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死にゆく人のかたわらで

2017.03.27 公開 ツイート

最後のウンチとおしっこ 三砂ちづる

人の介護をする、ということは、要するに、食べることと出すことと寝ることに気持ちを寄せる、ということだ。生まれたばかりの赤ん坊を世話することと変わらない(本書より)。

 本サイト連載「かけこみ人生相談」で、大胆にして慈愛あふれる回答が人気の三砂ちづるさん。三砂さんの新刊『死にゆく人のかたわらで~ガンの夫を家で看取った二年二カ月』が発売になりました。
 誰にとっても切実な介護・終末期医療の不安に応えてくれる教科書にして、豊かな生と死のあり方を問う人生の教科書でもある本書。
 主治医から、もうあまり長くはないと言われながらも、淡々と続くいつもどおりの日常。それが「人生最後の〇〇」になることに、そのときは気づきません。言葉を交わすことも、食べることも、そしてウンチもおしっこも。


* * *

立派で使いやすいポータブルトイレ

 金蔵はすでに口からはものが入らなくなっていて、生命維持のためのぎりぎりの高カロリー輸液を使っていたから、最後の日々は、食べることについてわたしが心配することは、もうない状態だった。おしっこをどうするか、ウンチをどうするか、そして痛みに苦しんだり、体位がつらかったりして寝られないことはないか、不安でつらそうにしていないか、をチェックしてよく寝てもらうことがやるべきことだった。だから、彼のおしっこ、ウンチ、に関しては完璧に把握していた。自分がいなくてもヘルパーさんに記録してもらってまず確認することは、おしっこ、ウンチであったのだ。

 最後まで立上がれたわけだから、わたしが一緒に歩いて行ってトイレに行くか、介護ベッドのそばのポータブルトイレを使うか、どちらかが最後まで彼の排泄様式であった。この「介護ベッド」や「ポータブルトイレ」は、介護保険などの仕組みでまかなわれている。電動で高さも足の位置も頭の位置も変えられるハイテク介護ベッドは、すでに約半年前から、我が家のリビングルームの窓際、いちばん眺めがよい場所に置かれていた。

 フランスベッド、という有名なベッドメーカーさんは、介護用品市場にいち早く参入されていたようで、見事なカタログをお持ちで、その中でわたしたちが選べば、どのような介護ベッドでも速攻運んできてくれる。マットレスも、最初は普通のマットレスだったがそのうち体位が安定しやすい上等なマットレスに何度もかえ、最後は、床ずれ防止機能を備えた電動エアマットレスとなった。

 このあたり、一言相談すれば、文字どおり、その日のうちにマットレスが交換される。フランスベッドの営業さんがてきぱきと動いてこちらが使いやすいようにしてくれて、的確なタイミングでケアマネさんに連絡してくれたりして、とにかく手際がよいのだ。そのことにどんなに助けられたか知れない。そのような介護ベッドとマットレスは何度とりかえようが、介護保険のおかげで、我々は月々二〇〇〇円弱を払うのみであった。

 ポータブルトイレに関しては、さすがにパーソナルなものなので、レンタルはできないが、介護保険の制度として、一割負担で購入することができる。家具調で重くて、安定していて、リビングルームに置いていても全く違和感のないような五万円くらいするポータブルトイレも一割で購入できる。このトイレは一階に置いた。

 しかも、ヘルパーステーションの方が、「あら、それはうちにもありますからお貸ししますよ」などと気軽に言ってくださったので、お借りすることにして、二個目のトイレは二階のベッドの横に置いていた。わたしひとりでは持って上がれず困っていたら、フランスベッドの営業さんが、自分のところのものでもないのに、さっさと運んでくれた。こうして、排泄のための仕組みは整っていった。

*次ページ[最後のウンチとおしっこ]に続く

 

最後のウンチとおしっこ

 亡くなる二日前から、彼はやや、おなかがゆるかった。口からものを入れていないから便秘気味だったのだが、二日前に一週間ぶりのお通じがあった。本人はほっとしていたし、わたしもほっとした。ベッドから一五歩くらいで行けるところにあるトイレまで一緒に歩き、座らせてウンチをした。

