電通の過労死自殺をきっかけに、日本の長時間労働がいよいよ問題になっています。とはいえ、働くことこそ生きること、なんでもいいから仕事を探せという風潮は根強く、息苦しさを感じ続けている人も多いのではないでしょうか。本書『仕事なんか生きがいにするな ~生きる意味を再び考える』は、仕事中心の人生から脱し、新たな生きがいを見つけるヒントが詰まった1冊です。

「仕事探し」=「自分探し」の幻想を捨てよ

世の中で用意されている「仕事」の多くが、「労働」と呼ばざるを得ないような、手応えの少なく断片化されたものになってしまっている今日、私たちは既存の選択肢の中だけでキリのない「職探し」に迷い込んではいけないだろうと思います。

 内なる「心=身体」の声に導かれ、場合によっては真に「仕事」や「活動」と呼べるものを自分で創出するのもよいでしょうし、どこかに理想の職業が用意されているという幻想から脱却できていれば、自分の資質にかなった、よりふさわしい職業に進路変更してみるのもよいでしょう。さらに、「働くこと」に中心を置かない生き方を模索するという選択もあるでしょうし、たとえ「労働」に従事せざるを得ない場合においても、それをいかに自分が「仕事」と呼べるものに近づけていけるかを工夫してみるのもよいでしょう。つまり、「労働」において見失われがちな「質」というものを、自身の「心=身体」の関与によって回復させることができる余地が、一見無味乾燥に思える「労働」の中に見つかることもあるのです。

 いずれにせよ、人間に与えられている知恵というものは「心=身体」のところに源があり、それは決して受動的で隷属的なことを良しとしません。「心=身体」を中心にした「本当の自分」という在り方は、能動性と創造性、そして何より遊びを生み出すものです。

 一個の人間は一つの職業に包摂されるほど小さくはない、と私は考えます。古代ギリシヤ人がかつて人間らしい在り方と捉えていた「仕事」や「活動」、そして「観照生活」というものを、少しでも現代に生きる私たちが自らの生活に復活させることができるか。私たちに問われているのは、「労働」をやみくもに賛美する「労働教」から脱して、今一度、大きな人間として復活することです。

 キリスト教的な禁欲主義に端を発し、「天職」という概念の登場によって「働くこと」が人生の最重要課題として絞り込まれ、それが転倒して金を稼ぐことが賛美されて資本主義が登場し、いつしか浅薄な欲望を刺激し拡大再生産するこのモンスターが、われわれの神となったのです。これに奉仕することを「召命」として人々に求めるもの、これが「労働教」の正体です。

 しかし、一人一人の「心=身体」から湧き起こる知恵が、有能なマネージャーとして「頭」の理性を協働させ、社会に向かって動き出した時、必ずや既存の型におさまらない、その人らしい歩みが導き出されるはずです。

 そして、そのように生きる人が一人でも増えていくことによって、非人間的な「労働」が、少しずつ「仕事」や「活動」に置き換わって、人間が人間らしく生きられるようになっていくのではないでしょうか。それが、すなわち「労働教」からの脱却であり、現代に生きる私たち一人一人の重要な使命ではないかと思うのです。

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