◯『プラージュ』誉田哲也(Amazon) 
「連続ドラマW プラージュ 〜訳ありばかりのシェアハウス〜」
8月12日(土)スタート 毎週土曜 夜10:00よりWOWOWプライムにて放送(全5話)[第1話無料]

 

 

 貴生は今年の一月、つまり三ヶ月前まで、旅行代理店で営業マンをやっていた。営業といっても支店の窓口勤務だから、攻めというよりは受けの仕事だった。店を訪れた客の話を聞き、それに合うプランを提案し、契約を取る。大雑把(おおざっぱ)にいうとそういう仕事だった。やり甲斐なんてものは感じていなかった。ただ好きでもない代わりに嫌いでもなかった。このご時世、大した学歴もない自分のような男を雇ってくれ、毎月給料をくれる会社にはそれなりに感謝していた。しかも、営業成績は「中」の──いや、厳しくいえば「下」の方だった。だから耐えていた。口ばかりの上司に「契約件数少な過ぎ、単価安過ぎ、オプション取れなさ過ぎ」となじられようと、小突かれようと、歯を喰いしばって我慢していた。
 しかし、我慢の限界というのは、やはりある。
「そもそもお前、目つきが悪いんだよ。女の子たちに陰でなんていわれてるか、お前知ってるか? 『柳』だぞ。柳の下の幽霊が恨めしそうにこっち見てるって、そういう意味だぞ。変態かお前は。変質者かよ、まったく」
 同じ支店で同期の渡辺律子(わたなべりつこ)が、あの、いつも明るく可愛いりっちゃんが、その上司と不倫していると知った直後だったこともあり、ダメージはかつてないほどに大きかった。一方、今どきの女の子が「柳の下の幽霊」なんていうか? という疑問はあったものの、そんな反論にも意味は見出せず、貴生はそのままカバンだけを持って店を飛び出した。三十にもなって情けない限りだが、泣きながら走っていると涙が後ろの方に尾を引いてこぼれていった。
 その夜は、東京に出てきている地元の友達数人と連絡をとり、居酒屋、キャバクラ、個室カラオケとハシゴして騒ぎまくった。いつの間にか知らない連中も合流していて、そのうちの一人に「ムシャクシャしたときはこれが一番だって」と注射器を渡された。酔いも回っており、冷静に考えることができなくなっていた。いや、考えたくなかっただけかもしれない。
 細い針が、肘(ひじ)の内側の皮膚にズブズブと埋まっていく。自分で打ったのか、その誰かに手を添えられてだったのかは記憶にない。ただ瞬く間に、体中に淀(よど)んでいたものが消え去り、濁(にご)っていた意識が透き通っていったのは──。
「……一軒、あるけどね」
 杉井のふいなひと言で、貴生は我に返った。
「え、あ、ありますか」
「ただ、シャブで執行猶予ってのがな……」
 シャブっていったって、使ったのはたった一回だし、実際、執行猶予になってるわけだから、そんなに問題視しなくてもいいんじゃないか、とは思うものの、それがあくまでも前科者の勝手な言い分であることは、貴生自身よく理解していた。
「そこをなんとか、よろしくお願いします。自分、ちゃんとやり直したいんです。仕事も見つけて、きちんと暮らしたいんです。でもそのためには、まず住所が決まらないと……」
 するといきなり、杉井が拳(こぶし)をカウンターに落とした。
「そんなこたァ、こっちだって分かってんだッ」
 声を荒らげた勢いでサングラスがずり落ち、初めて杉井と目が合った。自分でいうのもなんだが、貴生のそれが小鳥のように可愛く思えるほど、杉井の目つきは険しかった。この落武者、おそらく、只者(ただもの)ではない。
「……ニイちゃん、甘ったれんじゃねえよ。世間様は、今のあんたが思うよりずっと、前科者には厳しいんだ。人生やり直してえってだけなら、そらぁ堅気(かたぎ)だって一緒だぜ。だがそれだって、並大抵の辛抱じゃ叶(かな)わねえ。あんたみてえな半端者が、やり直してえなんて軽々しくいうんもんじゃねえ。今回は小菅さんの紹介だから、それなりのところを紹介してやる。だがな、ここで駄目ならあんた、他にいくところそこんとこ、よくよく肝(きも)に銘(めい)じなよ」
 煙たい西日の店内。杉井が摘(つま)んでいるタバコの先からは、まだゆらゆらと紫煙(しえん)が立ち上っている。
 近所の子供だろう。外から聞こえた「バイバイ、またね」の無邪気な声が、貴生には無性に羨(うらや)ましく感じられた。

 

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