 わたしはもちろん、赤ん坊の世話と同じように、つぶさにウンチを観察する。なんとなく緑っぽい色だな、と思ったのを覚えている。そして次の日、つまり亡くなる前の日も、同じようなウンチをした。色はやっぱり緑色っぽかった。どこかで見たような気がしていたが、赤ん坊が最初にするウンチ、胎便と似ていた。おむつに排泄、などはしておらず、最後のウンチもポータブルトイレでしたのである。

 亡くなる日、先ほど書いたように朝一番に甥姪や不動産屋さんがおいでになることになっていた。前の夜におしっこはしていなくて、朝もおしっこをしていなかったので、「みんなが来る前におしっこしておこうか」と声をかけたが、いや、いい、と言う。みんながいるときにベッドの隣のポータブルトイレを使うのも、いやじゃないか、と思ったのだが、まあ、使いたくなれば、みなさんに一度部屋を出てもらえばいいのだし、と思って、小さな子どもに言うように、いや、いまおしっこしておきなさい、とかそういう強圧的なことは、言いはしなかった。

 甥姪と昼ご飯を食べて、彼らが帰って、しばらくした二時すぎごろ、おしっこをするという。体を起こして、ベッドの隣にあるポータブルトイレに座らせた。しっかり座っておしっこをした。支えて立上がらせ、ベッドに戻そうとすると、立上がることができない。全く力が入らず、白目をむきはじめた。さすがにこれはまずい、と思い、なんとかベッドに移動させ、寝かせたが、苦しそうである。これはまずい、と思ってすぐに医者を呼ぶことにしたのだ。つまり彼は最後のウンチはトイレに歩いて行って行い、最後のおしっこもおむつでも溲し 瓶びんでもなく、隣のポータブルトイレで、できた。

 末期ガンになって、自分はどんなふうに死ぬのだろう、と金蔵は気にして、わたしたちは、ずいぶんよくそのことについて話していた。そこでいちばん気になっていたことが排泄のことだった。排泄を自分で行うことは、その人の尊厳に関わる。最後まで人の手を煩わせないでおしっこ、ウンチをしたい、と思うのは誰だってそうだろう。彼はいつも、「オレの友人はガンで死んだが、死ぬ三日前までトイレに行けたそうだ。そう思うとガンで死ぬのも悪くなさそうだね。オレもそうだといいなあ」と言っていた。だから、わたしもなんとかそれをかなえさせてやりたいと思っていたが、なんと彼は最後の三日どころか、最後のウンチ、おしっこまでちゃんと自分でできた。

 立上がることができたこと、そして、どっしりしたポータブルトイレがベッドのすぐ脇にあったことのおかげである。家具調で、一見すると普通の椅子に見えて、安定していて、座りやすくて、使いやすいポータブルトイレは、我々の最後の頼みの綱だった。わたしにも愛着のある椅子となり、二個あるうちのひとつは、先ほども書いたように介護保険の割引で購入したもので、家に置いておけば、他の人も使えるし、災害用トイレにもなるかな、と一瞬思ったが、彼の死後、心よりの感謝をこめて、処分した。ポータブルトイレのいる家には、しばらくしたくない、と思ったのである。

*次回は4月3日(月)に掲載予定です。
*書籍『死にゆく人のかたわらで~ガンの夫を家で看取った二年二カ月』もぜひどうぞ。
 

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死にゆく人のかたわらで

 「末期ガン。余命半年」の宣告。「最後まで家で過ごしたい」と願った夫と、それをかなえたいと思った妻。満ち足りて逝き、励まされて看取る、感動の記録。

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三砂ちづる

津田塾大学国際関係科教授、作家。1958年山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。京都薬科大学卒業。ロンドン大学Ph.D.(疫学)。母子保健・国際保健の疫学専門家として、約15年にわたりブラジル・イギリスなどで研究。2004年刊行の『オニババ化する女たち――女性の身体性を取り戻す』(光文社新書)がベストセラーに。その後も、妊娠・出産・子育て・家族・身体の知恵などをテーマとした著作多数。近著に『女が女になること』(藤原書店)、『女たちが、なにか、おかしい』(ミシマ社)などがある。

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