電通の過労死自殺をきっかけに、日本の長時間労働がいよいよ問題になっています。とはいえ、働くことこそ生きること、なんでもいいから仕事を探せという風潮は根強く、息苦しさを感じ続けている人も多いのではないでしょうか。本書『仕事なんか生きがいにするな ~生きる意味を再び考える』は、仕事中心の人生から脱し、新たな生きがいを見つけるヒントが詰まった1冊です。

薬物治療を凌駕する「劇的な内的変化」とは?

フロイトがかつて、人間存在にとっては「物的現実」ではなく「心的現実」が重要であることを説き、これにより人類の人間理解が大きく前進したわけですが、これはつまり、人間というものは「客観」によってではなく「主観」やイメージによって規定される生き物であるという発見だったと言えるでしょう。このことを念頭に置き、そこから人間というものを考えなければ、やはり本当のことは見えてきません。

 この「心的現実」というものが、いかに人間の在り方に決定的な影響力を持つものであるかということは、日々の臨床で私も目撃し、驚嘆させられています。一般に想像されていることとは違って、「心的現実」の変化によって人間に起こる変化は、薬物などによる化学的作用をはるかに凌りよう駕がする、ダイナミックで本質的なものです。身体医学的アプローチが空振りに終わったような慢性的身体疾患でさえ、「心的現実」への働きかけによって劇的に解決することも、決して珍しくありません。これが、「心」というものを備えた人間存在の真実なのです。

 このように「心」を備えたわれわれ人間には、内面的な苦悩や問いがどうしても湧き起こってくるものなのですが、これについて、「頭」というコンピューター的な理性で合理的思考に基づく議論を行っても、どうにも的外れな結論しか導き出せません。人間の「心」というものをよく知れば知るほど、それが合理的思考というツールでは決して測り切れない次元のものであることがわかってくるはずで、象牙の塔や書斎にこもって「頭」をひねってみても、それは見えてこないのです。

苦悩から脱した先にある「第二の誕生」

 さらにこの問題を論じる上で、どうしてもつきまとってくる大きな問題があります。

 生まれ育ってくる中で避け難く曇らされてしまい、「頭」でっかちで神経症的にならざるを得ないわれわれの感覚や認識というものを、「心」を中心に回復させることができた時、人は「本当の自分」になったという内的感覚を抱きます。これは、生まれ直したかのような新鮮さと歓びに満ちたものであり、「第二の誕生」とも呼ばれます。第1章で採り上げた「中年期の危機」を解決することとは、この「第二の誕生」の経験を得ることにほかなりません。

 このような内的変革の経験は、これまで超越体験、覚醒体験、宗教体験、悟りなど様々な言い方で語られてきたものですが、これを経た人間とそれ以前の段階に留まる人間との間には、絶望的とも言えるディスコミュニケーションが横たわっています。

 超越体験はこれまで、どうしても宗教的、あるいはスピリチュアルな文脈で語られることが多く、そこには常に「私だけがそれを達成できた優れた人間である」「私こそは神に愛され選ばれた人間だ」といった、どこか選民思想的な思い上がりがつきまといがちです。さらに、この経験を奇跡のようなものと捉え、そのための秘儀を「あなただけに特別に伝授します」といった触れ込みで、多くの自己啓発セミナーや新興宗教、自称カウンセラーによる素人心理療法、スピリチュアルなヒーリング等が様々に行われてきたという問題もあります。

 そこには、「未体験なことを体験させる」という構造から来る避け難い不透明さがあるために、内容はかなり玉石混こん淆こうです。中には、偏った個人的経験の押し付けに過ぎないようなものや、集団心理を用いた洗脳まがいの危険な内容のものも珍しくありません。

 しかし、人間心理を扱うということは、一見誰にでもできそうに思えて、外科手術に匹敵するような熟練と、深く普遍的な人間理解を要するものです。素人療法的に不用意なアプローチを行うことで、場合によっては精神病を発症させてしまったり、精神に深い傷や偏りを負わせてしまうことにもなりかねません。実際、私もこれまで、そのような経緯で調子を崩したケースのアフターケアや精神の立て直しの作業を数多く行ってきましたが、言葉のメスというものは見かけ以上に持続的な威力を持っているもので、決して個人的な経験のみに基づいて安易にふるわれてはならないものだと思います。

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