電通の過労死自殺をきっかけに、日本の長時間労働がいよいよ問題になっています。とはいえ、働くことこそ生きること、なんでもいいから仕事を探せという風潮は根強く、息苦しさを感じ続けている人も多いのではないでしょうか。本書『仕事なんか生きがいにするな ~生きる意味を再び考える』は、仕事中心の人生から脱し、新たな生きがいを見つけるヒントが詰まった1冊です。

「本当の自分」は果たしてあるのか?

 臨床場面でも、これまでの自分が「本当の自分」を生きてきたとは思えない、「本当の自分」がわからない、といった苦悩が語られることがかなり増えてきているのですが、一方、巷ではこのような悩みを、真正面から取り扱おうとしない風潮があるように思われます。

「自分探し」なんて時間の無駄である、「本当の自分」なんてどこにもありはしない、そんなことを考えている暇があったら何でもいいから働け、といった乱暴な議論があちらこちらでなされており、ただでさえ自信が持てなくなっている彼らは、これによって、さらに自己否定を強めてしまっているという困った実情があります。

 それにしても、なぜここまで「本当の自分」を求める、いわゆる「自分探し」の評判が悪いのか。この問題を真正面から考えてみる必要があるだろうと思います。

 かつて、アメリカで始まった自己啓発セミナーというものがわが国でも流行しましたが、中にはマルチ商法的なものやマインドコントロールが疑われるようなものもあったため、一種の社会問題になったことがあります。これに加えて、カルト的な新興宗教が「自分探し」を求める若者たちを巧みに取り込んで反社会的事件を起こしたりしたこともあって、社会全体に「自分探し」への警戒感とアレルギー反応が強く醸成されることになりました。おそらく、今日の「自分探し」へのアレルギー反応の背景には、このような経緯があったことも大いに関わっているのではないかと考えられます。

 さて、今日巷で展開されている「自分探し」への批判には、大別すれば、二通りの種類があろうかと思われます。

 一つは、旧来のハングリー・モチベーションの価値観、すなわち「労働」を賛美する「労働教」の信者によるもので、「自分探しなどというものは、働かないための甘えた言い訳に過ぎない」といった感情的反発に基づいたものです。「本当の自分」というものが存在するのか否かについては、彼らははなから否定的で、きちんと吟味してみようという姿勢がそもそもありません。多分、彼らは、「自分探し」というものによって、禁欲的で従属的な価値観の「労働教」の秩序自体、根底から覆されてしまうのではないかという危機感を無意識的に察知しているのではないか、と考えられます。これは、あまり理性的ではなく、古い精神論に固執し、思考停止状態に陥ってしまっている旧守的な人間によく見られる考え方です。

 もう一つは、固く狭い哲学的な考察によるものです。「本当の自分」などというものは、そもそも知ることもできないし、その存在を証明することもできない対象だとして、そういうものを想定すること自体について、否定的な見解を持っています。

 これらは、客観という狭い合理性の世界の範囲内で認識できるものだけを厳密に扱おうとする立場で、原始的な盲信や宗教的思考停止を払拭するために、合理的・科学的思考を旨とします。これが、近現代の世界の基本的ドグマになって、今日の物質的繁栄をもたらしたことは言うまでもありませんが、ここで問題になっている「本当の自分」を求める人々の心性に対して、この考え方を適用することには、原理的に無理があると言わざるを得ません。

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