福島第一原発から22キロ、福島県双葉郡広野町にある高野病院は、震災後も1日も休まず診療を続けてきました。病院でただ1人の常勤医として、地域の医療を担ってきたのは高野英男院長。その高野院長が、2016年末に火事でお亡くなりになり、病院の存続が危ぶまれる事態になりました。その報に接し、2017年2月~3月の2カ月間、高野病院で常勤医として働くことを決めた中山祐次郎さん。中山医師が、高野病院での日々を綴ります。

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【Day0】

よく眠れた今朝。起きてからチンしてご飯とカレーを食べる。

ふと思い立ち、ランウェアに着替えランをする。ズボンがないのでタイツのまま走る初めての経験。家の周囲はありふれた地方都市といった雰囲気で、大学時代の鹿児島の下宿の部屋を思い出した。あそこと違うのは、こちらは日差しが強すぎないことと、海が近いこと。

途中妙に大きな墓地があるのに気づいたが、震災と何か関係があるんだろうか。うがった見方をしているかもしれない。3.6kmを走った。

ラン中に梅に会った。今年初めての梅。


四倉(よつくら)の道の駅でめちゃくちゃうまい海鮮丼を食べる。1,500円だったが、築地なら4,000円はしただろう。満腹のまま、車で病院に移動。走ったせいか、心はとても晴れやかだ。外は悲しいほどに晴れている。

極上の海鮮丼。これで1500円。


病院に着き、理事長に会う。車に乗り込み町長さんに挨拶に行く。立派な町役場の裏口から入ろうとすると、不意に50歳位の男性が「理事長!」と言い、いきなり2人はハグをする。ほんとに驚いたが、きっと最も苦しい時間を共有した方たちなのだろう。涙が出そうになる。

それから町長の感謝・激励をいただき、囲み取材を受け、そそくさと退散する。

町長さんに挨拶に行った時。こんなに記者さんがいた。

 病院に戻り、支援の当直に来てくださっている先生とお話しする。その後はダンボールを開けデスク周りを整える。初日からすぐに仕事ができるようにしておかなければ。
 

いちど家に戻ろうと、車を走らせた。轟々と強風が吹き荒れる中、三日月が暗い空に浮かんでいた。家に戻り、白衣をとるとコンビニへ向かった。コンビニで納豆を買うと、ラーメンが無性に食べたくなり、ラーメン屋を探しながら病院へ向かう。今夜は初めての当直なのだ。時間は夜の7時半だったが、国道沿いのすべての店は閉まっていた。結局病院を通り過ぎてさらに遠くまで行ったが、1つも店は空いていなかった。Uターンをし、諦めて病院に戻ってきた。報道陣のクルーがいた。

正式に取材も申し込まず、こんな夜に張り付いて勝手に当直室にまで入ってくる。非常に腹が立つ。「正式の手順を踏んでください。非常に不愉快です」と言った。言ったらすっきりしたので、取材を受けた。10分ほど。ちなみにこのキー局のディレクターは、「企画書くらい送れ」と言ったら数日後に企画書をメールで送ってきたのだが、今度は私の名前の漢字を間違えていた。怒っている相手へのメールで漢字を間違えるなど、一体どういう仕事をしているんだろう?

話し終わると人がいなくなり、パソコンをセットアップした。さてこれから自分の仕事がやっとできる時間だ。あまりマスコミの取材を受けすぎて、くたくたで頭が全く回らない。原稿も書けないしデータも整理できない。今度の土曜日には専門の大腸癌の研究会で発表をするといううのに。パソコンを開くと、普段はYahoo!ニュース個人のわたしの記事を見てくれている編集者さんが、逆に私を取材し書いてくれた記事が公開されていた。私の言ったことを極めて正確に記事にしてくれた。すごく嬉しい。

『原発30キロ圏内の病院で働くメリット』とは~ 36歳の外科医が「発信しまくる」

今は深夜の12時ちょっと前。長袖のシャツを持ってこなかったことを後悔している。当直のたびに風邪をひきかけるという悪い癖があったことを忘れていた。スクラブ(医者が白衣の中に着る半袖のカラフルなもの)を3枚重ね着し、暖房をつけたまま眠る。明日は就任の挨拶で、とんでもない数のマスコミが来る。がんばらねば。おやすみ。

追記
未明の1時過ぎにコールあり、小一時間ほど業務。これが福島県での初仕事。

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