2017年7月18日、日野原重明さんが105歳という年齢でこの世を去られたことは、みなさんの記憶に新しいと思います。

2016年年末から始まったインタビューでは、「読んでくれる一人一人と対話しているような本にしたい」という日野原さんの希望を受けて、様々な質問に答えていただく形で進んでいきました。
「これが私の最後の使命です」とおっしゃりながら、時にはベッドで横たわりながらも、
深く優しく強い言葉をつむがれていた日野原さん。

105歳という長い人生を生ききった日野原重明さんが、死の直前まで私たちに伝え続けたメッセージとはなんだったのか。
9月28日に発売する『生きていくあなたへ  105歳 どうしても遺したかった言葉』より、その対話の一部を紹介させていただきます。

 

質問「若い人と話が合いません。若者とどうつきあっていくのがいいのでしょうか?」

僕は、若い人が大好きです。
誰かに褒めてもらえるなら、若い人に褒めてもらいたい。
若い人に「頑張っているあなたの姿を見て、私達ももっと頑張りたいと思います」とか「あなたがこんな風にしてくれたおかげで、今私達はこれほど幸せです」と言われたとき、本当に喜びを感じるし、もっともっと若い人達を勇気づけられるような人生の先輩でありたいと思うのです。

実際に80歳以上離れた人たちとも交流させてもらって、いろいろな刺激や学びを頂いています。
意外と若い人のほうも、僕のような世代の話を聞きたい、教えてほしいと思ってくれているものなのですね。

若い人とつきあうときに、僕が気をつけているのは、人と人とが触れ合うときのタッチの仕方です。言葉遣かいや表情・態度、そういったいろいろなものを総称し「タッチ」という感覚を持っているのですが、それがよそよそしい、とげとげしいものになると当然若い人との関係がぎくしゃくしてきます。
そうではなく、あたたかいタッチを心がける。

「あなたのよさを私はもっと感じたいんですよ」という気持ちを、相手へのタッチに込めることで、自然といい関係をつくっていけるのではないかと考えています。

「近頃の若い者はなっていない」というのは、いつの時代も言われることですが、これは非常に自己中心的な発想のように思います。
そうではなく、年をとった僕達のほうが経験があるのですから、若い人に歩み寄っていくべきでしょう。若い頃は照れてしまったり、言葉が見つからなくてうまく言えなかったようなことも、年をとったからこそ言えるようになるという年の功も大いにあると思います。

あともう一つ大切なのは、自分より若い者、親しい家族、また弱い立場の者に対して、僕達は相手を敬う気持ちをともすれば欠いてしまいがちであるということです。
目上の人や年配者を敬うだけではいけません。
敬う気持ちというのは思いやりそのものですから、年齢・立場に関係がないのです。

といいつつ、僕自身も、これだけ年をとっても、いまだにうまくタッチできなかったな、難しいな、と感じることも多いのです。
そんなときは、僕のタッチのどこかに、相手に冷たい切り口を感じさせたのではないかと思い返すのです。人と何かしっくりこない、コミュニケーションにぎくしゃくするものが生まれたとき、僕はこのように自己反省してみます。

僕の尊敬する医師ウィリアム・オスラーは、白血病の少女の病室へ行く際に、病院の庭に咲いていた薔薇を切って持っていったそうです。私はあなたのことを思っている、という気持ちを薔薇の花に託したのですね。
花を受け取った少女にとってオスラー氏は、病院にいるただの老人のお医者さんから、自分を思ってくれる一人の素敵なオスラー医師という存在になっただろうと思います。

こんな風に、年齢の差を超えて人の心と心が交流できるというのは本当に素晴らしいと思います。

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日野原重明『生きていくあなたへ 105歳 どうしても遺したかった言葉』

「人間は弱い。死ぬのは僕もこわいです。」105歳の医師、日野原重明氏が、死の直前まで語った、希望と感謝の対話20時間越。最後の力を振り絞り伝えたかった言葉とは。生涯現役、渾身最期の一冊。