この世で一番不毛な時間というのは、もう狂おしいほど愛しているわけでもない、役にも立たない、若干負担にすらなる、この先どこに向かうわけでもないオトコと、単に別れるほど嫌いじゃないとか別れるのが面倒だという理由でズルズル付き合うことである。しかし、世の多くの人間が、かなりの量のこの不毛な時間を過ごしている。

 こういった関係は、基本的にオンナが終止符を打つしかない、というのが私の持論である。オトコは狩りが好きで常に浮気願望まみれで程よい刺激をいつも求めている割に、変化を嫌い、一度手に入れたものを失うことに抵抗があり、安心すると安心したおす傾向があるので、刺激はないけどちょっとした安心感と安定感がある関係をわざわざ自分から壊したりはしない。その関係を保持したまま浮気したりキャバクラに通ったりして、まさか手に入れて家で待っているはずのオンナが、自分と同じように刺激や欲にまみれた存在だなんて思っちゃいない。

 さて、ズルズルした関係を断ち切るにはどういった手段を取るのが賢いのか。もちろん、大した事件も絶望もなく別れるわけだから、きちんとした話し合いなどそれこそ不毛である。悠長にそんなことをしていると、その状態が常態化してしまい、結局ズルズルと、「別れようとは思ってるんだけど……」という名の関係第二章に突入して行く。「彼氏とどうなった?」と聞いてくる友人に毎回のごとく「もう別れるよ」と言い続け、「あんた毎回そう言ってるけど別れないよね」と冷たく返されている、あの人たちの関係である。やはりそこはきっぱりスッキリ別れるべきだ。

 私は、欲も嫉妬も怠け心もひどくたくさん持ったとても人間らしいだらしないオンナではあるが、唯一あまり持たないのが未練である。小中高一貫の学校も何の未練もなく思い立ったが吉日ですぐ辞める決心をしたし、新聞社を辞める時も思い立ってすぐに上司に話した。どんなに欲しくて買ったブランド靴も引越しのタイミングで全て手放してきたし、卒業証書とかアルバムの類もあまりとっておかない。

 そんな私がそういうさっぱりスッキリを愛する性質を最もわかりやすく発揮してオトコと別れたのは今から8年ほど前、新聞社に入社して半年ちょっと経った年末のことである。当時、大学院時代に西麻布のクロスというクラブで知り合った彼が住んでいた港区のマンションに転がり込んで、家賃のかからない社会人生活を満喫していたのだが、その彼のすっかり結婚する気になって嫁扱いしてくる態度と、酒癖とゲーム依存にはやや嫌気がさしていた。

 そんなものはかっこいいとか優しいとか東大卒の高収入証券マンという長所に惚れている時には大して気にならないし、むしろエクボに見えるものだが、燃えていた恋の炎が下火になってくると、それまでは適度に嬉しかった束縛など邪魔でしかない。そして私の好きな若干田舎臭い亭主関白気質は、可能性と夢と業務だけはたくさんある新米新聞記者にとっては障害でしかない。

 ある夜、私は他社の先輩とその先輩が仲の良かった都議と3人で赤坂で飲んでいて帰りがいつもより遅くなった。午前3時頃、家に帰ると、11階にあった部屋がダブルロックされていて開かない。鍵は開くのだが、手動でしか開けられないダブルロック部分がガツンと引っかかって中には入れない。彼は起きているらしく、テレビゲームの音などがしていたのだが、明らかに故意に締め出している。

 彼の算段としては私が電話やドア越しに泣きつき、ごめんなさいを連呼して、もう絶対遅くならないし超好きだからとか言って彼が優位なセックスでもして終わるということだったのだろうが、私は泣きつくほど好きでもないし絶対遅くならない自信など微塵もなかったため、とっとと諦めて近所の漫画喫茶のマンボウにチェックインして『怨み屋本舗』を読み始めていた。どうせ彼の方が出社が早いし、彼が出た頃を見計らってシャワーだけ浴びて着替えて化粧して会社に行けば十分間に合う。

 しかし算段が外れた彼は漫画喫茶の前まできて何度も電話をかけてくるわ、挙げ句の果てには漫画喫茶のお兄さんに私を出せと怒鳴るわ、散々恥知らずなことをして、結局私はトボトボ彼について家に帰った。そしてブツブツ恨み言を言う彼を横目にとりあえずぐっすり寝たのだが、彼は怒りが収まらないらしく、寝付いたところを何度も起こしてくる。この世で一番無駄で不毛な夜である。私が「いいよ、もう別れよう」と言えば、自殺をほのめかすことを言って屋上に上がったり、泣きながら土下座してきたりと手がかかった。

 私は翌日、反省したふりをして会社に行き、取材に出るふりをして歌舞伎町の不動産屋に飛び込み、いくらでも払うから今すぐ入れる部屋の鍵をくれと言って、東京ミッドタウンの並びにある、事務所だかマンションだかよくわからない部屋を借り、部屋の中を見もしないで彼より早く家に帰り、わからないように身支度を始めた。

 翌日彼がいつも通り、証券マンらしい時間に出社したあと、私は赤帽を呼び、とりあえず生きていくのに必要であろう荷物だけ一緒に運び出してもらい、机の上に「今まで有難う鍵はポストに入れますさよなら」とだけ書き置いて家を出た。荷物を運び込む時に初めて見た乃木坂の家賃16万円の家は、洗濯機置き場はないわエアコンはないわトイレは昭和の香りがするわ本当にただただだだっ広いワンルームのひどい物件だったが、とりあえず私はスッキリとした気分でそのスッキリとした部屋で新生活を始めた。

 のは束の間、彼は全くスッキリしない気分だったらしく、しつこく電話をかけてくる、会社のメールに100件以上のメールを連続で送ってくる、私のGメールに侵入して居場所を突き止め近くで待ち伏せする、勤め先だった都庁の前に包丁を持ってくる、訴えるとか言ってくる。では嫌われてみようと男と遊びまくってみたり罵詈雑言をメールで返信したりしたら、嫌ってはくれたが大人しく嫌ってはくれず、私の両親に私のAVを送りつける、私のフェイスブックの友達にランダムに私の裸の写真を送りつける、などやりたい放題された。

 結局、完全に彼の復讐劇が落ち着き、嫌がらせの電話やメールも来なくなったのはそれから4、5年後である。私の間違った潔さで、1日でスッキリさせたつもりが、最も長期戦の非スッキリであった。

 急がば回れとかウサギとカメとか隣人への敬意とか、私は標語めいた言葉や物語が基本的には嫌いなのだが、人の感情を強く揺さぶる恋愛、参加する人間が2人以上いる恋愛、その領域において、完全なスッキリなんてないのかもしれない、と、私はミッドタウンから10メートルほど先のラーメン屋で餃子食べながら痛感した。少なくともオトコを捨てる時に、オトコがルブタンの靴よりは生々しい存在であるという事実を忘れて、ルブタンより簡単に捨てたりすると、割とひどい目にあうということはわかった。

 だからって綺麗に別れる方法なんて知らないし、片方が好きで片方が嫌いな関係は不毛だけど、片方が嫌いで片方が好きな別れもまた同じくらいに複雑で面倒なものなので、今のところ、相手が悪いことをした時にそれを理由にして(ほんとはとっくに別れるつもりだったにもかかわらずあたかもそれで愛が冷めたように振舞って)別れる、というベター策を模索している。

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