「ふつうの幸せ」が難しい時代です。憧れの仕事、理想の結婚、豊かな老後……を手に入れることができるのはごく少数。しかし、そこで「人並みになれない自分」に焦り苦しむことなく、満たされて生きるにはどうすればいいのか――?
『人生を半分あきらめて生きる』には、人生を上手にあきらめる知恵、そこから生きるエネルギーを取り戻す工夫が詰まっています。
臨床経験豊富な心理カウンセラーの言葉をお読みになって、少しでも気持ちを楽にしてください。

あきらめることができると、心のエネルギーが戻ってくる

「ま、いいか」

「仕方ないか」

「あきらめても、いいか……」

 そう何度か、自分の中でつぶやいてみましょう。

 そして、もしできることならば、あなたの近くにいる誰かに、

「ま、いいんじゃない」

「仕方ないよ」

「やるだけのことはやったよ」

 隣で何度かつぶやいてもらいましょう。

 何だか、ホッとしませんか? 少し、安心しませんか?

 この「あきらめ」の境地、「できることはやった。仕方ない」と、自分を許す境地こそ、私たちの「心の基地」と言えるものです。

「あきらめる」ことができ、「自分を許す」ことができると、私たちは、はじめてホッとし、安心することができます。

 そして、その「安心」をしばらく味わっていると、ジワーッと、心のエネルギーが戻ってきます。

「もうちょっと、やってみようかな」と思えてくるのです。

 大事なのは、「安心」「安全」という「心の基地」を味わえること。そして、そのために、「こんな自分じゃだめだ」とか「もっとがんばらなくては」と、「自分を責める気持ち」や「割り切れない気持ち」がたとえあったとしても、その気持ちを少し自分から切り離して、脇に置いておく姿勢です。「ま、いいか」「とりあえず、これで、仕方ない」と、「あきらめる」姿勢です。

 私たちは、何かを、とりあえず「あきらめる」こと、中途半端だったり目標に達しなかったりする「自分を許す」ことによって、はじめて、ホッとして、安心感を得ることができます。そして、このあきらめと、それがもたらす安心感なくては、じょうずに生きしのいでいくことは難しいのです。

 

じょうずに「自分から逃げる」術をおぼえる

 こう書くと、「なんだ、それじゃ、自分から逃げていることにならないですか」と反論する声が聞えてきそうです。

 そうです。それでいいのです。つらい時には、「自分から逃げる」ことが大切なのです。「逃げていい」し、「逃げる方法を学んでおく必要がある」のです。

 他人から逃げることは、ある意味、簡単です。しばらく会わないようにする、メールが来ても返事は打たないようにする、など物理的に逃げれば、それですむのです。それでも追ってくるような、空気が読めなさすぎる人がたまにいますが、そんな人には、言葉でしっかりハッキリと、「今は、放っておいてほしいんだ」「自分のことは自分で考えたいから。これまで、ありがとうね」と伝えて、区切りをつけましょう。

 やっかいなのは、他人よりも、「自分自身」です。他人とは距離をとれても、自分自身とは、なかなか距離がとれません。

 自分自身とは、物理的に距離をとることができない代わりに、心理的な距離をつくっていく必要があります。

 仕事で失敗したり、失恋したりした後で、よく一人旅に出る方がいますが、あれは、物理的にいつもの自分とは異なる場所に身を置くことで、自分を追いかけてくる悲しみの感情や自責の念と心理的な距離がとれるようにしようとする、その人なりの「工夫」です。

 しかし、いくら旅をしたところで、「そんなんじゃだめだ」「まだまだだめだ」「もっとがんばらなくては」「あきらめちゃだめだ」と追いかけてきて、自分を責めたてる「もう一人の自分」=「うちなる自己批判者」がいます。

『新世紀エヴァンゲリオン』の碇(いかり)シンジくんではありませんが、「逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ」と、自分を追い込んできて「自分にダメ出しする自分」が、私たちの心の内には、存在しています。

 私たち日本人の多くが、この「あきらめてはいけない教」、「がんばり教」、「あきらめずに努力すれば何とかなる教」の信者になっています。そうした観念によって、自分を追いつめてしまっているのです。

 その結果、いつも「がんばれない自分はだめだ」と自分を責めたり、「もっとがんばっているように見える他人」と自分を比べて焦ったり、「私は周囲から取り残されているのではないか」と不安に駆られたりしてしまうのです。

