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 毎日のように教師のわいせつ事件が報じられる。中でも、学校の構造的な問題が大きいのが、教え子への事件だ。

 勤務先の小学校で女児たちにわいせつ行為をしたとして逮捕され、八月に懲戒免職になった愛知県の臨時講師。以前にも逮捕され、名前を変えて採用されるという極めて悪質なケースだった。

 部活動が絡む事件も多い。五月に懲戒免職になった堺市立学校の教諭は、顧問を務める運動部で、女子生徒に「説教」と称し、全裸になるよう強要していた。

 学校で起きる性被害を「スクールセクハラ」と呼ぶ。拙著『スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか』(幻冬舎文庫)は、十年以上にわたって私が多くの被害者や加害者に取材し、スクールセクハラのうち、教師から教え子への事例に絞って問題点を示して、解決策を提案したノンフィクションだ。

 文部科学省によると、一九九〇年度にわいせつ行為をして懲戒免職になった公立小中高校の教師は全国でたったの三人だった。それが、過去最悪の二〇一二年度には、なんと四十倍の百二十人にも増えている。被害者の半数は教え子だ。

 停職などを含めた処分者数の全体でも、一九九〇年度に二十二人だったのが一五年度には二百二十四人に急増して、毎年、過去最高を更新し続けている。それなのに、有効な対策は一向に打たれないままだ。

 急に教師の質が落ちるはずはないから、見過ごされてきたのが厳しく処分されるようになっただけだと考えられる。しかも、発覚するのは「氷山の一角」にすぎない。闇から闇に葬られるケースが山ほどあることは、これまでの取材で実感できる。

「高校生の時、担任の教師に乱暴されたんです」という二十代女性の話から、この本の最初の事件は始まる。女性は悩み続け、意を決して知人の私に相談し、私たちは彼女の出身地の東北地方まで出掛けた。のうのうと教師を続ける男と対決し、事実を認めさせて、なぜそんなことをしたのかを問うためだ。「今でも他の生徒に手を出しているかもしれない」という疑念が彼女の背中を押した。

 次に登場するのは、小学校四年生で担任になってから六年生になるまで、まるで恋人のように女子小学生との“交際”を続けた教師だ。ホテルでわいせつ行為をして逮捕され、判決後にインタビューに応じた。本人は「ロリコンではない。大人の女性とのつき合いのように勘違いしてしまった」と奇妙な弁解をする。少女は教師に「大好き」と告白し、手作りの「チュー券」までプレゼントしていた。教師はそれを真に受けてキスし、どんどんのめりこんでいった。しかし、少女は母子家庭に育ち、父親像を求めていただけではないかと思われる。

 他にもさまざまな問題教師が出てくるが、共通しているのは、自分に権力があることを意識せず、力の差で子どもを自由にしていることにまったく気付いていないことだ。「自分はモテている」「これは恋愛だから」と、教師と教え子ではなく、男女の関係にしてしまう。

 犯罪的要素が強い「わいせつ」と、「体をじろじろ見られる」といった感情面まで含む「セクハラ」では、言葉の印象の差が大きいが、被害者は「セクハラ」という言葉を使った方が訴えやすい。その上、加害者の資質の問題とされがちな「わいせつ教師」に比べて、「スクールセクハラ」は、学校の体質に問題があることに焦点を当て、解決や防止につながる言葉だ。

「なぜ学校でそんなことが起きるのか」と教育関係者は嘆くが、実は教師が強い力を持つ学校だから起きる構図なのだ。信頼する教師が権力を悪用する、学校だからこそ起きる「権力犯罪」なのに、学校や教育委員会は「どこの組織にだってそういう人間はいる」「一部の不心得者の行為にすぎない」という認識にとどまり、問題を矮小化して「個人犯罪」にしたがる。さらには、学校特有の保身を意識した「隠蔽体質」が次の事件を生むという構造がある。

 性被害は「魂の殺人」といわれる。この数年、裁判員裁判で求刑を上回る判決が相次ぎ、深刻さが再認識されてきた。そこで、罰則が強化されるなど刑法が百十年ぶりに大幅に改正される流れになった。そんな中、教師による性暴力だけが野放しにされていていいはずがない。世間と学校の認識のずれは大きい。

 これほど学校で事件が起き、繰り返されるのは、「教師と教え子」「大人と子ども」「部活動の指導者と選手」など、加害者と被害者に大きな力の差が何重にもあるのが最大の原因だ。

 おかしいと思っても、子どもは大人に「ノー」と言えない。まして教師が相手では相当な勇気が要る。そこに気付かない教師と教え子には深い溝がある。

 さらに、密室が作りやすいことも悪用される。多くの大学では個別指導の際はセクハラ対策でドアを開ける規則になっている。でも、小中高校にはそんな常識はない。

 事件が起きた後も、子どもは親や他の教師ら周囲の大人になかなか相談できない。密室での事件だから、被害者が話せないままでは表沙汰になりにくい。やっと打ち明けられても、加害者が全面的に否定することも多いから、そうなるとうやむやにされてしまう。

 学校は体罰やいじめ自殺以上にこの問題を隠そうとする。「あってはならないこと」だから、「なかったこと」にしてしまった方が都合がいいのだ。そうなったとき、被害者は「うそつき」にされ、逆に周囲から攻撃されることも珍しくない。こうした「二次被害」が起きるのもスクールセクハラの特徴だ。

 強豪校の部活動の指導者や、進学実績のある教師の場合、周囲から被害者の方が悪者にされることはよくある。その結果、処分されず転勤した教師は別の学校でまた事件を起こす。

 不審な行動に校長が気付いていたにもかかわらず、きちんと処分されなかった教師が転勤先でも小学生を乱暴し続け、被害者が三十人近くに上った事件まである。

 私は「校長がもみ消そうとしている」という相談を受けることもあるが、急に事態が解決するのは、情報が警察に入って教師が逮捕された時だ。途端に校長は「隠すつもりはなかった」と言い訳して、「対応が悪かった」と教育委員会から処分を受けることになる。

 なぜそうなるのか。調査の経験などない“ド素人”の校長に突然、調査の全権が委ねられるからだ。そんなことを繰り返さないためには、本来、いじめ自殺のように、弁護士らが入った専門家の「第三者委員会」が調べる体制が望ましい。

 だが、現状では、問題解決の鍵を握っているのは校長だ。少なくとも、子どもに寄り添って話を聞き、教育委員会に素早く事態を報告するよう求めたい。たどたどしい言葉で、それでも、やっとの思いで訴えた子どもと、必死で自分の立場を守ろうとする大人の教師の聴き取りを“中立的”な立場で行ったのでは、子どもの方が圧倒的に不利なことを意識してほしい。

 悲劇を繰り返さないためには、ぜひ、人ごとだと思わず、この本を読んでいただきたい。きっと、あなたの周りにも、口にできないだけで、被害者はいるはずだ。明日の被害者を減らすために、一人でも多くの方に本書を手に取っていただけるよう願っている。

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スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか

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池谷孝司

1988年共同通信社に入社。松江支局、広島支局、大阪社会部を経て95年から本社社会部で文部科学省や東京地検を担当。大阪社会部次長の後、本社社会部次長となり、宮崎支局長を経て、現在、編集委員兼論説委員。

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