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2017.05.18

vol.59

ニベア缶ホバークラフト(誕生から九か月と二週間)

三崎 亜記

ニベア缶ホバークラフト(誕生から九か月と二週間)

 夫さんが小学校三年生の頃、忘れ物をした際の罰は、「廊下の雑巾がけ」だった。一組から四組までの、五十メートルくらいの長さの廊下を、一つの忘れ物で端から端まで一往復、雑巾がけするんだ。

 子どもの頃からぼーっとしてた夫さんは、一限から四限までの教科書を全部忘れるなんてことが日常茶飯事だったので、雑巾がけ五往復なんて罰をくらうことがしょっちゅうだった。

 先生としては、児童に、「こんな罰はまっぴらだ。明日から忘れ物をしないように気を付けよう」って思ってほしくて始めたんだろうが、若干九歳の夫さんは、そんな先生の深謀遠慮なんか知るよしもなかった。いかに忘れ物をしないように努力するかではなく、いかに効率よく、体力を使わずに雑巾がけをするかってことが目標になってしまったんだ。

 夫さんは、小学生なりに、対策を練った。

 まずは、廊下との摩擦をできるだけ少なくすることだ。そのため、雑巾は水っぽくてもダメだし、乾きすぎてもだめだ。絶妙の水分加減を、両手の絞りによって実現する小学生夫さんは、雑巾ソムリエと言っても過言じゃなかっただろう。

 最適の水分量の雑巾を手にしたら、今度は、雑巾がけの姿勢だ。あまりに前傾姿勢になりすぎると、雑巾に体重がかかりすぎて、摩擦で早く進めないし、雑巾の水分も減ってしまってさらにスピードののりが悪くなる。

 かといって及び腰ではスピードが出せない。

 何度も何度も雑巾がけをするうちに、最適の傾斜姿勢を小学生夫さんは会得した。まるでホバークラフトが、水面を滑って進むことで水との摩擦を無くしてスピードを上げるのと同じ要領で、小学生夫さんは、放課後の雑巾がけを華麗に乗り切ったんだ。

 そんな形で、間違った「乗り越え方」をしてきたせいで、忘れものぐせはちっとも治らないし、いまだに長い廊下を見ると、「これなら何秒で雑巾がけできるな」と無意識に考えてしまう。

 さて、誕生時にノホホンは、「細身偽装」をしてエコー写真に写り続けていた。そのせいで、「過積載」状態で出産に臨んだ妻ちゃんは、精一杯いきんだもののノホホンがお腹に居座り続けたので、急きょ帝王切開手術に切り替えられ、さんざんな目に遭って出産した。その顛末は、以前に書いた通りだ。

 母子手帳には、標準体重のグラフが載っていて、妻ちゃんは毎月ノホホンの体重を測っては、グラフの上に体重変化を記録している。

 ハーフバースデーの頃は、「標準体重」の範囲の上限ぎりぎりのところに収まっていたのが、また最近、上限を振りきったところに点を打たざるを得なくなった。高度成長期で日本の未来が光り輝いていた頃みたいな右肩上がりのグラフだ。

 妻ちゃんは、体重計がある授乳室に行った時には、おそるおそるノホホンを体重計に乗せて愕然とした後、自分の見た数字が錯覚だといわんばかりに首を振る。

「だってほら、今日は厚着してるし、オムツもたっぷり濡れてるからマイナス1. 5キロくらいしてもいいから……。よし! 標準体重ね! よかったわー、ノホホン」

 そんな感じで、現実を直視しようとしないんだ。

「だって、ノホホン、そんなに背が伸びたってわけでもないのに、体重ばっかり、そんなに増えるはずがないじゃない」

 やっぱり妻ちゃんは、現実から目を逸らし続ける。

 腱鞘炎になりかけた妻ちゃんは、もうノホホンを抱っこするっていう苦行を放棄しているのでわからないだろうが、常に抱っこマシーンとしての使役される夫さんは、身をもって実感しているんだ。ここ最近は、身体はそんなに大きくなった気はしないのに、なんだかずっしりと重たくなった気がするんだ。

「ノホホンは、昔はマシュマロマンみたいにむっちりだったけど、今は身体の密度が高い感じだな」

「むっちりじゃなくって、みっちりになっちゃったのね」

「さるかに合戦の劇をやるんだったら、ノホホンはぜったい、臼の役をやることになりそうだな」

 さて、「むっちり」から「みっちり」になったノホホンは、つかまり立ちやハイハイをするようになったんで、マンション住民としての宿命で、「下の階への配慮」ってやつが必要になった。

 もちろんノホホンが生まれた時点で、下の階の住人には挨拶に行ったし、その家庭でも少し前に赤ちゃんが生まれたばっかりってことで、同じ苦労を今まさに味わっているそうで、

「ぜ~んぜん、気にしなくっていいですよ~」

 って言ってもらえた。

 だけど、赤ちゃんがいる家庭だからこそ、自分の家の物音に神経過敏になっている分、人の家の音も気になっちゃうはずだ。

 みっちりノホホンは、ハイハイの勢いも激しくって、すでにドスドスと、「さるかに合戦の臼の役」に向けての練習に余念がない。

「よし、リビングにカーペットを敷こう」

 だけど、いたずら盛りのノホホンだ。カーペットを敷いても、すぐにいろんなところに染みを作ってしまう。そのたびにカーペットをクリーニングに出していたらお金もかかるし、予備のカーペットがいくつも必要だ。

 それで、リビング一面に、タイルカーペットを敷き詰めたんだ。これだったら、汚れた箇所だけ床から引っぺがして洗えばいい。

 本当は、カーペットを敷くのは、「歩きだしてからでいいかなぁ」と思っていた。だけど最近のノホホンは、つかまり立ちをした後、突然手を放してすとんと尻もちをつくことがあるので、フローリングだと痛そうだった。カーペットでそれも安心だ。

 リビング一面にタイルカーペットを敷き詰め、のほほんを放流する。

「うんぶーーーーっ」

 柔らかなカーペットの感触に大喜びかと思いきや、ノホホンは、なんだかあんまり喜んでいないみたいだ。

 なにしろ、防音を目的としてるので、カーペットはかなり毛足が長くてしっかりとしている。摩擦が高くなって、ノホホンのハイハイ進行速度は、著しく遅くなってしまったんだ

 ノホホンは、いかにも不満げだ。

 だけど、そんなノホホンは、もうすぐハイハイレースに出ることが決定している。ライバルたちに勝つためにも今から、ハイハイの練習をしておかなきゃならない。摩擦のあるカーペットは、ノホホンのハイハイを、「大リーグボール養成ギプス」みたいに、鍛えてくれるに違いない。

「さあ、ノホホン、『ハイハイスピード養成カーペット』の上で、自分を鍛錬するんだ!」

 ノホホンは、パパのスパルタ教育に納得していない風ながらも、カーペットの上を這い進みだす。

 そんなとき、いつものように、大量に転がっているニベア缶の横を通りかかったノホホンは、何を思ったか、そのニベア缶をカーペットの上に置いて両手をつき、カーペットの上をすべらせるようにしてハイハイをしだしたんだ。

 ニベア缶はカーペットの上を、摩擦の抵抗を受けずに進む。ノホホンのハイハイ速度もぐんとあがった。

「あら! これ、とっても楽だわー」

 その姿は、小学生の頃、忘れ物をしては、廊下をホバークラフト状態で雑巾がけ激走していたパパの姿を彷彿とさせる。

 パパの、ぞうきんがけホバークラフトの遺伝子を、ノホホンは立派に受け継いだみたいだ。

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