 こうした「うちなる批判者」=「まだあきらめるな」と「自分にダメ出しして自分を追い込んでくる自分」からどう距離をとるか、一時的にであれ、どう逃げるかを学んでおくことが、安心感のある人生を生きていくためには必要です。

 逃げてはだめなのではありません。逃げる術(すべ)を学んでおく必要があるのです。「自分を追い込んでくる自分」や「自分に襲いかかってくる否定的な感情」をうまくすかしたり、かわしたり、距離をとったり、そうした気持ちを「置いておくための場所」をつくっておく工夫をしたりして、しばらくは、そんな自分から、うまく距離をとって逃げる術を学んでおくことが大切なのです。

 いつも自分自身と闘ってばかりいては、心がエネルギー不足になってしまいます。自分自身から一時的に逃げて、心の基地で休むことをおぼえましょう。それができるようになると、そのうち、「じゃ、もうちょっとやるか!」という心のエネルギーを取り戻すことができるのです。

 

少しずつ、じょうずに、あきらめる

「人生を半分、あきらめる」という言葉を聞いて、「本当にあきらめちゃっていいのか」という気持ちになった方もいるでしょう。

 もちろん、あきらめていいのです。というより、じょうずに、少しずつ、細かく、あきらめる術をおぼえたほうがいいのです。

 人生、思い通りにならないことばかりです。思いもかけなかったことが、たくさん起こります。

「憧れの会社に正規社員として採用された。これで定年まで安心だ」と思っていたら、入社して数年も経たないうちに、その会社の業績が急に傾きはじめ、突然リストラされる、なんてこともじゅうぶんにありえます。

「二人の愛は永遠だ」と信じて結婚したら、結婚後半年経った頃からパートナーが突然キレるようになり、思いもかけず、離婚してしまった、ということもあるでしょう。

「美しすぎる妻」(ハンサムすぎる夫)と思って結婚したのに、20年後には、同じ人とは思えない容姿になり、鬼嫁(加齢臭だけのオヤジ)に成り下がってしまうということもあるでしょう。

 そう、すべては、変わっていくのです。

 だからといって、「すべては変わっていくものなのです。さぁ、手放しましょう」などと言われても、心から、そんな現実を受け入れることはなかなか難しいでしょう。

 執着するのが、人間の本性だからです。

 変わりゆく過酷な現実のすべてをあるがままに受け入れることができるとしたら、それはすでに「悟り」の境地です。

 人生の現実は、時として、私たちの思いを大きく裏切って進んでいきます。

 その過酷な現実を一挙に受け入れることは、並の人間には、とうてい不可能です。もし、私たちが、人生のすべてを本当にあきらめ尽くすことができれば、もう怖いものなんかないでしょう。

 すべては変化し、積み上げたもののすべてはいずれ、壊れていく。――そんなことは理屈で一般論としてはわかっていても、自分の人生の現実として、それを受け入れていくことは、ほんとうに苦しいことです。厳しすぎる現実に直面すれば、常人であれば、うつ病にでもなるのが、当たり前です。

 では、思い通りにならない人生の現実に直面したときには、どうすればいのでしょう。

 まずは、その現実やあまりにもつらい気持ちを、自分から切り離す。そして、ちょっと脇に置いておいて、しばらくは見ないように、考えないようにしておき、時間の経過とともに、少しずつ、少しずつ、受け入れていく。そんな「小さなあきらめ」を、心のダメージを最小限に食い止めるように、少しずつ、少しずつ、重ねていくのです。
(『第二章「あきらめる」ことができると、人ははじめて安心できる』より)

*続きは、書籍『人生を半分あきらめて生きる』をご覧ください。

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「ふつうの幸せ」が難しい時代だ。憧れの仕事、理想の結婚、豊かな老後……そんな選択ができる人はごく少数。日本は、個人の努力とは無関係に、就職できない人、結婚できない人、孤独のまま死んでいく人がますます増える社会になる。そこでは「人並みになれない自分」に焦り苦しむより、人生を半分あきらめながら生きることが、心の奥深く満たされて生きる第一歩となる。自分ではどうにもならない現実に抗わず、今できることに集中する。前に向かうエネルギーはそこから湧いてくる―。臨床経験豊富な心理カウンセラーによる逆説的人生論。