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人生を半分あきらめて生きる

2020.03.19 公開 ツイート

【体と心を整える】前向きな言葉を使いながら、心が空虚な人が増えている【再掲】 諸富祥彦

突然の休校、リモートワーク……ふだんと違う生活となり、自宅で過ごす時間が増えた方も多いと思います。すると、自分のことを見つめ直せると同時に、思い悩んでしまう場面も多々あるのではないでしょうか。今って本当に理想の仕事なのかな? 理想の結婚なのかな? 豊かな生活なのかな……しかし、そこで焦らず、満たされて生きるにはどうすればいいのか。臨床経験豊富な心理カウンセラーの書籍『人生を半分あきらめて生きる』より、人生を「上手にあきらめる」知恵、そこから生きるエネルギーを取り戻す工夫を紹介します。

*   *   *

人生はあきらめであり、あきらめこそが人生

 生きるとは、小さな「あきらめ」を積み重ねていくことです。

 仕事も、恋愛も、結婚も、子育ても、夫婦関係も介護も、「こうしたい」「こうあればいいのに」といくら思っていても、どうにもならないことばかり。そのどうにもならない現実を前に、私たちはそれをただ少しずつ受け入れ、あきらめていくことしかできません。

 

 人間は、子どもから大人になっていく過程で、否応なく、人生とは、いくら「こうしたい」と思っていても、叶かなわないことだらけであることを知らしめられます。

 エリザベス・キューブラー・ロスがかつて「喪失」について語った言葉を真似して言えば、

「人生はあきらめであり、あきらめこそが人生である」

「あきらめは人生でもっとも苦しいレッスンのひとつである」

「人はあきらめなくしては成長できない」

 というのが、人生の真実なのです。

 人生は、あきらめの連続である――この厳しい現実を受け入れていくことが、大人になるためには、必要です。

 大人であれば誰しも、どうしてもあきらめたくなかった大切なことを、いくつも、歯を食いしばりながら、あきらめてきたはずです。誰の心の中にも、大切な何かをあきらめざるをえなかったがゆえに、ポッカリと空いた「穴」がいくつも残っているはずです。

 だから、さみしくない大人なんて、誰もいない、のです。

「あきらめない」「がんばる」と聞くと憂うつになる人が増えている

 しかも、私たちが生きているこの社会は、成長が止まったばかりか、一年でGDPが1割も減少し、人口も減少していく「大縮小時代」です。この時代に、「どんな人生も自己選択可能」という嘘ではないけれど実現困難な甘い言葉に踊らされてはなりません。いたずらに希望や欲望を膨らませていくだけです。

 必要なのは、むしろ、身の丈にあわせて、欲望のスリム化、欲望のダイエット化をはかっていくことです。近年、若者、特に男性の物欲の低下、恋愛意欲の低下や、草食化がしばしば指摘されますが、これは、見方を変えれば、縮みゆく社会への彼らなりの適応行動なのかもしれません。

 こうした時代の中、私のところに相談に見える方の中には、本文でも触れますが、「あきらめない」とか、「がんばれ」「元気になろう」といった中身の空っぽなポジティブ言葉を耳にするとつらくなる、もういやだ、という方が少なくありません。

「あきらめちゃだめ」「がんばろう」「元気に」という言葉を聞くと、何となく、気持ちがへこんでくる。こうした言葉の空回りの背景から、その空虚さばかりが忍び寄ってきて、何だか気持ちがディプレッシブ(うつ)になってくる、というのです。

 皇居の周りを毎日、マラソンを続けている人を見る度に、「この人たち、走るのをやめたら、その瞬間に壊れてしまうのではないか」と胸が苦しくなる、と言った方もいました。

 私にもわかります。「あきらめないで」のかけ声も、皇居のマラソンも、それをやめたらぽっかりと穴を空けてその空虚さを露呈させてしまう「心の穴」にフタをしているようにしか思えないからです。

 私自身も、前向きな言葉をやたらと使う人の傍そばにいると、その人の目が死んでいることに気づくことがあります。言っている話は前向きなのに、からだ全体が発している雰囲気は、空虚なのです。

 この生きづらい時代に、私たちに必要なのは、むしろ、人生を「少しずつ、少しずつ、じょうずにあきらめていく」知恵と工夫です。

 この時代に、「がんばれば、できるよ」「あきらめちゃだめ」といった内容空疎で乱暴なポジティブ言葉の乱発は、他人も自分も追い込むだけです。

「ネガティブなつぶやき」の分かち合いが、安心感と生きるエネルギーに

 むしろ今私たちに必要なのは、生きていて、思うようにいかない毎日の生活の中で自然と生まれてくるネガティブ言葉のつぶやきを、お互いに聴き合い、分かち合っていくことです。

「ま、いいか」

「仕方ないよ」

「もう、だめかも」

「だめなら、だめでいい」

「あきらめるしか、ないか」

「やるだけのことは、やったね」

「今、できることを、やっていくだけ」

 そんな言葉を自分自身でつぶやいたり、仲間とかけ合ったりしていくことです。すると、不思議と安心感が生まれてきます。そしてそこで生まれた「安心感」が支えとなって、人はようやく少しずつ、自分にふりかかった過酷な現実と向き合うことができるようになっていくのです。

 人生に対する「小さなあきらめ」をじょうずに重ねていく。無理がないように、無理がないように、過酷な現実を受け入れていく。そんな工夫が必要です。

*   *   *

続きは、『人生を半分あきらめて生きる』をご覧ください。

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人生を半分あきらめて生きる

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諸富祥彦

1963年福岡県生まれ。1986年筑波大学人間学類、1992年同大学院博士課程修了。英国イーストアングリア大学、米国トランスパーソナル心理学研究所客員研究員、千葉大学教育学部講師、助教授(11年)を経て、現在、明治大学文学部教授。教育学博士。 時代の精神(ニヒリズム)と「格闘する思想家・心理療法家」(心理カウンセラー)。 日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会理事、日本産業カウンセリング学会理事、日本生徒指導学会理事。 教師を支える会代表、現場教師の作戦参謀。 臨床心理士、上級教育カウンセラー、学会認定カウンセラーなどの資格を持つ。

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