9歳でプロを目指し、12歳でプロになり、26歳で囲碁界史上初の七冠同時制覇を成し遂げた囲碁棋士・井山裕太さんの勝利をモノにする思考法とは? 一局の戦いでは、優勢になったり、劣勢になったりと形勢が入れ替わります。さまざまな局面で、勝負勘をどのように働かせるのか。『勝ちきる頭脳』より紹介します。

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センサーを働かせる

 一局の碁において、一度も自分が悪くなることなく勝ちきれることは、極めて稀(まれ)な出来事です。そんなことは一年のうちに、一、二局あるかどうかでしょう。

 そしてここが大切なのですが、ということは逆の立場、つまり自分が劣勢となってしまっても、一度くらいはチャンスが来るという理屈です。プロの勝負とは、優勢であってもそのまま逃げきれるほど甘いものではなく、かといって、劣勢であってもそのまま負かされてしまうほど厳しいものでもないのです。

 そうした極めて曖昧なものの上に漂っている「勝敗」を、どうやって自分のほうへ微笑ませるか? これまた盤上の着手と同じで正解はないのですが、この部分でうまく立ち回れるかどうかが勝敗に直結することは間違いありません。

 こうした立ち回りの技術を一般的には「勝負勘」と言うのですが、僕はよく「センサーを働かせる」という表現を使います。

 

 好結果を出すことができている時は、このセンサーの感度・働きが良く、形勢が悪くても「このままじっと辛抱していれば、必ずどこかでチャンスが来る」と信じることができて実際そのとおりになります。逆にセンサーの働きが悪い時は、「形勢が悪いのだから、もうイチかバチかだ!」とばかりに短気を起こして、負けを早めてしまいます。

 はっきりと形勢が悪く、このままだと座して死を待つのみというケースでは、一発逆転を狙うしかありませんが、少しだけ形勢不利という状況ならば、僕は基本的にじっと辛抱して追走することを選択します。そこには「相手も最後まで完璧には打てないだろう」という思惑もあり、もしチャンスが一度も来なかったら、それはもう相手を褒(ほ)め称(たた)えるよりありません。

 そして相手が少しでも隙を見せたら、見逃さずに一気に衝(つ)いていくのです。

 

 形勢不利の際には、もう一つ大事なことがあり、それは「相手に決め手を与えない」ということです。結果を出せる人は、例外なくこの「決め手を与えない技術」が優れています。一点差で負けていても、次の一点を与えずに辛抱し続ける技術です。

 誰でも形勢が悪い状況は嫌なので、そこから早く脱出しようと、つい逆転ホームランを狙うような無理な勝負手を打ってしまいがちですが、それを咎められたら致命傷を負ってしまい、負けが決まってしまいます。そうではなくて、形勢が悪いことを素直に受け入れ、嫌な状況であっても辛抱することが大切です。そのうえで、相手にとって難しい手を打って悩ませる。相手も人間ですから、どこかで隙を見せるものなのです。

 僕は張栩(ちょう う)さんとの名人戦にて自分が逆転負けを喫したことで、それを学びました。つまり張栩さんは、センサーの働かせ方が抜群なのです。形勢が良い時の決め方や、悪い時の辛抱のしかたと一瞬の隙を見逃さず衝いてくる鋭さ──いつしか僕は疑心暗鬼となり、自分の判断や着手を信じることができなくなっていたというのは、すでにお話ししたとおりです。

 

 僕はテニス観戦が好きで、よくテレビ中継を観るのですが、ノバク・ジョコビッチの強さとは、どんな球でも返していくところにあると思うのです。しかもただ相手コートに返すのではなくて、ぎりぎりの所を狙って返していく。何気なく普通にやっているように見えますが、大変な技術と心の強さと言うしかありません。相当なリスクを伴っているわけですから、じつはかなりの勇気を振り絞っているのでしょう。

 囲碁も一緒です。優勢な時にリスクを含んだ手を打つのは、勇気が要ります。でもそこで、リスクを承知で前に進んでみたら、安全第一の手を選択するよりも良い結果となることが多かったのです。この経験を経て、その道が一番勝ちきれることがわかってきたのでした。

 ただし、誤解のないように付け加えておきますが、僕は「安全第一」が良くないと言いたいのではありません。僕の場合は「リスクがあっても──」という選択をしましたが、リスクを避けた手を選択し、次もまた安全な手を選び、それでリードを最後まで維持して踏みとどまるのも、立派な芸なのです。棋士のなかにはそちらの道を選ぶ人も多いように、どちらが正しくて、どちらが間違っているという問題ではありません。

 

 僕の場合は踏みとどまることを選択する性分ではなく、それを成功させられる芸もないのです。安全を意識した手を打つと、自分のなかのリズムが狂ってしまい、なかなか最後までリードを維持することができません。それで、リスクがあってもその道を選ぶことにしたという経緯があるのでした。

 また僕が一方の道を選択したとはいっても、それはあくまで形勢との兼ね合いです。大差で優勢なのにリスクを含んだ手を打つのは、さすがに愚かというものですから。

 従って「大差で優勢」と「わずかに優勢」の中間くらいの時が最も悩みますが、そこはもう、センサーを働かせるしかありません。

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