2020年、高齢者が国民の3割を超え、社会保障費は過去最高を更新。
 破綻寸前の日本政府は「七十歳死亡法」を強行採決する!

 長寿は不幸の種なのか? 垣谷美雨さんによる、すぐそこに迫る現実を描いた衝撃作「七十歳死亡法案」を、5回にわたって公開します! 寝たきりの義母がわがまますぎる、第2回をお楽しみください。

――じゃあ浅丘さんに聞くけどさ、認知症の老人でも生きてる意味があると思ってる? 

 マリンコの質問に、浅丘は眼をむいた。
 
 ──あなたに良心ってものはあるの? あのね私の母は認知症なの。でもね私は母が生きていてくれる、それだけで嬉しいの。いまだに母は私の心の支えなんだもの。
 
 やっぱり浅丘を好きになれない。

 彼女の母親が御殿場にある介護施設エメラルド・ガーデンに入所していることは有名だ。以前テレビで特集しているのを見たが、施設というより豪華ホテルみたいで、ヘルパーの人数も十分すぎるほどだった。そして、そこで働くヘルパーときたら、いかにも育ちの良さそうな清潔感あふれる女性ばかりだった。月々の費用がいくらくらいなのか見当もつかないが、大金持ちでなければ入れないことは明白だ。

 一日二十四時間、一年三百六十五日、自宅で老人を介護する生活がどういうものか、きっと浅丘は知らない。たぶん、下の世話もしたことがないだろう。毎日のように介護殺人が起きている現実を、彼女はどう捉えているのだろうか。

 東洋子は、そういった悲惨なニュースを聞くたび、他人ごととは思えず息苦しくなるのだった。そこに誰ひとりとして悪人がいないからだ。殺人犯となってしまった息子も、被害者となってしまった老母も、かわいそうでならない。

 しかしその反面、自分などよりずっと追い詰められている人がいると思うと、正直ほっとするのだった。お義母さんに早く死んでもらいたいと思う自分を、責めずに済むような気がして。

人生は短いけれど、介護の二年はすごく長い。

 この法律がなければ、介護生活はあと十年も二十年も続いたかもしれない。自分だけじゃない。つらい介護に期限が設けられたということが、今や日本中の介護者の、くじけそうになる心を支えている。
 
 でも、まだ二年もある。
 自分に残された人生はたった十五年なのに、そのうちの二年も介護でつぶれる。
 十五年の人生は短いけれど、介護の二年は長い。すごく長い。
 明日から、いや今すぐにでも自由になりたいと思ってしまう。

 ──少子化も高齢化も、予想よりずっと早く進んでるじゃん。十年前の人口予測なんてデタラメもいいとこだよ。希望的観測を発表するのが許されていた時代が今では信じらんない。
 マリンコのため息が伝染したかのように、テレビの前の東洋子も大きなため息をついていた。

 年金保険料を負担する現役世代が年々減りつつある。そろそろ介護保険法がパンクしそうだという。そのため、政府は「介護は家庭で」などと、時代が遡ったような方針を平然と打ち出した。
 

写真:iStock.com/MichikoDesign



 ──むーすーんーで、ひーらーいーて? あんな幼稚園児みたいなことさせられるなんて真っ平ごめんだわ。そりゃ東洋子さんは私が家を空ければせいせいするんでしょうけどね。
 そう言って、お義母さんはデイケアにさえ行ってくれない。

 二年後といえば、夫の定年退職の時期と重なる。結婚以来、年がら年中多忙だった夫に時間的余裕ができる。夫が家にいるようになれば、家族の生活も大きく変わるに違いない。

 きっと夫は正樹にじっくりと向き合ってくれるだろう。正樹のことは、もう自分の手には負えない。夫は自分と違って社会経験も長いし、なんといっても男同士だ。今までの夫は、正樹に関する話を避けるようなところがあったが、それはたぶん男親として忸怩たる思いがあったからだろう。優秀な父親と優秀な息子という輝かしい図式がある日突然崩れたのだから、精神的なショックも女親以上に大きかったのかもしれない。だけど、定年後は心にもゆとりができるはずだ。
 そう考えると、あと二年の介護生活もなんとか乗りきれそうな気がしてくる。

 経済的にも心配はない。夫の退職金は二千万円前後だと聞いている。景気後退のせいで、一部上場企業でも最近はこんなものらしい。七十歳死亡法ができるまでは、二千万円では老後の生活が厳しいものになると思っていた。平均寿命まで生きるとしたら、定年後の人生が三十年近くあるからだ。だけど、七十歳で死ぬことが決まった今となっては、二千万円は結構な額だ。六十五歳からは年金が入るのだし、預金もそれなりにある。もしかしたら退職金の全額を正樹に遺してやれるかもしれない。

「東洋子さあん」

 そのとき、お義母さんの大声とともにブザーが鳴り響いた。
 甲高くて艶のある声だ。声だけ聞いていると若い娘かと思う。
 返事が遅れて一瞬の間が開いた途端、「東洋子! なにしてるの!」と威嚇するような声に変わった。

 とうとう呼び捨てか……。
 悲しくなる。
 嫁を呼び捨てにするのは、夫が不在のときだけなのである。

「はーい、なんでしょうか」
 返事をしながら廊下を奥へ進む。
 

写真:iStock.com/dejankrsmanovic


 ドアを開けた途端、鋭い視線に射すくめられた。寝たきりがきっかけでボケる老人も多いと聞くが、お義母さんは逆だ。日に日に神経が研ぎ澄まされていく感じさえある。

「なにやってたの。何度も呼んだのよ」
 介護用ベッドに寝たまま、頭だけ起こしてこっちを睨んでいる。
「すみません」
「すみませんじゃないでしょう。なにしてたのか聞いてんのよ」
「テレビ観てたんです」
 正直に答えた。

 台所仕事が忙しかったとか、声が聞こえなかったなどと噓をつくのはまずい。噓だとばれたら、執拗に問い詰められることは経験からわかっている。八十を過ぎた老人とは思えないほどの記憶力があり、あとになって矛盾点をついてくる。

「テレビならこの部屋にもあるじゃないの。私と一緒に観ればいいでしょう」
「……はい」
「腰が痛いのよ。早く揉んでちょうだい」

 実は自分の腰痛もかなりひどい。ぎっくり腰にならないよう、腰を曲げる角度に常に注意している。
 初めてぎっくり腰になったのは、この家に引越してきて荷解きをしているときだった。それがきっかけとなり、慢性になった。それ以来、今これ以上動いたらぎっくり腰になる、という瞬間が、直前に察知できるようになっている。

 お義母さんはなにかというと、「あなたは若くていいわね」と言うが、私だってもう若くはない。下手したら自分の方が先に逝くかもしれないと思うのだった。

※この連載は、小説『七十歳死亡法案、可決』p.8~の試し読みです。続きは、ぜひ書籍をお手にとってお楽しみください!

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