“そして母になる”があってもいいのでは、という思いで書き上げたという『貘の耳たぶ』は、出産直後の母親が、自らの子を「取り替える」場面から始まる衝撃的な物語。全国の書店員さんから続々届いた感想をお送りします。


とんでもない物語を読んでしまった。いや、そもそも物語、フィクションであったことすら忘れてしまいそうな程、その物語世界に没頭した。文字を追う度に、記憶の底に沈んでしまった暗い部分を掘り起こされるような心地悪さ。あまりの息苦しさに、時折頁を捲る指が止まる。決して共感できない繭子の行動。ただ逃げ場が無くなってしまうような、何か得体の知れない物に追い詰められているような感覚は理解できる。父である自分ですらそうだった、まして母なら……。自分も「そちら側」に落ちていたのではないか、という可能性に背筋が凍るような思いをした。取り違えに気付いて以降、繭子を除く3人の親がどれほど強く自分を責めたことだろうか。なかでも旭。妊娠中、母子の結びつきから感じる疎外感。出産直後、爆発的に湧いてくる誕生の喜びと、そこにまとわりつく整理のつかない様々な感情。日々強くなる父となった実感と、芽生える親としての責任感。その全てが生々しいものとして心に響く。だからこそ、2017年2月11日を迎えた彼の気持ちを思うにつけ、感情の高ぶりを抑える事ができなくなってしまうのだ。本当にとんでもない物語を読んでしまった。
(知遊堂亀貝店 山田宏孝さん)


ここまで書くのか、と思った。たいていの小説では、読みながら無意識に読者としての立ち位置や、物語とのちょうどいい距離をはかりながら読んでいる。しかし本作に関しては、それが最後まで定まらなかった。最後のページを閉じて呆然としながら、定めなくていいのだ、と弾けるように思った。出産そして育児という大事業を前にすると、とくにネットを中心としたその情報の多さに、いまでも立ち竦むような感覚を覚える。つねに予測不可能な生き物を前にして、子どもだけでなく母親も、無防備にその情報のシャワーにさらされ、消耗している。なぜそんなことを、と多くの人は思うのかもしれない。当然の報いだ、とこれも多くの人が思うのかもしれない。それは間違ってはいない。それを認めたうえで、わたしはこの物語の何が正しくて何が間違いだったかを、裁きたくない。わたしはこの物語の登場人物のすべての「感情」に寄り添いたい。それが無意味であっても、物語のなかの彼らのそれぞれの未来に、小さくても目に見えるたしかな幸せが訪れることを祈らずにいられない。本当は、本当に、だれもが祝福されて生まれ育てられるべきで、あなたがそこにいてもしかしたら孤独を感じているかもしれないことは、あなただけのせいではないのだと、そうすることでもし物語のなかの彼らに伝わるのなら、髪をふりみだして泣きわめきながらでも、伝えたかった。
(三省堂書店神保町店 大塚真祐子さん)

読んでいてとにかく息苦しかった。もっと先を読みたいのに辛くて読み進められない。読み終わった後、無意識に大きく息を吐き出した。それくらい疲れた。序盤から自分がしでかしたことではないのに、とにかく「どうしよう、どうしよう」とあせって読むのが辛かった。同時に「繭子、早く言って!」「言わないんなら、もう覚悟を決めてよ!」と言いたくて仕方なくて、もう心臓が嘘みたいにバクバクしてた。後半、郁絵の章は幾分か落ち着いて読めた。だけどこういう終わり方になるとは……。繭子の旦那はただ子ども失う形になって、相当辛いよ、コレ。そして航太の「ママに、つたえて」「ぼく、だいじょうぶじゃないよ」。もうこのセリフがきつい。血がつながっていなくても、繭子の子らしい。繭子が「わたしは何も、大丈夫じゃないのだ」と思っていた、気付いて欲しがっていたシーンが思い起こされて。読書でここまで息苦しくなったのは、久しぶりの体験だった。
(積文館書店運営部 松本愛さん)

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