前回、「私が実在するという感覚」は、手を替え品を替え、亡霊のようによみがえってきては、あらゆるものにとりつこうと取り憑こうとする、と記しました。それは、「空(くう)」についてすら、取り憑こうとします。

 最近の、修行僧からのレポートに、こんなものがあったことが、思い起こされます
「この心には、本っ当に何もないのですね。何もない中で、生じては滅するものたちが生まれたり消えたりしているだけで、何もないんです。これは、楽ですね。修行を続けてきて良かったと思います」と。

「何もない」、ええ、それは半分、真実に触れています。けれども、この修行僧には引っかかっているポイントがあります。それは何でしょうか。

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小池龍之介『解脱入門―ー究極の悟りへの道』

嘘だらけの私。隙あらば自慢する私。怒ってばかりの私。己の内面に目を向けたとき見えてくるのは、そんな醜い私ばかり。でも、そんな「私」というものは、そもそも存在しないのです――その真理に至った著者は、仕事を捨て、住所を捨て、外界との連絡を絶ち、2500年前のインドの修行僧と同じ、野宿の瞑想生活に旅立った。すべての煩悩を滅却した究極の悟り、すなわち「解脱」を目指して。10年以上におよぶ修行の日々から得た気づきと、さらに深い修行に入る覚悟を記した、「小池龍之介」最後の書。