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2017.04.28

第21回

ときどきゲーセンのパチンコが打ちたくなる(前編)

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ときどきゲーセンのパチンコが打ちたくなる(前編)

 年に何回か、全てのことがネガティブにしか考えられないような時期がある。体調のせいなのか季節のせいなのか理由はわからない。
「なんだか全てがだるい」とか、「何もしたいことがないし楽しいこともない」とか、「自分は今まで人に対して不誠実なことばかりしてきて本当に申し訳なさばかりがある」とか、「こんな自分の性質は死ぬまで変わらないだろうしこれからも同じようなことを繰り返していくのだろう」とか、そんな後ろ向きな思考ばかりが脳の中でぐるぐる煮詰まってしまって、そんな思考は「認知の歪み」で偏った見方だというのは理性ではわかっているのだけど、どうしても黒くねっとりした思考を頭から振り払えなくなってしまう。
 そんなときは、ゲームセンターに行ってパチンコを打つことにしている。
 パチンコ屋ではなくゲーセンに行くのは、パチンコ屋に行くとすぐに何千円も消えてしまうけど、ゲーセンのパチンコなら数百円で数十分(運良く大当たりが出ればもっと長く)の時間を潰すことができるからだ。
 普段はゲーセンなどという騒々しくて空気が悪くて目が疲れる場所には全く行きたいと思わない。
 だけど神経が疲弊しきって、普通の楽しみが何も見つけられないようなときには、あの悪環境が少しだけ快適に思える瞬間があるのだ。
 ゲーセンの扉を開いて中に入った瞬間、大量の患者たちがそれぞれ独自の叫びを叫び続ける精神病院のように、数百台のゲーム機がそれぞれ発する機械音が合わさって一つになった異常な音量の騒音が、自分の頭を包む。うるさくてしかたがないけれど、これはノイズミュージックだ、と思うと悪くないような気がしてくる。
 ノイズミュージック、略してノイズというのは、機械が発する雑音や騒音のようなものがひたすら流れているという音楽のジャンルだけど、僕はときどきこれが聴きたくなる。大音量のノイズを聴くと、うるさいのだけどなぜか心が落ち着いてきて眠くなるという効果があることが知られている。
「日本人は虫の声を聴くと風流だと感じるけれど、外国人は騒音としか感じない」という話がある。耳というのは慣れが重要な器官で、その種の音を聴き慣れているかどうかで楽しめるかどうかが変わってくる。
 なので、ノイズを聴くことでノイズを楽しめる「ノイズ耳」を作っておくと、人生の中でときどき役に立つ気がする。例えば工事現場とか、電車のガード下とか、歯医者とかで。騒音を単にうるさいと言って嫌がるのではなく、「これはなかなかいいノイズじゃないか」と思う視点を持っていると、少し心に余裕が持てたりする。
 そう、重要なのは音だ。処理しきれないほどの音。頭の中が良くない思考でぐちゃぐちゃになっているときは、何も考える余裕がないくらいの騒音に頭を浸せばいい。余計なことばかり考える頭の回路なんて轟音で焼き切れてしまえ。
 腐った脳を音の洪水で洗濯してリセットするようなイメージだ。しばらくのあいだゲーセンの中で轟音と騒音にひたすら塗れてから外に出ると、外の世界は異常に静かでスッキリしていて、見えるものがみんな妙にクリアーに見えて、この世界もそんなに悪くないのかもしれない、という気分に少しだけなれたりするのだ。

 ゲーセンの中に入ったら適当なパチンコ台を見つけて座るのだけど、その前に普段はあまり飲まない缶コーヒーとあまり吸わないタバコを買っておく。そう、今から自分は、あまり美味しくない缶コーヒーを飲んで、体に悪いタバコを吸いながら、何も考えずバカみたいな顔でパチンコを打ち続けるのだ。そう思うと少しだけ楽しくなってくる。
 椅子に座ってハンドルを右手で握ると玉が打ち出される。きらきらと光を反射する銀色の鉄の玉が左下から次々と飛び出してきては、パラノイアックに壁に打ちつけられた大量の釘の間をかちかちと跳ねながら落下していき、その様子を僕は口を半開きにしたままで眺め続ける。
 玉が中央より少し下にある特定の穴に入ると、盤面の真ん中に据え付けられた小さなモニタの中で、数字の書かれたスロットが回り出す。

