9歳でプロを目指し、12歳でプロになり、26歳で囲碁界史上初の七冠同時制覇を成し遂げた囲碁棋士・井山裕太さんの勝利をモノにする思考法とは? 最善を目指して「打ちたい手を打つ」とき、そこには必ずリスクが伴います。リスクをとるのか安全をとるのかという選択について、『勝ちきる頭脳』より紹介します。

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最善には、あえてリスクを

 一九歳で初めて名人に挑戦して張栩(ちょう う)さんに敗れ、再挑戦するまでの一年間、僕は「打ちたい手を打つ」ことを自分に課しましたが、これには常に「リスク」という問題がついて回ります。

形勢が良い時、堅実さを採るのか、リスクがあることを承知したうえで打ちたい手を採るのか、ということです。

 局面が順調に進んでいる時、自分のなかで「これが最善だろう」とか「自分はこうしたい」といった、自分の第一感が囁(ささや)いている道があるとしましょう。その一方で、「こっちでも行けそうだ」という道が存在するケースもけっこうあるものなのです。そして、その後者のほうが堅実で安全だったりすることは、往往(おうおう)にしてあることです。

 

 つまり、自分が打ちたい手と安全な手が異なるということで、しかも安全な手が複数存在するケースもあります。本当はAという手を打ちたいのだけれど、ややリスクがある。ならば安全なBやCを打っておこうかと迷うわけで、棋士が最も悩むのが、前にも少し触れた「少し形勢がいい」という状況なのです。大差で形勢が良ければ、いくら妥協しても安全な道を歩んでいけばいいだけですし、逆に大差で悪ければ、リスクなど気にせず勝負をかければいいだけですから。

 打ちたいと思った手が最も堅実な道であれば何の問題もないのですが、僕が打ちたいと思う手はそのほとんどが「妥協はせず、目いっぱいに応戦する」ことを志しているので、必然的にリスクを内包していることが多いのです。

 それでも僕が意識的に選ぶようにしていたのは、自分が打ちたい手のほうでした。リスクがあることを承知したうえで、それでも自分が納得できる手を優先したのです。強い人を相手にして、堅実第一で楽に勝てるはずがない──張栩さんとの名人戦で負かされ、この点を思い知らされたことが、この選択を貫くようになった最大の理由でした。

 こちらの形勢が良ければ相手は当然、挽回すべく踏み込んできます。張栩さんは特にその踏み込みが鋭いわけですから、その勝負手に対し、安全第一の方針で逃げきれるはずがありません。

 もう少し具体的に言いますと、棋士は基本的にどんな局面でも、100点満点の手を目指しています。そして形勢が良い時でもやっぱり100点の手を打ちたいのですが、すべてを見通せるわけではないので、そこに若干の不安やリスクを感じます。

 その時に、最善と比べるとちょっと劣るのですが、けっこう先まで見通せる95点くらいの手があったとしましょう。そこで棋士は皆、大いに迷ってしまうのです。勝利という最終目的のためには、それくらいの減点でも安全ならば、甘んじて受け入れようかなと……。

 

 しかし、仮にその場面は無事に乗りきったとしても、少し局面が進めばまた、同じような選択を迫られる状況が訪れることを忘れてはなりません。そしてこちらの気持ちがひとたび守りに入り、そこでもまた減点を重ねると、必ずそこにつけ込まれて少しずつ差が縮まり、やがてどこかで逆転されてしまうのです。実際、先の名人戦で僕は張栩さんの気迫に押され、そうした弱気に苛(さいな)まれて自分を信じることができずに敗れたのでした。

 相手は張栩さんに限りません。それまでに韓国や中国の世界的な強豪と戦った時もそうでしたし、日本の一流棋士たちも同様です。トップを争っている人たちは例外なく、そうした「形勢が悪い時の踏み込み」が抜群に鋭いわけですから、その人たちを相手にして楽に勝てるはずがないのです。

 また何より、優勢だった碁を緩んでひっくり返される負け方が、一番つらいのです。棋士にとって最も堪(こた)える負け方で、これをやってしまった時にはもう情けなさ過ぎて、自分を責める感情しか浮かんできません。苦労に苦労を重ねてようやく優勢を築いたのに、信じていた道があったのに、そちらを選ばず負けるというのは……。

 

 ですから僕は、少しくらい形勢が良いからといって「安全に逃げきろう」という気持ちだけは持たないように心掛けました。リスクがあっても、その場で自分が最善と信じる道を選択するように決めたのです。

 こうした姿勢で戦うことを自然とできる人もいるのかもしれませんが、当時の僕は油断すると安全なほうへ流れてしまいがちでした。なのでここははっきりと、「形勢が少しくらい良くても緩まず、自分が打ちたい手を打つ」ということを意識的に行ないました。

 安全性を捨て、あえてリスクのある道を選択することで勝ちきろうと考えたのです。

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