伊藤忠商事前会長、元中国大使でビジネス界きっての読書家・丹羽宇一郎さんが、本の選び方、読み方、活かし方、楽しみ方を縦横無尽に語り尽くす新書『死ぬほど読書』から、小説の読み方についてをお届けします。

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小説で「考える力」を養う

(写真:iStock.com/papa42)

 小説というと、作者の頭のなかでつくったフィクションであって、現実とはあまり関係がないと思っている人もいます。

 しかし、小説は私小説でなくても、作家の実体験をかなり踏まえて書かれていたりするものです。

 以前、作家の渡辺淳一さん(1933~2014年)から、半ば冗談、半ば小説の材料のつもりなのでしょう、「丹羽さん、いろんな女の子とお付き合いしたいですか?」と聞かれたことがあります。

 私は、「したくないという男性は、なかなかいないんじゃないですか」と答えると、「本気ですか?」と真面目な表情で尋ねられました。「本気ってどういうことですか?」と返すと、「結構お金がかかりますよ」と具体的な金額をおっしゃる。冗談っぽく「会社のお金でならできるかもしれませんが、私にはそんなことはできません」と答えると、「それじゃ、やめたほうがいい」と笑っておられました。

 そのとき渡辺淳一さんは、「書いている小説は、すべて僕自身の体験がベースになっている。すべてがフィクションではなく、女性と遊び歩いた体験を中心に、小説という名前を借りて表現しているんだ」と話されていました。

 ですから、映画化されベストセラーとなった『失楽園』に登場する不倫カップルの、別れるに別れられなくて心中する話なんかは、おそらく渡辺さん自身が実際に体験されたことを元に書かれたんだと思います。

 小説には、たとえ絵空事のような内容であっても、このように作者の体験がどこかに投影されている。体験というものには、その人が生きている時代や社会の状況がにじみ出ます。それを嗅ぎ取って味わったり、想像したりするのも、小説を読む楽しみではないでしょうか。

 ドストエフスキーやトルストイにしても、その作品には彼らが生きた時代のことが色濃く描かれています。そこから当時のロシアの人々の生活がいかに貧しかったかとか、人々がどんな思いを抱えて生きていたかとか、社会がどういう状況にあったかということが推測できるわけです。

 小説を現実とはあまり関係ないフィクションとして片付けず、そこから人間がどういうことを考えたり、行動したりする生き物なのか、歴史はどうやってつくられるのか、といったことを学ぶ。このような「考える読書」をすることで、得られるものは大きく変わってくるはずです。

 

 同じ小説でも、司馬遼太郎(1923~1996年)のように歴史に材を得た歴史小説というジャンルもあります。司馬遼太郎は勝海舟(1823~1899年)や西郷隆盛(1828~1877年)などの人物を取り上げるとき、関連する膨大な史料や本を時間をかけて集めたといいます。それを徹底して読み込んでいくなかで、自分が考える人間像をつくりあげていくわけです。

 そこには当然、作者の恣意的な願望や理想、イメージが入りますから、歴史小説は史実とフィクションがないまぜになったものといえます。

 読者は作家が歴史上の人物をどのように造形したのか、その発想や工夫を楽しみます。そこには、こんなふうに描いているけど本当にそうなのかな? とか、こういう感じでストーリーをつくったほうがよかったんじゃないか? といった思いも混じります。

 そうやって作家が提供してくれた人物像やストーリーをきっかけに、その人物や時代のことをより詳しく知りたくて、関連する本を読んでみようと思ったりする。これもまた歴史小説を読む楽しさであり、「考える読書」になりうるのです。

 

 読書の一つの効用は「考える力」を培うことですが、それを可能にするのは、政治や経済、思想など社会科学系の本だけではありません。

 小説というフィクション・創作の世界においても、「考える読書」はいくらでもできるのです。

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もし、あなたがよりよく生きたいと望むなら、「世の中には知らないことが無数にある」と自覚することだ。すると知的好奇心が芽生え、人生は俄然、面白くなる。自分の無知に気づくには、本がうってつけだ。ただし、読み方にはコツがある。「これは重要だ」と思った箇所は、線を引くなり付箋を貼るなりして、最後にノートに書き写す。ここまで実践して、はじめて本が自分の血肉となる。伊藤忠商事前会長、元中国大使でビジネス界きっての読書家が、本の選び方、読み方、活かし方、楽しみ方を縦横無尽に語り尽くす。