2 8 1

 同じ数字が三つ並んで止まると大当たりなのだけど、そうはなかなか当たらないものだ。次々とてんでんばらばらの数字が並び続ける。

3 5 4
7 3 2
6 3 1
8 1 6
9 2 5

 と思ったら不意に、「リーチですわよ!」と画面の中でアニメの女キャラが叫んだ。二つ同じ数字が止まって、あと一つ同じ数字が出ると当たりだ。
 でも、こんな普通のリーチが当たるわけがないことを僕は知っている。パチンコというのは、もっと演出が派手なスペシャルなリーチでないとまず当選しないものなのだ。
 しかし一縷の望み、このノーマルリーチがスペシャルリーチに発展しないものか、と期待するけれど、それは叶わず、画面の数字は揃わずに止まった。

3 4 3

 まあそんなもんだよな。次だ、次。黙々と僕は銀色の玉を打ち出し続ける。

 パチンコというのはゲームの一種なのだけど、ゲーム性が全くないゲームだ。勝ち負けにプレイヤーの技術や戦略が介入する余地はなく、ただ運や確率だけで当たりか外れかが決まる。パチンコというのは、「300回に一度当たりが出るサイコロをひたすら振り続けるだけのゲーム」と言っていい。
 だから単純にゲームとして考えるとあまり面白くないのだけど、人間には、何の頭も使いたくないけど何かをしたいというときがある。まともなゲームを遊ぶのは知性や技術がいるのでだるい、マンガを読むのもテレビを見るのも面倒臭い、そんなとき、何も考えず右手でハンドルを握っているだけで何かを遊んでいる感が出るパチンコがちょうどよかったりするのだ。
 そもそも人間は、単純にサイコロを振るだけといった確率だけのゲームでも楽しむことができる。その理由は、人は全く意味のない偶然にも意味を見出してしまう生き物だからだ。
 例えば、不意に落雷や竜巻などの災害に襲われて大怪我をしたとする。大抵の人はそれをただの偶然だとは思えず、「自分が何か悪いことをしたからバチが当たったのか」とか、「誰かが必要な対策を取らなかったからこんな目に合ったのだ」という風に考えてしまう。
 悪いできごとだけじゃなくて、良いできごとの場合でも同じだ。突然大金を拾ったりしたら、それもただの偶然とは思えず、「自分の普段の心がけが良かったからだ」とか、「今までロクなことがない人生だったからその埋め合わせとして神様がくれたのだ」などと思うはずだ。
 パチンコなどのギャンブルで起こるのもそれと同じことだ。
 そのゲームの裏にあるのは単なる偶然や確率に過ぎないのに、すぐに大当たりが出たら「俺はやっぱり選ばれた人間だ」とか「運の流れ的に今日は来ると読んでたんだ」などと自分の手柄であるかのように調子に乗ったりするし、なかなか当たりが来ないと「ツイてないときは何をやってもだめなのか」とか「不運をここで使い切ったから明日からはいいことがあるはずだ」とか考えたりして、その運や不運に理由や法則を探し始める。そうした深読みをすることで、人は単なる確率に左右されるだけのゲームを楽しめるのだ。
 人は無意味に何かが起こることに耐えられない。なぜならば、無意味を無意味としてそのまま受け止める心の強さがないからだ。
 この世界なんて本質的に無意味で出鱈目なことがランダムにいろいろ起こっているだけなのに、人はどうしてもそこに理由や法則や誰かの責任や天の啓示を探してしまう。
 特に理由のないサイコロの出目に理由を見つけようとするのと、特に理由のない人生や世界にその存在する理由を求めようとするのは同じことだ。前者はギャンブルと呼ばれ、後者は宗教と呼ばれる。神という存在はこの世の説明不可能なものを説明するために発明された。「無意味なできごとに意味付けを探してしまう」という点で、ギャンブルと宗教は本質的に同じものなのだ。
 どんなに善行を積んでいても不意に落石で死んだりするし、悪行ばかり重ねている人間が長生きして天寿を全うしたりもする。ど素人がいきなりカジノで大勝ちすることもあるし、経験豊富なギャンブラーが手も足も出ずに負けることもある。世界というのはそのように理不尽でランダムで説明不能な単なる混沌に過ぎないのだ。(後編に続く)

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