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2017.02.03

「空(くう)」にすら取り憑く、「私」というゾンビ

小池 龍之介

「空(くう)」にすら取り憑く、「私」というゾンビ

前回、「私が実在するという感覚」は、手を替え品を替え、亡霊のようによみがえってきては、あらゆるものにとりつこうと取り憑こうとする、と記しました。それは、「空(くう)」についてすら、取り憑こうとします。

 最近の、修行僧からのレポートに、こんなものがあったことが、思い起こされます
「この心には、本っ当に何もないのですね。何もない中で、生じては滅するものたちが生まれたり消えたりしているだけで、何もないんです。これは、楽ですね。修行を続けてきて良かったと思います」と。

「何もない」、ええ、それは半分、真実に触れています。けれども、この修行僧には引っかかっているポイントがあります。それは何でしょうか。

 解説してみましょう。私たちはふだん、眼・耳・鼻・舌・身体・思考の六つの門を通じて生じる感覚刺激に執着して、それらこそ言わば「本物」だと見なして、生きているものですね。

 心の観察に馴れてくるとよく分かるのは、何かを見・聞き・匂い・味わい、触感を感じ、思考に触れ、ということが生じる都度に、「これを見ている自分がいる」感や、「これを考えている自分がいる」感が生じている、ということです。

 たとえば、不快に感じる光景をTVで見たとすると、その不快感に感情移入することにより、「こんな嫌なものを見ている自分が、たしかに、ここに実在する」という感じを生み出すことになるでしょう。あるいは、将来の事についてあれこれ思い描くとき、「こんな楽しいことを考えている自分が、たしかに、ここに実在する」という感じが、生み出されるでしょう。

 そしてそれは、本物ではなく「という感じ」にすぎないので、その刺激が終わるとすぐさま、消滅します。「私」は実在しないからこそ、「私がいるという感じ」は、せっかく生み出されても、刺激が消えると同時に、消えそうになるのです。それゆえ、すぐ次の刺激に執着し、「ここに私がいる」という感じを絶え間なく再生産し続けることを通じて、いもしない「私」という亡霊が、あたかも実在するかのような詐術が、脳内でおこなわれているのです。

 その詐術への対策は色々ありますが、シンプルでよく効くのは、次のようなこと。それは、脳内でデータ合成されたものにすぎず、実在でないものについては、「幻にすぎないからドウデモイイヤ」とばかりに、完全に興味を脱色し、気づきとともにスルーして、心に一切の引っかかりを持たせなくすることです。

 思考はもちろん、脳内でデータ合成された幻影です。身体触感も、いかにも痛みや暑さが「そこ」にあるように見えますが、実際は痛く感じる場所から神経信号が送られて痛みを作っているのは脳であり、痛く感じる場所そのものに「痛みそのもの」なるものがあるわけではありません。いわばデータ合成されたものであり、本物ではありません。

 音も心の外には実在しないのは明らかです。ある(と想像できる)のは振動波にすぎず、それを鼓膜で受けとってデータ変換し、周波数に応じて、高低のある「音」という魔術を、脳内で合成している。

 また、心の外には、色も形も実在しないでしょう。眼球に触れた(と想像できる)光線のうち、波長の長いものを赤や橙色として、短いものを青や紫色として、脳内でデータ変換して、映画のような幻を合成しているのですから。

 さて、それらはどれも、合成されたものだから幻で、相手にする価値も執着する価値もないなー、という感じ。そのような無執着の、ふわふわとした無重力な感じを深めながら、すべての見え・聞こえ・匂い・味わわれ、触れられ、考えられる事柄たちをことごとくスルーしながら、気づき、観察することを続けるのです。

 すると、やがていつか、すべての合成されたものから、ツルンと、意識が滑り落ちるのを体験することになるでしょう。

 すると、何も、なくなるのでしょうか? 答えは半分Yes、半分Noです。適切に取り組んでいれば、何もなくなるというより、元々、何もなかったと感じられるはずです。「ある」ように見えていた五官データや思考データはすべて合成されたもので幻なのですから、実は元々なかったのだと体感されます。

 そして唯一、残るのは、具体的には何もない、一切の形容を受け付けない、空っぽのエネルギー・フィールドのようなものです。そこに心を戻していると、完全な、一切何も欠けてはいない安心感と幸福感の中に、い続けることになります。

 何もなくなるわけではなく、エネルギーに満ち満ちた「空っぽ」。これのみが唯一、データ合成されていない「現実」と言えそうです。

 ただしそれらの安心感や幸福感は、あくまでも「空っぽ」の中から現れてきた、具体的現象にすぎません。それらもあくまで、合成されたものであり、実在ではないので、執着するに価しないのです。

 ここまで記してきますと、ようやく、冒頭の修行僧が引っかかっていたポイントが何なのか、よく分かるのではないでしょうか。

 つまり、「空」に戻ることの圧倒的な幸福感と安心感に対して「そのような安心を与えてくれる『空』の中に、『私』がいる」と感じているのです。もしくは、「『空』の中にこそ『私がいる』感を、感じる!」という具合です。

 そう、五官データも思考データも全てスルーしてしまうと、「私」という幻は足場を失って消えそうになります。そこで「『空っぽ』こそが『私』の本質なのだ!」とばかりに、「空」にすら、取り憑いて幻を延命しようとするのですねぇ。なまじっか、圧倒的に安寧かつ幸福を感じるだけに、ついつい執着して「私」を見出すのも、ごく自然なことではあります。

 それに騙されてそこで立ち止まらずに済むよう、次回は「空」への執着を超えてゆく観察について記してみましょう。

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