体長わずか数ミリメートルの小さな昆虫を求めて、アマゾンの密林や広大なサバンナへと世界を旅する昆虫学者・丸山宗利氏。「昆虫こわい」と半ば本気で、半ば興奮を戒めるためにつぶやく丸山氏の旅を追ううちに、虫の驚くべき生態がわかる笑いと涙の昆虫旅行記『カラー版 昆虫こわい』が幻冬舎新書より発売中です。
今回はその中から「まえがき」を試し読みとして公開します。いい虫に出会うコツは「饅頭こわい」だという丸山氏。その真意とは!?

 

まえがき

 疲れている。ぬるぬると湿った床を歩いて洗面台の前に立つと、明らかに顔がむくんでいるのがわかる。無精ひげを剃る気力もなく、とりあえず栄養剤を口に放り込む。
 疲れの理由は明白だ。もういい歳なので疲れが抜けないというのもあるが、なにせ初日から全然眠れていないのだ。

 ここは日本から見て地球の裏側にあたるフランス領ギアナ。今日で五日目だ。
 なんで眠れないかというと、毎晩半徹夜で繰り返している灯火採集(布に光をあてて、集まる虫を採集する方法)があまりにも楽しく、気持ちがたかぶって、どうにも寝付けないのである。「わざわざ地球の裏側まで行って何しているんだ」「いい歳をして」と思われるだろうが、私もそう思っている。

 私の研究分野は昆虫系統分類学といって、世界各地をまわって、昆虫を捕まえてきては、新種として発表したり、遺伝子から進化の道筋を調べたりすることを生業としている。

 昆虫の中でも、とくにアリと共生する昆虫が専門だ。アリを見たことがない人はいないと思うが、アリの巣の中をじっくりと見たことのある人は少ないはずである。実は、巣の中をよく調べてみると、いろいろな他の昆虫が同居している。ここでは単純に「一緒に暮らす」という意味で「共生」という言葉を使ったが、実態は勝手に住み着いているだけで、「居候」ないし「寄生」というほうがしっくりとくるかもしれない。

 研究の世界ではそのような現象のことを「好蟻性」といい、そういう生態を持つ昆虫のことを「好蟻性昆虫」と呼んでいる。好蟻性昆虫の中でもとくに多いのは、あとで詳しく説明するが、ハネカクシという甲虫のなかまで、私のこれまでの研究内容の半分以上は好蟻性ハネカクシを対象としたものである。

 アリの巣の中をじっくりと見たことがなかったのは過去の昆虫学者たちも同じで、私が研究を始めた二十年前には、好蟻性昆虫を専門とする研究者は日本には一人もいなかった。それで、大学院生になってから、好蟻性昆虫の調査と研究を開始したところ、日本の野山でも、それどころか街中でさえも、たくさんの新種が見つかった。私たちの足元に未踏の調査地があったのである。

 アリと共生する昆虫の多くは特定のアリ(一種ないし数種)とだけ関係を持つ。だから、アリの種数が多い地域ほど、好蟻性昆虫の種数も多い。日本では北海道から沖縄まで全部合わせて三百種弱のアリしか生息していないが、熱帯雨林、たとえば東南アジアだと、数百メートル四方の狭い範囲に五百種以上のアリが生息していることがある。

 それにもかかわらず、東南アジアでは好蟻性昆虫の調査がほとんど進んでいない。そこで、「誰も見つけていないような新種がまだたくさんいるんじゃないか」と考え、十数年前から東南アジアの調査にも着手した。すると、思った通り、見たこともないような新種が、それこそザクザクと見つかった。そうなると、見つけた新種の虫がどうやって進化したのかとか、どうやって現在の生息地にたどり着いたのかなどが気になってくる。
 そこで、比較のため、南米やアフリカなどの標本も必要となってきて、結局、好蟻性昆虫の調査のために世界中を旅してまわることになった。多いときには年の三分の一を熱帯のジャングルで過ごしていて、こういう生活をかれこれ十年以上続けている。

 幸運もあって、命にかかわるほどの危険な目に遭わずにこれまできているが、それでも調査のあいだにはいろいろなことがあった。調査自体が困難をきわめたり、失敗したり、がっかりしたり、だまされたり、さらにいろんな危険な動物や昆虫に遭うことも少なくない。目的の昆虫を見つけるために、本当に「昆虫こわい」という目に何度も遭ってきたのだ。

 また、「昆虫こわい」という題は、落語の「まんじゅうこわい」をもじったものでもある。有名な話だが、仲間と怖いものの話をしていて、「饅頭が怖い」と嘘をつき、「思い出したら気分が悪くなった」と寝込んだところ、驚かせようとした仲間にたくさんの饅頭を持ち寄られ、結局はたくさんの饅頭を食べることができたという話である。
 昆虫採集はほとんど運であり、経験則として、「あの虫を見つけてやる」と期待するほどダメである。その気迫が虫を追いやってしまうのだろうか。「あの虫がこわい」くらいに自分に嘘をついて、無心になって初めて見つかることのほうが多い。実際、これまでの自分の成果で大発見と呼べるものは、狙ったものではなく、すべて予期せぬ偶然によるものである。そういうわけで、「昆虫こわい」はいい虫に出会うコツでもある。

 ある方に私の毎日を「小学生の夏休みの延長」と言われたことがある。私は大まじめに研究しているつもりだが、この本の原稿を書いていて、たしかにそうかもしれないとも思った。何かと気ぜわしい昨今、ちっぽけな虫を子供のように追いかける大の大人の様子をご覧になり、呆れたり笑ったりしていただけたら何よりである。
 さらに、「昆虫の調査」や「新種発見」といった、普通の人にはなじみのない研究の様子、どんな場所にどんな虫がいるのかといった現場の実態、それと、私の研究に限られるが、最新の研究成果も知っていただければとも思っている。

 さて、ここでの調査も残すところ五日。どんな虫が採れるのか。そして私の体力は最後まで持つのだろうか。

二〇一七年一月 南米・フランス領ギアナにて

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丸山宗利『カラー版 昆虫こわい』
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体長わずか数ミリメートルの昆虫を求めて、アマゾンの密林や広大なサバンナへと世界を旅する著者は数々の恐ろしい目に遭ってきた。ペルーでは深夜の森で、帰り道の目印に置いた紙片をアリに運ばれ遭難しかけたり、カメルーンではかわいい顔したハエに刺されて死の病に怯えたり、ギアナでの虫採りが楽しすぎて不眠症になったり……。「昆虫こわい」と半ば本気で、半ば興奮を戒めるためにつぶやく著者の旅を追ううちに、虫の驚くべき生態や知られざる調査の実態がわかる、笑いと涙の昆虫旅行記。

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