33歳、自身も2児の母である芦沢央さん。実の母親が自ら産んだ子を「取り替える」という、読んだ人たちの様々な感情をかき立てる問題作『貘の耳たぶ』を書き上げた今の思いをお聞きしました。

「小説幻冬」5月号より(インタビュー/河村道子)


「“血の繋がり”は自分の中にずっと
持ち続けているテーマなんです」

「人間を立体的に描きたいと思うのと同様に、育児というものについても一つの側面からだけではなく、いろいろな面を描きたいと考えました。授乳や寝かしつけで苦労することも、指を握られた瞬間に胸がいっぱいになることも、イヤイヤ期に苦しむことも、子どもと言葉が通じ合ったことに感動することも。育児が時に苦しくなるのは、大変なことがたくさんあるからだけではないと思うんです。子どもと一緒にいる時間がかけがえのない、きらきらとしたものだからこそ、その過ごし方に葛藤するんじゃないかと」

 その葛藤は芦沢さんの中にもあるという。
「私、作家と母親になったのが、ほぼ同時だったんです。野性時代フロンティア文学賞受賞の連絡が来た二週間後に妊娠がわかり、受賞作『罪の余白』の刊行された三か月後に出産して。だから作家として今が頑張りどきだからと休まず仕事を続けてきながらも、常にそのことに罪悪感と焦燥感を覚えていたりもするんです。私はこんなに仕事ばかりしている場合なんだろうか。子どもと過ごせる時間はきっと今だけなのに、と。これまで自分が育ててきた子どもと離れなければならないことになり、子どもと過ごせる時間が限られていることを突きつけられるという今作のシチュエーションは、実はそんな自分の葛藤を極端に濃縮したものでもある気がします」

 それだけに取り違えが発覚した後の、郁絵に突きつけられた選択は切ない。血の繋がった我が子、繭子の子どもとして育った航太を選ぶことは、四歳になる今まで、大切に育んできた璃空と別れなければならないということだ。“あの子は、私の子だ。血の繋がりなんて、何だというのだろう”という郁絵の叫びが、心を貫いてくる。

「私自身、もともとその思いがあるんです。デビュー作『罪の余白』では、主人公と愛する妻の遺伝子を継いだ娘が死んでしまうわけですが、では、彼の人生には意味がなかったのかというと決してそうではない、人が残すのは遺伝子ではなく、物語ではないかと、私は思うんです。血の繋がりというものは、それにこだわるあまり、生きづらさにも繋がるということも含めて、自分の中にずっと持ち続けているテーマでもありますね」

 本作では、郁絵やその夫の哲平がどんなふうに話し合い、結論を出していくのかを探るために、多くの人に“あなたならどうするか”という質問を投げかけてみたという。
「ママ友をはじめ、夫や両親、各社の担当編集者など、幅広い年齢層の男女に話を聞きました。面白かったのが、この人はこう答えるんじゃないかという予想がかなり外れたこと。私はほとんど反射的に“血なんて関係ない!”と思ってそこで思考停止してしまいがちだったのですが、回答してくださった方がみんな真剣に誠実にいろいろな角度から考えてくださって、ハッとさせられることの連続でした」

 郁絵も、そして取り違えが発覚してからも沈黙を続ける繭子も、各々の選択をする。その中で彼女たちは提示するのだ。それぞれの“そして母になる”ということを。

「この問題には正解なんてありません。だからこそどうやってもつらくなってしまう話なんですけれど、エピローグで出てくる、あるひとつの郁絵の問いには光の萌芽があると感じています。この話は、二人の母親の話であると同時に、ある一つの事件を軸に加害者と被害者を描いた話でもあります。そうした面からも大きな意味を持つ問いなのではないかと」

 ラストで現れたその光は、自身のこれからをも照らしているようだ。
「私は、一作、一作、その時点で自分の持っているものすべてを費やしてしまうので、書き終わった後は、“もう次は書けないかもしれない”と、茫然自失状態になることが多いんです。けれど、この作品を書き終わり、抱いたのは、今までとはまったく別の感覚。“私はこれからも書き続けていける”という確かな手応えでした」

 それは、今作では取材に力を入れたことも影響しているという。
「これまでは資料はかなり読み込む方であったものの、人に話を聞きに行くという取材は積極的にはやってきませんでした。かえって書きづらくなってしまうのではないかという懸念があったためです。ですが、今回やはりそれよりもメリットの方が大きいと感じることができました。たとえば産院の顧問弁護士は、第一稿では、事件に衝撃を受けている郁絵たちに対してとにかく早く話を進めようとするような存在として書いてしまっていたのですが、取材後に改めて読み返してみて、これは作者である私が物語を展開させるための都合なんじゃないかと気づいたんです。彼らにもそれぞれ家族がいて、仕事への信念を持ってこの事件に関わってきているはずで、それなのにこんなふうにとにかく丸く収まればいいというような考え方をするだろうか、と。それですべて書き直しました」

「賞の候補に残れる水準の作品を書きたい。
目標をクリアにすると私はよく走れるんです」

 作品作りという意味では後のことは考えない芦沢さんだが、作家としての目標は常に数年先まで見通して考えているという。
「“目標リスト”なるものを書き出してもいます。重版がかかる、作品が映像化される、海外翻訳される、雑誌で特集が組まれる……とか、目標というか、願望をそのまま紙に書き出す感じですね」

 実はその中には、“文学賞の候補に残る”というものもあるらしい。
「けっして賞を獲るために書いているわけではないのですが、“賞の候補に残るくらいの水準の作品を書きたいです、だからそのつもりで鍛えてください”と編集者にお願いすることは、自分を追い込むことでもあるんです」

 作家仲間には「なぜそんな地獄に足を踏み入れるの?」と、困惑されることもあるそうだ。

「たしかに地獄なのかもしれない。でも目標をクリアにすると、私はよく走れるんです。スポ根的なところがあるんでしょうね(笑)」

 スポ根! 芦沢さんの小柄で愛らしい風貌からは、一見想像し難いが、それは、積み重ねてきた努力からも、たしかに透けて見える。デビューから現在まで、編集者から言われたことはすべてメモを取り、特に大事だと思うものは、付箋に書いて貼り出しているのだという。

「編集者はこれまでの経験で培ってきたアドバイスを次々に投げてくれます。それを糧にしなければもったいない。すぐには理解できないものがあったとしても、理解できていないということを覚えてい続けるようにしています。すると、数年して突然腑に落ちたりするんです。そうやって一つ一つのアドバイスをぐじゃぐじゃに咀嚼していく中で、作家としての筋力の付き方が変わってきている実感があります」

 その実感は、作品からもたしかに受け取ることができる。デビュー五年にして、この伸び率。この先、どんな飛躍を遂げていくのか目が離せない。

「私、いろんな作家さんが、何歳の時に、どの作品を書いたのかというのを調べるのが好きなんです。たとえば私は今三十三歳なのですが、宮部みゆきさんが『火車』を発表されたのは三十二歳で、連城三紀彦さんが『戻り川心中』を書いたのもそれくらいなんです。あんな雲の上にあるような作品、いったい幾つになったら書けるんだろうと思っていたら、私くらいの歳で、お二人はもう書いていらっしゃる」

 それってプレッシャー? それとも……?
「すっごく、わくわくすること。いつまでも新人気分で、つい“いや、まだまだ無理ですから”って、言ってしまいそうになるんですけど、自分くらいの歳で、あんな素晴らしい作品を書かれた方がいらっしゃることは、自分のストッパーを外してくれる。そして、背中を押してくれるんです。“私も、もっとできるはずだ”って」

 

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