スマートフォンとSNSの隆盛により、人が目にする情報の量はどんどん増えていますが、その反面、じっくりと本を読む時間は減ってきている、という調査があります。

改めて、「本」と「読書」について考えてみませんか?

伊藤忠商事前会長、元中国大使でビジネス界きっての読書家・丹羽宇一郎さんが、本の選び方、読み方、活かし方、楽しみ方を縦横無尽に語り尽くす新書『死ぬほど読書』から、「いい本」の価値観にまつわるエピソードをお届けします。

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感じ方は人によっても、年齢によっても変わる

(写真:iStock.com/Photodjo)

 いろんな若い人と本の話をしていると、「どういう本がおすすめですか?」といったことをたまに聞かれます。そんなとき私はこう答えるようにしています。

「あなたが面白そうだと思うものを読みなさい」

 すると、相手は一瞬「えっ!?」という顔をします。おそらく「この本は絶対面白いよ」とか「これは仕事をする上で必読書だよ」といった答えを期待していたのでしょう。

 しかしながら、私がこれは大木だと思っている本でも、人からすれば雑草かもしれない。逆に人がこれはりっぱな木だと考えている本が、私にとっては雑草にすぎないかもしれない。

 立場によって、考え方や感じ方によって、これはいい本だとか必読すべき本だといった価値観は変わるものです。人がいくらいいといっても、関心のないものは一生懸命に読んでも頭に入らない。蒙(もう)を啓(ひら)く内容だといわれても、基礎知識がなければ理解できない。

 また、自分のなかでも、年齢とともにとらえ方が変わることはいくらでもあります。若い頃に読んですごい本だなと思っていたものが、何十年か経って再び読み返すと、あまりピンとこなかったり、反対に若いときには秘めている値打ちに気づかなかったものが、人生経験を積んだことでようやくわかったりすることもある。

 たとえば、私が学生時代に読んで感動したロシアの実践的思想家、レフ・トルストイ(1828~1910年)の『戦争と平和』をいま読んだとして、以前と同じように感激するかといえば、おそらくそれはないでしょう。

 最近、こんな実験をしてみました。55年ほど前に読んで大きな影響を受けたロマン・ロラン(1866~1944年)による長編小説『ジャン・クリストフ』を久しぶりに読み返したのです。

 これはロマン・ロランが自ら筆をとったベートーヴェンの伝記をベースとして、「あらゆる国の悩み、闘い、それに打ち勝つ自由な魂たち」に捧げるといって書いた作品です。

 主人公のジャン・クリストフは自分の気持ちに正直に生きるあまり、さまざまな困難や試練にぶつかりますが、それを乗り越え、作曲家として成功を収めていきます。

 

『ジャン・クリストフ』に影響を受けた、心に誠実な生き方

 私自身、自分の気持ちに正直でいようといい聞かせながら、これまで生きてきましたが、それがどれだけ難しいことか、この歳になるとよくわかります。

 会社で上司にいいにくいことを直言して衝突したり、そのため周りから疎んじられたりといった経験もしました。

 あるとき、同僚が上司の不正な行為のことで悩んでいるのを見かねて、若気の至りと正義感もあったのでしょう、「君がいえないなら俺がいってやる」といって、上司に「あなたのやっていることはおかしい」といったのです。そのことで、もし会社にいられなくなっても、別にかまわない。どこか別のところで働こうと思っていました。

 たとえば、あなたが粉飾決算をし、利益を出せば来月部長になれるが、正直に損失を報告すれば部長になれない場合、どうするか? たいていの人は来月はよい風が吹くかもしれないと思って噓をつくほうを選ぶのかもしれません。それが人間というものだし、それだけ心に忠実に生きるということは大変です。

 心に忠実に生きるなんて考え方は書生っぽい生き方だ、そんなことではこの社会は生きていけない、と思う人もいるでしょう。しかし、そう思われようと、これは各々の価値観と心の問題です。

 死ぬ間際に「ああ、俺の人生は幸せだった。人も騙していない、傷つけてもいない。自分の心に忠実に、思い通りに生きた」と思えるか。「ああ、しまった、会社にも部下にも悪いことをした」というようなことがあれば、心のどこかにずっと残るものです。

 どれだけ心に誠実に生きられるか? こういうことを考えるようになったのも、『ジャン・クリストフ』の影響が多少なりともあったのかもしれません。

 

55年経って再読してみたら

 私にとっては生涯忘れがたい一冊となった本ですから、再読することでそれが55年後の自分にどう響くか、興味があったのです。

『ジャン・クリストフ』は文庫本一冊が500~600頁で、全部で4巻あります。相当な長編です。自分の心がどう反応するのか、興味津々で読み始めたものの、2巻目を読み終えたところで挫折しました。

 やはり、同じ本でも年齢や時代によって、受ける印象はまったく違うものです。

 そこで「55年前と同じような感動と感激があったら、俺はアホだ」と思いました。もしそうなら、ほとんど成長をしていないことになるからです。

 歳をとって感動しなくなったというと、感性が衰えて感じる力が弱くなったようにも聞こえますが、そんなことはないと思います。ただ、若いときと違って、感じる対象が変わってくるのです。同じ本でも、若いときと歳をとったときとでは、感じ方が違って当然なのです。

 

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もし、あなたがよりよく生きたいと望むなら、「世の中には知らないことが無数にある」と自覚することだ。すると知的好奇心が芽生え、人生は俄然、面白くなる。自分の無知に気づくには、本がうってつけだ。ただし、読み方にはコツがある。「これは重要だ」と思った箇所は、線を引くなり付箋を貼るなりして、最後にノートに書き写す。ここまで実践して、はじめて本が自分の血肉となる。伊藤忠商事前会長、元中国大使でビジネス界きっての読書家が、本の選び方、読み方、活かし方、楽しみ方を縦横無尽に語り尽くす。