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2017.02.16

vol.46

パンツ問題(誕生から六か月と四週間)

三崎 亜記

パンツ問題(誕生から六か月と四週間)

 おじさんってのは、どんなに若ぶっても、言葉のはしばしに、年寄り臭さがにじみ出るもんなんだ。

 夫さんが若い頃なんかも、ハンガーを「えもんかけ」と呼んだり、タートルネックを「トックリのセーター」と言ったりするオヤジは、「ダサい」と後ろ指をさされたもんだ。

 とはいえ、子どもの頃から身についてしまった言い回しは、時代に合わなくなってしまったからって、なかなか修正できないもんだ。

 子守歌ってのも、おんなじだ。

 身に付いたものがついつい出て来てしまう。

 夫さんの祖母は明治生まれの人なので、そんな祖母に育てられた夫さんの母親は、当然、明治時代の女性が赤ちゃんを背負って歌っていた子守歌を受け継ぎ、幼い夫さんの記憶に刷り込んでいったんだ。

 なので、夫さんが覚えている、母親の背中で聞いた子守歌って、「日露戦争の数え歌」なんだ。

「いっちれっつらっんぱぁんはぁれつぅしてぇ~、にっちろぉーせぇんそぉーはぁじまったぁ~」

 こんな子守歌(第一、子守歌じゃない)、ノホホンに歌って聞かせられるはずもない。

 そんな明治時代の子育てのエッセンスがちりばめられた母親に育児を受けて以来、ベビー用品とは関わらないままの人生を送って来た夫さんなので、育児用語の知識も、その頃のままで止まってしまっている。オムツはどうしても「おしめ」とくちばしってしまう。そしてベビーカーは乳母車だ。

「妻ちゃん、ノホホンを乳母……、じゃなかった、ベビーカーに乗せるよー」

 なんて、脳内変換ができないまま口走って、慌てて訂正することもしばしばだ。

「えもんかけ」おやじを笑っていた夫さん自身が「オヤジ」と言われる年代になり、今度は自分自身が慣れ親しんだ言葉が時代遅れになってきていた。かつらはウィッグだし、ラブホテルはファッションホテル。そして、ズボンはパンツだ。

 でも、ズボンを「パンツ」って言うのは、夫さん世代的には抵抗がある。「パンツ」で脳裏に浮かぶものは、「アホアホマン」で松ちゃんが履いていたような白ブリーフだ。ファッション誌で「パンツルック」なんて文字を見ると、「パンツが見えちゃうのか?」と恥ずかしくなっちゃうお年頃なんだ。なので、毎回、「パンツ脳内変換」をしなければ、「パンツ」って人前で抵抗なく口にすることはできない。

 前回登場した「アシンメさん(♂)」の店に行く時も、店の前で「ズボンじゃなくてパンツ、ズボンじゃなくてパンツ、ズボンじゃなくてパンツ」と三回唱えてから、店に入ることにしている。

「このパンツ、いい色っすねー」

 なんて言いながらも、(これは、下着としてのパンツじゃなくって、ズボンをカッコよく言った時のパンツなんだかんね。人前で口にしても恥ずかしくないんだかんね)と、東海林さだおさん風に心の中で確認しながら、言い慣れた風を装っていたんだ。

 だけど、そんな夫さんの「ズボン→パンツ」矯正を揺るがす事態が訪れた。子育て期間中は、パンツを、本来の「パンツ」として発言する機会が、ぐんと増えるんだ。

「そろそろノホホンも、オムツをパンツタイプにしてもいいかしらねー」

 オムツ替え中にも、クリンクリン寝返りを打つノホホンを前に悪戦苦闘しておしめ……いやいや、オムツを替えている妻ちゃんが呟く。今までノホホンはテープで脇の部分をとめるオムツを使っていたんだけど、動きが活発になってからはパンツタイプの方が履かせやすいっていうことで、そろそろそのタイミングが近づいてきていた。

「ほら、ノホホン、オムツカバーのパンツをはくわよー」

 夏が近づき、気候が良くなって蒸し暑い日もあったんで、ノホホンは、肌着をつけずに、ワンピース一枚で過ごすことも多くなった。そうなると、座った時なんかにオムツが丸見えになってしまう。オムツが目立たないように、妻ちゃんお手製のカバーパンツをはくようになった。

 そんなわけで、夫さんの中の、「人前で大っぴらに口にするパンツ=ズボン」っていう脳内認識の矯正が、すっかり狂ってしまった。

「ねえ夫さん、あたし、パンツ買ってもいい?」

 そんな折、妻ちゃんの口から、そんな言葉が飛び出した。

「パ……パンツ? そんなこと、夫さんに相談しなくても」

 いくら妻ちゃんへのファッションチェックが厳しい夫さんだからって、妻ちゃんの履く下着にまで口出しする気はないんだ。

「えっ? 夫さん、何言ってるの? パンツって、ズボンのことよ」

 夫さんがスカート好きってのを知ってる妻ちゃんは、昔は履いていたジーンズやチノパン系の「ズボン」をすべて処分して、スカートばっかり履くようになっていたんだ。

 ノホホンと外に出かける機会が増えて、しゃがんだりするのにスカートだと不便だから、パンツ(=ズボン)を買いたいって話だったんだ。

「買いなさい買いなさい。パンツ見えないように、パンツいっぱい買いなさい」

 パンツをパンツと勘違いした夫さんは、恥ずかしさをごまかすために、太っ腹夫さんを演じてがっはっはっと豪快に笑ったんだ。

 

 無事にアマゾンでパンツをゲットした妻ちゃんが、ノホホン用の収納棚をごそごそと探っている。

「確か、この前の赤ちゃんイベントに行った時にもらったのよねー」

 見つけ出したのは、パンツ型のオムツの試供品だった。さっそく練習のために、ノホホンに履かせてみる。

「さあノホホン、パンツタイプのオムツにチャレンジだ。まずはこの穴に右足を膝まで入れてっと……、今度は左足の穴にぃ~……って、ノホホン、ジタバタするから右足が脱げちゃってるじゃないか。仕方がない左足を通してから、続けて右足をぉ~……また左足が脱げたぁ! ようしわかった。脱げないように、足を入れた状態で足をつかんでおけば脱げることはぁ~……って、ノホホン、どうして今、寝返りを打つわけ? まあいいや、うつ伏せの方が履かせやすいかもな。右足を通してぇ……脱げないようにしっかり足をホールドしてぇ、それから左足ぃ……。いいぞいいぞ、今度こそ順調に……って、お尻の方に「まえ」って書いてあるじゃないか。さかさまに履かせちまったよぉ。ぐぬぬぬ……せっかくうまくいったのに……。やむをえん、全部脱がせてもう一度最初っから……って、ノホホンめ、また寝返りおったな! わっ! なんて無防備な状態でおしっこをっ!」

 たっぷり五分をかけて、夫さんはノホホンに「履かせやすい」はずのパンツを装着させることに成功した。

 おしめ……じゃなかったオムツをパンツ型にして、その上におむつカバーのパンツを履いたノホホンは、乙女にあるまじき大開脚で、パンツを見せびらかしている。 

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