モチベーション高く働く――。これは本当に理想的な働き方なのでしょうか? そもそもモチベーションとはささいな理由で上下する個人の気分。『仕事ができる人はなぜモチベーションにこだわらないのか』は気持ちに左右されない働き方こそ大事であると提案します。仕事ができる人は、自分の気分などには関心を払っていないのです。

企業のモチベーション重視は行き過ぎ

 私は仕事上、20年近くにわたって様々な企業の、常に成果を出し続けるハイパフォーマーのインタビュー調査を行ってきた。彼ら彼女らの多くはたいていの質問に即答をする。なぜなら、「どうすれば高い成果が挙がるか」などについて、他の人たちよりも多くのことを考えているからだ。しかし、そのような彼ら彼女らも、いくつかの質問に対しては即答しないことが分かった。

「やる気が出ない時、どうしますか?」がその典型的な一つだ。

「やる気ですか、えーっと……」という感じの反応となることが多い。

「では、モチベーションの源泉はなんですか?」という問いに対しても、やはり要領を得ない。

「スランプに陥った時には、どうしますか?」

 そう聞いてみてようやく返答が得られる。しかしその答えは、「何か特段いつもと違ったことをやるということはありません」という誠にそっけない内容である場合がほとんどである。

 結局、これらのことに関しては、彼らは日頃からあまり考えていないのであろう。モチベーションの問題には特に向き合っていないのだ。問題視していないといった方がいいかもしれない。ハイパフォーマーの人たちは、モチベーションと関係のないところで成果を挙げているようであった。

 一方、企業の中では、「とにかく社員のモチベーションを高めよ、そうすれば成果が挙がるはず」といった、モチベーション礼賛ともいうべき状況が拡がっている。ハイパフォーマーに見る実態と企業の中における風潮とのギャップに長いこと違和感があった。モチベーションはもちろん高いに越したことはない。しかし、モチベーションがすべてを解決するわけではない。企業の中でこれほどまでにモチベーションに焦点を当てることは果たして正しいことなのであろうか。

 疑いなく前向きな要素である「モチベーション」ということに対してネガティブなことを言うなんて、とうてい一般受けしそうにない。そもそも、企業社会全体を覆っている「モチベーション礼賛論」に組みした方がコンサルタントらしい。少なくとも、そうした方が人事・組織問題を専門とする我が社のビジネスには貢献しそうである。

 しかし、企業の中で起こっているモチベーションの問題視はどうも行き過ぎの感がある。モチベーション礼賛は、個人主義を助長すると共に、モチベーションを常に高く保っていなければならないという強迫観念を迫り、働くことを窮屈にしていないだろうか。また、メンタル上の問題の背景となっている可能性も考えられる。

 様々な問題が、「モチベーション」という言葉によって見えなくなってしまっているように思われる。そのような思いからこうした方向でのメッセージを発してみたい。もし読者の皆様が、「モチベーション」ということについて今一度捉え直すきっかけを提供できたなら、著者としては望外の喜びである。 
**
高い意欲を礼賛する風潮が働き方を窮屈にしているのかもしれません。『仕事ができる人はなぜモチベーションにこだわらないのか』もぜひご覧ください。

 

この記事をシェア
この連載のすべての記事を見る

★がついた記事は無料会員限定

関連書籍

相原孝夫『仕事ができる人はなぜモチベーションにこだわらないのか』
→試し読み・電子書籍はこちら
→書籍の購入はこちら(Amazon)

仕事ができるのは、
やる気に満ちた人より、いつも穏やかな人。
考える前に、体が動く働き方! !

モチベーション高く働く――。意欲が常に湧き上がっている、理想とされる働き方だ。モチベーションという言葉が仕事の場面で使われ始めたのは2008年のリーマンショック頃。同時期には職場うつの問題が急浮上している。高い意欲を礼賛する風潮が、働き方を窮屈にしたのだ。そもそもモチベーションとは、ささいな理由で上下する個人の気分。成果を出し続ける人は、自分の気分などには関心を払わず、淡々と仕事をこなす。高いモチベーションを維持する人などいない。気持ちに左右されない安定感ある働き方を提言する。

○パワハラ上司の多くはモチベーションが高い
○モチベーションの高い仕事依存症の人は生産性が低い
○仕事のできる上司が部下のモチベーションを下げる
○やりたくない仕事は、気持ちではなく、淡々と乗り切る……