電通の過労死自殺をきっかけに、日本の長時間労働がいよいよ問題になっています。とはいえ、働くことこそ生きること、なんでもいいから仕事を探せという風潮は根強く、息苦しさを感じ続けている人も多いのではないでしょうか。本書『仕事なんか生きがいにするな ~生きる意味を再び考える』は、仕事中心の人生から脱し、新たな生きがいを見つけるヒントが詰まった1冊です。

現代人の「心の飢え」とは

 

 このように、現代という時代は、長らく続いてきたハングリー・モチベーションの残滓と「満ち足りた空虚さ」の混在する、混乱した状況の中にあると言えるでしょう。そんな今の時代に、人々の感じる「飢え」とは、いったいどのようなものなのでしょうか。

 かつて、大学や専門学校などで精神医学や心理学の講義をした際に、私は必ず「愛と欲望について」といったテーマを採り上げるようにしていました。なぜなら、「人間とは何か」ということを考察するために、これは決して外せない重要なテーマだと思うからです。

 これについては、同僚から「ここの学生には、それはかなり哲学的で応用編の内容なので、難しいと受け取られるかもしれませんね」と心配されたりもしましたが、予想に反して、学生たちの反応は実に生き生きとしたものでした。

 テーマがテーマですから、その内容が哲学的な話に発展することもありましたが、普段は仕方なしに聞いているといった風の学生までもが、このテーマには真剣に耳を傾けていたのです。そして私は、彼らがこのような実存的なテーマを真正面から扱ってくれる大人に、とても「飢えて」いたのだと感じました。

 現代の学校の多くは、いつの間にか「学問」ではなく、社会の「役に立つ」人間を養成するために「役に立つ」勉強を教え込むことを主たる使命と考えるようになり、実存的なテーマを扱う余裕を失ってしまったのかもしれません。しかし学生たちの中には、意識的にせよ無意識的にせよ、それでも「こういうことについて知りたかったのだ」「考えたかったのだ」という欲求が、熱く潜んでいたのです。

 これは、若い学生に限った話ではありません。一般の方々を対象とする講演会や講座においても、このようなテーマの話を求められることが増えてきましたし、そこでは常に、熱心な問いかけが飛び交っています。

 教育機関も、書籍やマスメディアも、先に述べたような諸事情によって、すぐに「役に立つもの」や「面白おかしいもの」「親しみやすいもの」に傾斜してしまっているので、現代人の多くが、真正面から実存的な問題を考えるような「嚙みごたえのあるもの」に、潜在的な「飢え」を強烈に抱いているように、私には思われてなりません。

 最近では、何度か「引きこもり」や「自殺」に関する講演をする機会がありましたが、そこでは「人はなぜ生きるのか」「働くとはどういうことなのか」「人生の意味とは何か」などのテーマを扱うことが求められました。受講者の方たちはワラにもすがる思いで、それぞれが抱える「実存的な問い」のヒントを求め、集まってきていました。私は、その熱気から、彼らの「飢え」が彼ら自身の存在をかけた並々ならぬものであることを、改めて実感させられたのです。

 そこで次章では、「生きることの意味」を考える上で、どうしても避けて通れない問題として立ちはだかってくる「働く」ということについて考えてみようと思います。

 特に、この「働く」というテーマは、ともすれば一足飛びに「どう働くか」とか「何の仕事をするか」という話になってしまうことが多いのですが、しかしその前に、「働くとは何か」という根本的な問いを、一度きちんと考えておく必要があると思うのです。

 意味もわからぬままにやみくもに働いたりするのでは、まさにフロムの言った「受動的人間」に堕することになるでしょうし、それでは「消費人」としてただ空虚感を紛らわすような日々を過ごすことになってしまうでしょう。

「実存的な問い」は、ともすれば「形而上的」と揶揄されるような、雲をつかむような抽象論に陥ってしまう危険もあるのですが、しかし、やはり「働くこと」そのものについて考える作業は、私たちの「実存」を、現世的で現実的な地平にしっかりと結びつける、大切な意味があるのです。

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