考え方です。

 他方、なぜアメリカのプロテスタントは、お金を出し、口も出すのか。それは、「社会改良」という大きなミッションを果たさなければならないと考えているからです。

 ですから、日本の社会に封建的なところがあったり、政治に問題点があったりすると見るや、積極的にこれと戦って改革し、不合理を正すべきだと人々を鼓舞します。

 おそらく、アメリカ人の対日観のどこかに「日本という国は自分たちが自由にできる」という意識が強くあるのです。言うまでもなく戦後は、自分たちが一度は占領した国という意識が抜けないし、ペリー来航以来、西洋文明を日本にもたらしたのは自分たちだと思っているのでしょう。はっきり言えば、ハワイ、日本、フィリピンまでは、自分たちの「テリトリー」だと思っているのです。

 日本のアメリカ研究者が、研究におけるタブーを打破することができないのも、このようなアメリカが日本に対して持つ意識が、知らぬ間に自分の中に反映されている結果なのかもしれません。

 トランプの登場に対して、目下、大慌てで走り回っている安倍首相以下の日本のリーダーたちも、もっとも厄介な形の「アメリカ・コンプレックス」の虜になっていて、日本の国益を見る目が曇らされ、かつてプラザ合意などバブルの発生から崩壊に至る原因を作った中曽根政権と同じ過ちを繰り返す恐れが多分にあると私は考えています。

 というわけで、こうした日本人のアメリカに対する意識のありかたは、今日まで100年近くの間、続いてきたことになります。たしかに、こうした20世紀のアメリカナイゼーションは日本以外の国々にも広く見られた現象でしたが、21世紀の今日の状況を見ると、そのアメリカ化時代は明らかに反転し始めました。

 

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中西輝政『アメリカ帝国衰亡論・序説』

移民排斥、孤立主義、日本企業批判、新たなる戦争……
トランプの絶叫は、大国の断末魔の悲鳴である。
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