会ったこともない方から送られてきたはがき。

福島第一原発から22キロ、福島県双葉郡広野町にある高野病院は、震災後も1日も休まず診療を続けてきました。病院でただ1人の常勤医として、地域の医療を担ってきたのは高野英男院長。その高野院長が、2016年末に火事でお亡くなりになり、病院の存続が危ぶまれる事態になりました。その報に接し、2017年2月~3月の2カ月間、高野病院で常勤医として働くことを決めた中山祐次郎さん。中山医師が、高野病院での日々を綴ります。

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【Day 53】

ここ数日風邪をひいていた。声が出ない。熱は、測っていないからわからない。インフルエンザは陰性だった。

ともかくぐったりしながらも、なんとか仕事をする。こういう日に限って救急車が来たり、緊急入院の患者さんが来たり、外来に突然重症の人が来たりするのだ。そういうものだ。外来に来る患者さんは、いつもの倍はいた。大きい声を出すことができなかったから、耳の遠い患者さんに、何度も聞き返されることになってしまった。看護師さんが、その都度言い直してくれた。

なるべくふらふらしないように歩くが、他の職員の皆さんには、調子が悪そうだとばれていたようだ。「先生、本当にお大事になさってください」との優しい言葉を、事務の若い男の子がかけてくれた。

それにしても咳が全く出ない。これはおかしい。溶連菌感染症の可能性があるのではないか。迅速キットで検査をしようとしたが、病院にキットはなかった。外注で検査をしたら、なんと結果が帰ってくるのが3日後だという。しかたなく、僕は抗生物質ペニシリンを飲むことにした。

その日は夜中に20回は目が覚めただろうか。寝ても苦しく起きても苦しく、身の置き所がないとはこのことだった。薬はもう飲んでいるし、外にやることもない。目が覚めてはトイレに行き、ベッドに戻りうつらうつらすると、今度は唾を飲み込む激痛で目が覚める。それを繰り返していた。

思わず言った「どうすりゃいいんだよ!」という独り言は、まだ春を見ぬ東北の夜に吸い込まれ、消えていった。

この日記が公開される頃には、風邪は治っているだろうか。僕はもうこの地にはいないのだろうか。

そう思うと寂しい。

では、今日という日を!

素晴らしく晴れた日の朝。路肩に車を停めて撮影。

⇒次ページ【Day57】に続く

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