2017年7月18日、日野原重明さんが105歳という年齢でこの世を去られたことは、みなさんの記憶に新しいと思います。

2016年年末から始まったインタビューでは、「読んでくれる一人一人と対話しているような本にしたい」という日野原さんの希望を受けて、様々な質問に答えていただく形で進んでいきました。
「これが私の最後の使命です」とおっしゃりながら、時にはベッドで横たわりながらも、
深く優しく強い言葉をつむがれていた日野原さん。

105歳という長い人生を生ききった日野原重明さんが、死の直前まで私たちに伝え続けたメッセージとはなんだったのか。
生きていくあなたへ  105歳 どうしても遺したかった言葉』より、その対話の一部を紹介させていただきます。

 

質問「年をとると病気をしたりよいことばかりではないと思うのですが…、
先生はそれでも105歳まで長生きして幸せだと思いますか?」

105歳という年齢……。よく今日まで生きてこられたなと思います。神様のお恵みですね。

僕は今105歳、今年の秋に106歳になろうとしていますが、長生きそのものを目標にしてここまで生きてきたわけでもありません。

確かに僕も病を持ち、思い通りにならない自分自身と四苦八苦、戦いながらの毎日です。車椅子に乗るようになってからは、特に自分の思い通りにならない不自由なことが増えました。

それでもやはり長生きしてよかった。
長く生きるというのは素晴らしい、そう思っています。
というのも、100歳を超えたあたりから、自分がいかに本当の自分を知らないでいたかということを感じるからです。

世の中でいちばんわかっていないのは自分自身のことだ、ということに気づくことができました。これは、年をとってみないとわからない発見でした。

「人生の午後をどう生きるか。

選ぶ物差し、価値観が必要で、自分自身の羅針盤を持たなくてはならない。

午後は午前よりも長いから」

80代の頃の僕が書いた言葉です。
僕なりに自分自身の羅針盤を探求し生きてきたつもりでしたが、100歳を超えた今、
「ああ、今まで探求してきたことはほんの一部であり、真の意味では、僕はまだまだ自分のことをまったく理解できていないのだな」と心から感じるようになりました。
80歳の頃の自分がかわいかったなとさえ思います。

こういうと、これまでの人生を否定しているように聞こえるかもしれませんが、そうではなく、105歳の今、未知の自分を知ることができたという気づきに価値があるのです。

人生の午後が長いということは、幸せなことです。

物事の真理というのは、すぐにはわかるものではないと実感しています。時間をおき、繰くり返し考えることで、後になってだんだん本当の意味が姿を現すのです。

人生100年時代といわれる中で、長生きするのがこわいという人も多くいるでしょう。
すぐに答えが出ないものには価値がないという見方をする人もいます。
長生きすると孤独になるのではないか、とか、あるいは経済的な不安もあるでしょう。
人生100年時代というのは、未知の世界ですから、未知のものを恐れる気持ち自体はしかたのないことだと思います。

ただ、長生きするということは、わからない自分と出会う時間がもらえるということです。完全にわかりきれるとは思わないけれど、自分の姿をどんどん知っていく喜びは年をとったことでより実感するようになりました。

あなたと今こうして話している瞬間にも「ああ、僕にはこういうところがあるんだな」と気づかされることの連続なのですから。

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日野原重明『生きていくあなたへ 105歳 どうしても遺したかった言葉』

「人間は弱い。死ぬのは僕もこわいです。」105歳の医師、日野原重明氏が、死の直前まで語った、希望と感謝の対話20時間越。最後の力を振り絞り伝えたかった言葉とは。生涯現役、渾身最期の一冊。