モチベーション高く働く――。これは本当に理想的な働き方なのでしょうか? そもそもモチベーションとはささいな理由で上下する個人の気分。『仕事ができる人はなぜモチベーションにこだわらないのか』は気持ちに左右されない働き方こそ大事であると提案します。

破壊的な影響を及ぼすプライベートな要因

 かつての職場でのこと。気分的な浮き沈みが比較的大きい20代後半の女性の部下がいた。ある時、それまでにないくらいモチベーションが高くなったことがあった。どうしたのだろうか、と不思議に思ったが、知らなかったのは上司であった私だけだったらしく、他の者に聞いてみると、独身の彼女に彼氏ができたということだった。

 ごくプライベートな事情ではあったが、それはもう、どんな困難をものともせずに、火の中、水の中といったくらいに、とにかく仕事上のモチベーションは高まった。こんなにも変わるものかな、と感心するくらいであった。と共に、一抹の不安も覚えた。これはもし失恋でもしたら、その時の反動はたいへんなことになるに違いないと。

 残念ながら、危惧していた事態が数ヶ月後に訪れることになった。見る影もないという言い方があるが、まさしくそのような状態となり、かろうじて会社には出てきてはいたものの、お昼も食べていないようで、1週間で信じられないくらいに痩せこけてしまった。それはもう息をしているだけでも辛そうといった感じである。

 同僚が心配していろいろと気遣いをしても、もう完全に閉ざしてしまっており、誰が何を言ってもダメである。モチベーションなんてあったものではない。精神が崩壊してしまわぬように、とりあえず毎日会社にだけは来るように、あとは何をやっていてもいいから、というような言葉を掛けるくらいしかできなかった。

 幸い、1ヶ月近くも過ぎた頃には、少しずつ普通の会話ができるようになり、笑顔も出るようになった。離職することもなく、もとの浮き沈みのある彼女に戻った。

 当然ではあるが、モチベーションには、こうしたプライベートな出来事が圧倒的な影響力を及ぼす。にもかかわらず、会社は仕事の面だけを捉えて、やる気を出させようと策を練る。この彼女の失恋後の状態のような時に、仕事面だけを捉えてなんとかやる気を出させようと、チャレンジングな役割を与えたり、あるいは、キャリアプランの作成を命じて提出させたりしたら、どんな事態を招いたであろう。ましてや、モチベーション向上のための研修などに召集したとしたら。……想像するだけでも恐ろしい。

 個々人ごとに、またそれぞれのタイミングごとに、気分の浮き沈みは当然ながらあり、その理由も千差万別である。そういう当たり前のことを直視せず、モチベーションという個人のごく内面の問題に会社として踏み入ることの危険性を今一度考える必要があるのではないだろうか。


モチベーションは会社員特有の問題

 モチベーションの問題とは、会社員特有の問題と言えなくもない。八百屋や魚屋の店主が、「今日はモチベーションが上がらない、やる気が出ない」なんてことは言わない。会社員以上に単調な毎日を送っているはずではあるが、体調が優れないことや、面白くないことがあった時でも、やる気があろうがなかろうが、毎日やるべきことをやらなければ生活が成り立たない。だから毎日、朝早くから市場に赴く。モチベーションなんて考えている暇はないのだ。多少言い過ぎかもしれないが、会社員の場合、比較的余裕のある職業生活を送っているがゆえ、モチベーションということを問題視するようになるとは言えないだろうか。

 ある企業において、ある日突然、大きなリストラをしなければならなくなり、全社員の半数を解雇することになったとする。そのような状況において社員は、出社して、「今日はやる気が出ないなあ」なんてことを思ったりするだろうか。そもそもモチベーションという考え自体、出てくる余地はないであろう。

 結局、現状に十分な危機感を覚えている時にも、あるいは先に述べたようにフローの状態のようなプロセスに没頭している時にも、モチベーションという概念は消失していることになる。ということは、モチベーションという考えが頭の中に浮かぶシチュエーションとしては、危機感も抱いておらず、プロセスに没頭もしていない状況、いわば“〝弛緩した状況”〟にある時ということになる。

 日本では格差が拡大しているとか、ワーキングプアが増加しているなどと言われるが、貧困率の国際比較データを見れば分かるとおり、他の先進諸国と比較しても貧困率は極端に低い水準にあるのだ。時代を遡れば、明治、大正期までは、生きていくために休みなく、昼夜問わず過酷な肉体労働に耐えるといった労働状況が普通にあった。戦後は滅私奉公の精神のもと、「身を捨ててお国のために働くのが当然」という考え方があった。そこには自己の欲求を満たすという発想はなかった。

 現代に生きる我々は、多少経済状況がどうのということがあるにせよ、相当に恵まれた環境にあることは間違いない。個人の欲求を中心に据えた現代の社会思想が社会人の軟弱化に拍車を掛けているということもあるであろう。モチベーションを企業経営上の課題とすること自体、本来問題があるのではないだろうか。

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ではどうするか? 続きは、『仕事ができる人はなぜモチベーションにこだわらないのか』をぜひご覧ください。

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モチベーション高く働く――。意欲が常に湧き上がっている、理想とされる働き方だ。モチベーションという言葉が仕事の場面で使われ始めたのは2008年のリーマンショック頃。同時期には職場うつの問題が急浮上している。高い意欲を礼賛する風潮が、働き方を窮屈にしたのだ。そもそもモチベーションとは、ささいな理由で上下する個人の気分。成果を出し続ける人は、自分の気分などには関心を払わず、淡々と仕事をこなす。高いモチベーションを維持する人などいない。気持ちに左右されない安定感ある働き方を提言する。

○パワハラ上司の多くはモチベーションが高い
○モチベーションの高い仕事依存症の人は生産性が低い
○仕事のできる上司が部下のモチベーションを下げる
○やりたくない仕事は、気持ちではなく、淡々と乗り切る……