「彼にね、もしもわたしが余命一年だったらどうする? って聞いてみたの」
 と、彼女は言った。

「そしたら、できるだけ長く一緒にいる、って彼は言ってくれたんだ」
恋をしていると、意味のない質問を相手にぶつけてしまうものだ。
もしもを尋ねて、もしもの答えに一喜一憂する。

しかも若干悪趣味な問い。それを馬鹿げていると思うかどうか、それが恋をしている人としていない人の違いなのだろう、などと思いながら、彼女の話を聞いていた。
夜のタクシーの後部座席で。

いいね、幸せだね、とわたしは言う。彼女は会うたびにいつも好きな人とののろけ話をする。というよりのろけ話しかしない。
おかげでわたしの中には、まるで当事者のように彼と彼女の恋の記憶が積もっている。

「そのあとにね、もしも、ってもう一度聞いたんだ。もしも、奥さんの余命が一年だったらどうする? って」

彼女の恋は単純なものではなくて、周囲から糾弾されてもおかしくない種類のものだった。どんな恋だって単純ではない。分かってるけれど、なんだってみんなつらい道ばかり選んでしまうんだろう。
最近は不倫報道が多いせいで、日本中の既婚者の9割が道ならぬ恋をしているような気がしてしまう。

「そしたらね、彼は答えたの。『絶望する』って」
そう言って、彼女は少し黙った。
それは、どういう沈黙なのだろう、としばしわたしは考える。

彼女の彼にとって、彼女の不在は「一年かけてゆっくりと受け入れる」ことができるもの。でも妻の不在は耐えられない。そういうことなんだろうか。

「彼の答えを聞いたら、なんだか、わたしも絶望しちゃった」
彼女はそう言って笑った。彼女の彼は、きっと正直な人なのだろう。
タクシーを降りて彼女と別れて、夜道を歩きながら彼女の彼のことを考えた。

ああ、きっと、彼女の彼は彼女に恋をしているんだろうな、と思った。
だから、彼女の命が残り少ないとしたら、彼女のためにできることをたくさんしたい、そう思ったのだろう。

そして彼は、奥さんを愛しているのだろう。奥さんが死んだら、きっとなんにもできなくなってしまう自分を分かっているのだろう。
守りたい人と守ってくれる人。

二人の女を好きでいる欲張りな彼を擁護するつもりはないけれど、でもなんだかわかる気がした。

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