伊藤忠商事前会長、元中国大使でビジネス界きっての読書家・丹羽宇一郎さんが、本の選び方、読み方、活かし方、楽しみ方を縦横無尽に語り尽くす新書『死ぬほど読書』から、見栄と読書についてをお届けします。

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写真に映り込む本棚にガイドブックが置かれていないワケ

(写真:iStock.com/AndreyPopov)

 書斎というのは絵になるからなのか、よく月刊誌の口絵などに自分の書斎を背景にした著名人の写真が載っていることがあります。

 そういう書斎を見ると、りっぱな文学全集や豪華な装丁の絵画集、分厚い洋書や見るからに難しそうな専門書などがずらりと並んでいたりします。間違っても、健康実用書や旅行のガイドブック、あるいは気軽に読めるミステリー小説や文庫本の類が所狭しと並んでいる風景を目にすることはありません。

 本棚を見れば、だいたいその人の関心の向きや知的レベルがわかるものです。りっぱな本がたくさん並んでいる書斎を見せることで、私はこういうレベルの人間です、ということを秘かにアピールしているのでしょう。

 これは、いうまでもなく虚栄心の一種です。

 私にも虚栄心はあります。たとえば、私の書斎の本棚はただ読み終えた本を端から順番に並べているだけのもので、とても人様に見せられる代物ではありません。

 しかし、そうしたことをここで書くと、「私は上っ面の恰好にとらわれないスタイルでやっている」と、どこかで自慢もしている。実用的に使っているだけの本棚そのものは虚栄でもなんでもないが、あえてこういう文脈で書いてしまうと、虚栄の一種となってしまう。

 もっとも私は、虚栄心を否定しているわけではありません。虚栄心は誰もが持っており、単純に否定すべきものではありません。虚栄心は人が向上したり、社会が発展していく上で欠かせないものだからです。

 

虚栄心は自分を磨く原動力

 この虚栄について深く洞察したのが、古典経済学の入門書として知られる『国富論』を著したアダム・スミス(1723~1790年)です。

エジンバラのアダム・スミス像
(写真:iStock.com/Heartland-Arts)

『国富論』を出す17年前に、彼は『道徳感情論』という本を出版しています。

 アダム・スミスと聞くと、「神の見えざる手」という概念に象徴される市場経済の提唱者をイメージする人もいると思いますが、じつは経済学だけでなく、道徳哲学も大学で教えていました。ですから彼の経済理論の根底には、人間がいかなる生き物であるかという深い洞察があるのです。

 アダム・スミスが『道徳感情論』で述べようとしたのは、富を追求する人間の本能を肯定しながらも、同時にそれが行きすぎないように歯止めをかける道徳が必要だということです。富の追求と徳の追求は相矛盾するものではなく、人のなかでバランスよく共存させることが重要だといいます。

 そのために彼は、人との共感に基づく「観察者」なるものを心のなかに置けといいます。この観察者が、富や世間の評価を追求する利己心にブレーキをかけるというのです。

 

 アダム・スミスはこの本のなかで、虚栄という言葉をキーワードとして取り上げています。

 誰でも立派だとか美しいと思われたいものです。それが虚栄心です。しかし、虚栄心は人の目がなければ生まれません。

 たとえば、山奥で隠遁者(いんとんしゃ)のように生活したり、無人島で暮らしていれば、人の目を気にすることはありません。きれいに身支度する必要もなければ、恰好をつけた振る舞いをする必要もない。粗末な住居に住んでいようと一向にかまわない。とりあえず食料と寝起きできる住居があって、そこそこ気分よく暮らせれば、それ以上のものは望まないと思います。教養を身につけたり、人格を磨いたりといった向上心を抱くこともないでしょう。それは人の目をまったく意識しない生活だからです。

 虚栄心があるからこそ、人は成長しようとか、競争して勝とうといった気持ちが湧いてきます。それが経済社会を前に動かす大きな力になります。ですから、虚栄心は、うまく使えば、人や社会に大きな可能性をもたらしてくれるのです。

 すなわち、虚栄心は心の自然な現象であり、それがあるからこそ社会は進歩し、繁栄する。ただ、それが行きすぎないようにコントロールする力を培うものとして道徳心が必要なんだ、とアダム・スミスはいっているわけです。

 

 虚栄心を上手に使えば、自分を磨き、成長させてくれる原動力になります。

 その意味で虚栄心から本を読むことは、けっして悪いことではありません。知識を身につけてすごい人だと思われたい。みんなを唸らせるような知識を仕込んで恰好いいスピーチをしたい。そのような動機が読書の入り口にあってもかまわないと私は思います。

 それがきっかけとなって好奇心が広がり、読書の幅も広がったりすることがあります。そういう意味では、読書と虚栄心はけっして相性の悪いものではないのです。

 

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もし、あなたがよりよく生きたいと望むなら、「世の中には知らないことが無数にある」と自覚することだ。すると知的好奇心が芽生え、人生は俄然、面白くなる。自分の無知に気づくには、本がうってつけだ。ただし、読み方にはコツがある。「これは重要だ」と思った箇所は、線を引くなり付箋を貼るなりして、最後にノートに書き写す。ここまで実践して、はじめて本が自分の血肉となる。伊藤忠商事前会長、元中国大使でビジネス界きっての読書家が、本の選び方、読み方、活かし方、楽しみ方を縦横無尽に語り尽くす。